「一つの花」板書例と授業の流れ 全時間

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挿絵を中心にして板書

黒板に挿絵を拡大してその周りに板書し、児童も同様に挿絵を小さくコピーしたものを中心にしてノートをとっています。私の板書をある児童が忠実に、というよりもよっぽど美しくまとめてくれているので、ノートの方をアップロードしています。このように挿絵を中心にして板書やノートを書くことについては、下記の記事をご参照ください。

国語のノートを絵を中心にしてまとめさせる

4年生になって「白いぼうし」に続いて、物語文の2回目の授業だったので、全時間で「全員発言」もめあてにしました。私が話しすぎたこともあり、最初は全員発言は達成できませんでしたが、最後の3時間は全員が発言できました。全員発言ができたら、ビー玉貯金です。

「ほめる」を記録・明示する(ビー玉貯金)

第一場面

戦時下でゆみ子がおなかを減らせているという状況が今一つ子ども達に理解できないようです。決して、ただのわがままでゆみ子が「ひとつだけ」を繰り返しているわけではないことを押さえておかないと、この後の授業が妙な流れになってしまいます。

第二場面

この場面は、第四場面の別れのシーンと呼応しています。「将来どんな子に・・・」というお父さんの「不安」をどう解釈するかによって、ずいぶん意味が違ってくるように思います。

1.ゆみ子の物欲を心配しているという読み

「一つの花」(3・4年物語教材)をいかに授業設計するか?

の記事で興津洋男氏が述べられているように、お父さんがゆみ子の物欲を心配していたという読みも、あると思います。そう考えると →→→→→ 第四場面でお父さんは「ひとつだけだけれど美しいコスモス」をゆみ子に渡すことによって食べ物ではないけれど、美しいものがあるとゆみ子にわかってほしかったという読みも成り立ちます。

2.戦時下における「生命を失うかも」という不安という読み

爆弾を落とされて町が焼かれている切迫した状況を読み取らせるといいでしょう。お父さんには、食料がないという不安だけではなく、命を落とすかもしれないという不安があったと思います。家が焼かれてしまう、自分は戦争に行って帰ってこれないかもしれない。お母さんとゆみ子の命もどうなることかわからない。そう考えると →→→→→ 第四場面での、「ひとつだけのコスモス」をゆみ子に渡すという行為が、「一つだけの命」を大切にしてほしいというメッセージであったという読みにつながってきます。

おそらく1・2の両方の意味が含まれているのではないかと思います。ただし、どちらかというと2の意味が強いのではないかと私は思っています。

「一つの花」~題名とコスモスに込められた意味

お父さんにとってゆみ子に十分に与えてあげるのは、「高い高い」ぐらいであり、だからこそ「決まって」「めちゃくちゃに」「高い高い」をするのでしょう。

第三場面

ここでは「おにぎり」について時間を取って話をしてみました。何故おにぎりなのか。お父さんの出征時(つまり、もう帰ってこない、最期の別れかもしれない)の大切なおにぎりです。戦争当時の食事の事を調べると、少量の米でお粥を作って、液の部分をすすって我慢したといった叙述が出てきます。おにぎりは米が詰まっており、当時の人々にとっては貴重な食べ物であったと想像できます。多分、お母さんが心をこめて握ったことでしょう。
それを「全部」ゆみ子にあげてしまった両親の心情を読みとらせていきました。

第四場面

お父さんの「大切にするんだよ」に込められた気持ちを読み取らせるようにしました。
第二場面からの呼応で考えると、「大切にすべきもの」は、「美しいものに感じる心」あるいは「ひとつだけしかない命」だと思います。私は、この別れ際で親が考えることは「命」であると考えます。

短絡的に読むと、お父さんがコスモスを「大事にして増やしてほしかった」ということになりかねません。確かに、次の場面ではコスモスが増えているので、子どもがそう考えるのは自然かもしれないです。ところが、コスモスはゆみ子が泣いて困ったから見つけてきただけであり、お父さんの思い付きなので、それほど「増やしてほしい」と思っていたわけでもないと考えるべきでしょう。

第五場面

戦争が終わって十年たったところで、何が変わったのかを考えさせました。


「一つの花」~戦後のコスモスのシーンについて

授業後の子どもの作文

勉強してきたことをまとめるために、最後に読後の感想を書かせました。「お父さんからゆみ子へ」などと、手紙形式で書くこともOKという形で書かせています。令和の子供たちに戦争の状況を想像させることは難しく、太平洋戦争はどことどこでどのように戦っていたのかを理解するにはまだまだ時間がかかります。そのため、「感想は疑問の形」やピントはずれになることが多いです。それはそれでよしとしなければなりません。家族という子供たちにとってとても身近なコミュニティに災厄が及んでくる事態を、10歳の子供なりにどう受け止めるのかということをお互いの考えを出し合いながら考えることが大切だと思います。

教育現場で戦争を伝える難しさ ~風化する太平洋戦争 | EDUPEDIA

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