一人ひとりをしっかり見とる

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初夏。ちょっと汗ばむくらいのいい陽気である。朝から、子どもたちは張り切っていた。

この日は生活科がある。子どもたちは畑の雑草取りをすることになっている。そんな活動でも、朝から楽しみにしている様子がうかがえるのは、ほほえましい。

2時間目になり、担任は、子どもたちと、校庭に隣接している畑へ向かった。そして、簡単な注意、及び、『根を残さず取るようにする。』などの知的気づきにもふれた後、さっそく子どもたちと作業に取り組んだ。

目次

1 すずめの学校、めだかの学校

楽しみにしていただけのことはある。ほとんどの子は、いっしょうけんめい作業に熱中し出した。

担任はというと、近くにいる子どもたちと楽しそうに談笑しながら、これもまた、いっしょうけんめい雑草を取っている。しばらくすると場所を変え、また違った子どもたちと取る。

その様子を見て、むかし、生活科が始まったころ、よく言われた言葉を思い出した。

『生活科がスタートしたら、すずめの学校から、めだかの学校の指導へと、指導観を変えなければいけません。』

つまり、すずめの学校は、まあ、『ムチをふりふり』はオーバーにしても、先生がどこにいるかは明白ということだ。そして、指導者は、子どもと向き合い、子どもたちに教え込んでいるイメージとなる。

それに対し、めだかの学校は、『誰が生徒か先生か。』と歌われるように、生徒と先生がこん然としていて、はた目からは、どこに先生がいるのか分かりにくい。

それが、理想の授業の姿というわけだ。

とすれば、

上記、子どもと一緒に雑草取りに励んでいる姿は、まさに、『めだかの学校』になっていて、理想的な授業風景ということになる。

指導者が率先垂範している。そのおかげで、どの子もいっしょうけんめいだ。それに、みんな元気で楽しげである。

達成感でいっぱいの子どもたちも多い。

2 しかし、どうだろう。

果たしてそれで、ほんとうにいいのだろうか。初任者指導に携わるわたしとしては、疑問が残った。

と言うのは、

さっきから雑草取りに励んでいる子どもたちのそばで、ほんの数人だけれど、落ちている木の枝を振りまわして、休み時間同然に遊んでいる子もいるのだ。その子たちは、ときどき思い出したように雑草取りはするが、すぐあきてしまい、友達にちょっかいをかける。その結果が、また、遊びになってしまうというわけだ

このクラスには、Aちゃんというかん黙の子がいて、ずっとただ突っ立っているだけだ。何もせず、雑草取りに励んでいる子たちを眺めている。

でも、担任は、作業に没頭しているから、それらに気づいていない。

やはり、『めだかの学校』の精神は大事だが、それだけではダメだ。

ここは、子どもと一緒に雑草取りはしながらも、それと同じくらい、子どもたちを観察しなければいけない。

担任が全体を見わたせば、それだけで、棒を振り回している子も、雑草を取り出すかもしれない。そうしたら、ほめてやることができるではないか。

また、棒を振り回している子のそばで、いっしょうけんめいやっている子をほめてやろうではないか。それも、遊んでいる子に対して有効にはたらくかもしれない。

ここで、学習指導要領の生活科を見てみよう。一部抜粋する。

『集団や社会の一員として、自分の役割や行動の仕方について考え、』

『身近な人々とのかかわりを通して、自分のよさや可能性に気づき、意欲と自信をもって生活することができるようにする。』

『身近な人々~に関する活動の楽しさを味わうとともに、それらを通して気づいたことや楽しかったことなどについて、』

などの文言が並ぶ。

いっしょうけんめい草取りをしている子に対して、

  • 自分たちの役割を果たそうとしているか。
  • 行動の仕方はどうか。
  • 友達とかかわろうとしているか。
  • 友達とともに活動する楽しさを実感しているか。

など、そういう観点で、それを果たしていると思われる子をほめるように努めたいものだ。

そうすることによって、子どもたちは自分自身のよさや可能性に気づき、意欲と自信をもつようになるのではないかと思われる。

3 かんもくのAちゃんへの指導

いっぽう、かんもくのAちゃんについてはどうか。

どうも、みんなと一緒に草を取ることはできそうにない。

しかし、かんもく児への指導としては、

  • 不安を減らし、リラックスできる環境をつくる。
  • できることをほめて、自信をもたせる。
  • 安心できるコミュニケーションを促進させる。

ことが大切だ。

とすれば、絶対評価の目で見れば、ほめたり認めたりすることなど何もないようにみえるが、個人内評価の目で見るようにすれば、この場面でも、ほめたり認めたりする材料をみつけることができようというものだ。

  • Aちゃんは、作業こそしていなかったものの、遊んでいたわけではない。
  • いっしょうけんめい、それこそ、必死になって、ずっと、雑草取りに励んでいる子たちの手元を凝視していた。

放課後、初任者と話す時間になって、わたしは言った。

「子どもと一緒にいっしょうけんめい雑草取りをやっていたね。ご苦労様。でも、~。」

というわけで、

  • 一人ひとりをしっかり見とるようにし、ほめたり認めたりすること
  • ほめる観点は、学習指導要領にもあるが、それだけでなく、日ごろ子どもたちを観察していることをもとに、少しでも伸びたと思われることにも求めていきたいこと。
  • また、Aちゃんのように障害があると思える子については、特別な配慮が必要なこと

などを話した。

たとえば、Aちゃんを、このようにほめてやったらどうだろう。

「すごいよ。Aちゃん。みんなと一緒に草取りはできなかったけれど、でも、ずっとお友達の草取りを見つめていたね。だから、どんなふうに作業をしているか、ようく分かったでしょう。見る力は花丸だ。だからね。もう、草取りをしたのと一緒だよ。」

子どもたちとともに活動することも大事だが、それと同じくらい、子どもたちをしっかり見とること。そして、見とったことを口に出してほめたり認めたりすること。それによって、子どもはどんどん伸びていく。

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