クラス全員との学級経営 【特別支援コーディネーターものがたり  第一話】 

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目次

1 【スズキ先生の悩み】

ミドリ小学校5年1組担任のスズキ先生は、笑顔が爽やかなスポーツマンです。彼はまだ若い頃に特別支援学級の担任をしていたことがあったので、その年は校長先生から校内の特別支援教育コーディネーターに指名されていました。ただ、専門的にこの分野の勉強をしたことはなく、不安を抱えながらも校内にいる「気になる子どもたち」のサポートに全力を注いでいました。

5月のある日、近くにあるヨツバ特別支援学校のコーディネーター、カゲウラ先生にスズキ先生から電話がありました。スズキ先生は、校内の支援についてわからないことがあると、いつも顔なじみのカゲウラ先生に気軽に相談していたのです。

「カゲウラ先生、実は自分のクラスのサチコさんについて相談があります」。いつもの明るさが影を潜め、少し曇りがちな声でした。

「サチコさんは知的障害がない自閉症と診断されています。教室では常同行動が出たり場違いな発言はあったりするのですが、私はさほど気にはなりませんでした。自分なりにサチコさんが毎日をわかりやすく、快適に生活できるよう配慮はしてきたつもりです。でも・・・」。そこまで一息に話し切り、「ふぅー」と大きくため息をついて後を続けました。

「でも、ほかの先生方から指摘されたんです。コーディネーターのくせに自分のクラスの障害のある子どもに『特別な支援』をしないでも良いのか、と」。スズキ先生は力なく話し続けました。

「サチコさんには確かに課題はあるのですが、それが『問題』というほどには思えず、さりげない支援はしていたものの、確かに『特別な支援』はしてこなかったかもしれません。やはり私はコーディネーターとして不適格なのでしょうか・・・。」スズキ先生はまたそこで「ふぅー」とため息をつきました。

「では明日、サチコさんの様子を見に行きますよ」。カゲウラ先生はスズキ先生を励ますようにそう伝え、電話を切りました。

2 【サチコさんとクラスの雰囲気】

翌日、カゲウラ先生はミドリ小学校を訪問し、スズキ先生の5年1組に入りました。さすがコーディネーターらしく、教室内は整理整頓され、掲示物は配色を押さえながら目立たず、それでいて効果的にグループ化されていて、すべての子どもたちが快適な授業を受けることができているだろうなあ、と直感させられました。

国語の時間になりました。一番前の席にサチコさんは表情を変えず座っていました。長い黒髪には丁寧にブラシが入れられていて、その両端は茶色のリボンでまとめられています。深く透き通るような黒い瞳が印象的でした。

スズキ先生は、事前に用意した漢字カードやイラストカードを、メリハリのある声や具体的なたとえ話と共に黒板に貼り出し、すべての子どもたちの目を釘付けにしています。みんなが授業に集中しています。そんな時、突然サチコさんが挙手をし、指名を待たず勝手に話し出しました。「その漢字はなんでそんな変な形をしているのですか」。

前後の内容にまったく関係がない、唐突な質問でした。カゲウラ先生はどきりとしました。周囲の子どもたちがどう反応するのだろう、と。でも・・・。

「そういえば面白い形をしているねえ。なんでだろうねえ。みんな、どうしてだと思う?」。先生の問いかけに対し、子どもたちは口々に意見を言い、結局みんなでその由来を調べてこよう、という宿題が出されることになりました。そして、先生は「サチコさんはさすがだねえ。先生が気がつかないようなことを教えてくれたよ」としみじみつぶやきました。

子どもたちはサチコさんに賞賛のまなざしを向けました。でもサチコさんは、あくまでもマイペースで黒板の漢字カードを見つめています。その後も何度かサチコさんの唐突な質問がありましたが、そのたびにスズキ先生は上手に、冷静に対応していました。

国語が終わり、次は体育の時間です。男子も女子も朝から体操服を着たままでしたので、教科書やノートをしまうと友だちと歓声を上げながら急いで初夏の太陽が降り注ぐグランドへ向かいました。サチコさんは、というと、人影がまばらになった教室で、自分の机の周りをぐるぐると歩いていました。次の時間はグランドに集合、ということは理解しているのでしょうが、自分の中で場所を移動するきっかけがつかめないようでした。カゲウラ先生は黙ってその様子を見つめていました。

すると、体調不良で見学するのでしょうか、数名の子どもが普段着のままサチコさんに近づきました。「次の時間はグランドで鉄棒だよ」。背の高い女の子が静かに、優しく声をかけました。サチコさんは返事もせず、うなづきもせず、そのままスイと廊下に出て、壁伝いにまっすぐ歩きながらグランドへ向かいだしました。

ほかの子どもたちはサチコさんのあとを追い、ワイワイとTVアニメの話に花を咲かせながら同じくグランドへ向かいました。

体育は逆上がりの練習でした。自分の力に応じたグループに入り、お互いにアドバイスしあいながらさらに上達をめざす、という内容です。子どもたちは何回も連続して逆上がりができるグループ、2,3回なら連続してできるグループ、1回だけようやく成功できるグループに分かれています。そしてサチコさんは、まだ逆上がりができないグループに入りました。

そのグループの子どもたちはスズキ先生のアドバイスをもらいながら、何とか1回だけでも逆上がりができるようになることをめざし、思い思いに鉄棒にぶら下がっています。サチコさんも何度も地面を蹴りながら回ろうとしますが、なかなかできません。すると、スズキ先生の指導を受けて逆上がりができるようになった友だちがサチコさんの周りに何名か集まってきました。

「手はこう握るといいよ」「ボクはこうやって地面を蹴ったらできるようになったよ」。うるさいくらいサチコさんにアドバイスを繰り返す様子を苦笑気味にカゲウラ先生は眺めていたのですが、そのうちにサチコさんの動きに変化が出始め、あと少しでできるようになるのではないか、と思えるほどになりました。気がつくと、ほかのグループの子どもたちもサチコさんの周りに集まってきました。

「がんばれ!」「あとちょっと」「そうそう、その調子!」。自閉症の子どもにとって集中するのにあまりよい環境ではないかもしれません。それに気がついたスズキ先生が子どもたちを制しようと近づいたのですが、カゲウラ先生はそっと手で彼を止めました。そして目線で「もう少し様子を見ましょう」と訴えました。

やがて子どもたちの「ガンバレ!」が手拍子つきの合唱にまとまったとき、サチコさんがクルッと鉄棒を回ったのです。その瞬間、グランドは拍手の渦に包まれました。「すごいね!」「よくがんばったね!」。賞賛の声も上がりました。

サチコさんはやっぱり表情を変えませんでした。チャイムが鳴り、スズキ先生は練習の様子を講評し、解散になりました。サチコさんはまた一人で、同じルートを歩き、教室へ向かいました。しかし、そのときなんとなく、カゲウラ先生にはサチコさんの足取りが少しウキウキしているように見えたのです。

カゲウラ先生はほかの学校を回る関係もあり、遠くのスズキ先生にそっと目礼し、校門を出ようとしたのですが、それに気づいたスズキ先生が走りよってきました。「お恥ずかしい様子をお見せしたかもしれませんが、サチコさん、どうでしたか?」。スズキ先生は申し訳なさそうにつぶやきました。

3 【スズキ先生の「特別支援」】

「先生、今日はいいものを見せていただきました」。スズキ先生はその言葉をすぐには理解できませんでした。

「サチコさんは理想的な教育環境の中、ありのままの姿で人間関係を学び、先生や友だちのさりげない、それでいて心温まる支えを受けながら、一つ一つ確実にできることを増やしているのではないですか?同時にそれは、サチコさんの友だちが『共に生きる』とはどういうことか、を自然に学ぶ良い機会にもなっています」。カゲウラ先生はスズキ先生の肩をそっと叩きました。

「先生はまるで、クラス全員の子どもに能力に応じた教育、『特別支援教育』をしているようでした。教育界ではそれを『ユニバーサル教育』と呼んでいます。障害があるとかないとか関係なく、通常学級の中で全員がわかりやすく理解できる授業を受けることです。自分では気がついていないかもしれませんが、スズキ先生の実践は、サチコさんにとっても、ほかのお子さんにとっても、最高で最新の『特別な支援』なんですよ。大丈夫!いまのままで十分です。もしほかの先生が今後もあなたに何か言って来たら、私がそう説明して守りますから」。スズキ先生の切れ長の目から、涙がスーッと一筋、流れ落ちました。

校門を後にしたカゲウラ先生の背に、スズキ先生はしばらくの間、深々と頭を下げ続けていました。その様子を不思議に思った子どもたちが集まってきました。先生はそれに気づき、慌てて袖で涙を拭きました。「先生、給食だよ。早く行こうよ!」。子どもたちが先生のジャージのすそを引っ張ります。「そうだな!腹減ったな!よし、行くぞ!」。元気よく走り出した先生の後ろを、子どもたちはまた歓声を上げながら追いかけました。

五月晴れの空にひこうき雲が一筋、まるでノートに定規で線を引いたように、どこまでもまっすぐに伸びていきました・・・。

4 【作者から】

私は特別支援学校のコーディネーターを複数の職場で7年間務めました。その間、数多くの保育園や幼稚園、小中学校、高校の先生方と出会ってきました。

その出会いの中から、とても印象的で、また読者の皆さんにも今後の参考となるようなエピソードをいくつか紹介して行きたいと思います。

ただ、情報保護の観点から、それぞれのエピソードには少しずつ脚色を加えます。予めご了承ください。ではまた次回。

5 講師プロフィール

松浦俊弥  現職:東京福祉大学 社会福祉学部 准教授(教員養成課程)

松浦先生の著作の近刊をご紹介致します。
『エピソードで学ぶ 知的障害教育』北樹出版社
http://www.hokuju.jp/books/view.cgi?cmd=dp&num=925&Tfile=Data

記事のような松浦先生の特別支援教育のエピソードを本にまとめられています。ですが記事とは内容はすべて違うエピソードが書かれており、学校や地域、教員に求められていることなど様々な見方で特別支援の様子が載っています。

(主な経歴)
・浦安市中学校教諭(進路指導主任ほか)
・県立知的障害特別支援学校教諭(生徒指導主任・特別支援教育コーディネーターほか)
・県立病弱特別支援学校教諭(特別支援教育コーディネーター・教務主任ほか)
・県立知的障害特別支援学校教頭

・元 NPO法人あかとんぼ福祉会理事長(障害児放課後クラブ)
・元 四街道市特別支援教育連携協議会専門家チーム座長
・元 四街道市障害区分判定審査委員
・元 富里市・八街市特別支援連携協議会専門家チーム委員
・現在、八街市子ども・子育て会議座長

(資格)
・臨床発達心理士
・自閉症スペクトラム支援士エキスパート

(主な受賞歴)
・読売教育賞最優秀賞(平成16年)
・NHK障害福祉賞(平成21年)

(所属学会)
・日本特殊教育学会
・自閉症スペクトラム学会
・日本育療学会

(主な著作・執筆)
・「病気の子どもの理解のために」(国立特別支援教育総合研究所・全国特別支援学校病弱教育校長会編)

・「自閉症スペクトラム児・者の理解と支援」(教育出版)

・「自閉症スペクトラム辞典」(教育出版)

・「生きる力と福祉教育・ボランティア学習」(万葉舎)

(今後の出版予定)
・「特別支援学校の日常をエピソードで綴る知的障害教育の理解(仮題)」(北樹出版)本年9月

1985年、浦安市の中学校に英語科教諭として着任。生徒の英語への関心を高めるため、屋上で「英単語巨大カルタ大会」を開催したり英語劇を演じさせたりするなど授業に工夫を凝らしていた。生徒指導副主任、進路指導主任、学年主任などを歴任。
 生徒指導にも追われる中、社会性は高くても学習に課題がある生徒の存在に気づき、その背景を探ろうと特殊教育(現在の特別支援教育)を学び始める。1990年、知的障害教育の養護学校(現在の特別支援学校)に異動、自閉症児やダウン症児、重複障害児たちと出会い、その教育の奥深さに惹かれる。生徒指導主事などを歴任。
 97年、担任する子どもたちの保護者の悩みから障害児の家庭生活、地域生活の貧しさに課題を感じ、志を同じくする同僚、保護者とともに障害児が通う養護学校のための学童保育(障害児学童保育)設置運動を開始。98年に千葉県初の障害児放課後クラブ(現行の放課後等デイサービス事業)「あかとんぼ」を開設。その後も教員業の傍ら、ボランティアで運営を支える。99年にNPO法人化し初代理事長に就任。
 99年、多数のメディアで「あかとんぼ」の活動が紹介されたことに影響を受け、県内にその後続々と作られた障害児放課後クラブのネットワークとして千葉県障害児の放課後休日活動を保障する連絡協議会(千葉放課後連)を設立。事務局長として千葉県知事などと面談を重ね、自治体からの補助制度が実現する。その後、2003年には全国の有志と同活動の全国団体、障害児の放課後休日活動を保障する全国連絡会(全国放課後連)を設立、事務局次長として厚生労働省と話し合い、現行の放課後等デイサービス事業の礎を作る。
 現職の教育公務員としてボランティアで携わり続けた障害児放課後クラブ推進に関する一連の活動に対しては、読売教育賞最優秀賞、NHK障害福祉賞、ワンバイワンアワードなど多数の受賞を通じて社会的に高く評価される。
 2002年、病弱教育の養護学校に異動。2004年から特別支援教育コーディネーターとして地域全体の特別支援教育推進に尽力。小中学校、高校等の依頼に応じ、主に発達障害児、病弱児等に関する相談支援を行なう。2006年から4年間、教務主任を兼任、教育課程の編纂などを担当。
 また病弱教育特別支援学校全国校長会(全病長)、国立特別支援教育総合研究所(特総研)が企画した通常学校教員向けガイドブック「病気の子どもの理解のために」(全編を特総研ウエブサイトから無料ダウンロード可)の編集に参加、「心の病編」など執筆も担当する。
 2010年、知的障害特別支援学校へ異動、教務副主任、特別支援教育コーディネーターとして地域の特別支援教育推進に尽力。
 2012年、千葉県立特別支援学校の教頭職に就く。しかし教頭になっても地域からの相談依頼が重なり、幼稚園・保育園、小中学校や高校などではまだまだ特別支援教育の普及が進んでいないことを実感。また特別支援学校についても社会的な理解が不足している現状を憂い、2013年、大学教員に転身。現在に至る。
 現在は大学での教員養成の傍ら、主に千葉県内を中心として小中学校、高校や市町村教育委員会等の依頼に応じて年間50箇所以上で研修会の講師などを務める。また要請があれば個別相談、保護者面談、校内委員会への参加などもいとわない。
 特別支援教育の社会的な理解推進のためメディアでの発信を続け、9月には初の単行本(「エピソードで綴る知的障害教育」 北樹出版)を出版の予定。臨床発達心理士、自閉症スペクトラム支援士の資格を有する。

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