高機能自閉症の生徒の思春期 【特別支援コーディネーターものがたり 第二話】 

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目次

1 【男子中学生の異変】

梅雨の晴れ間、初夏の太陽がまぶしいヨツバ特別支援学校の午後です。「カゲウラ先生、お電話です!」。休憩時間にゆっくりと職員室で冷たいお茶をすすっていたカゲウラ先生は、突然の校内放送でけたたましくその名を呼ばれ、口に含んだばかりのお茶を噴き出してしまいました。
急いで教育相談室に走り、内線電話を外線につないでもらいました。今日もまた校外から新しい相談が入ったようです。「もしもし、お待たせしました。ヨツバ特別支援学校コーディネーター、カゲウラと申します」。

相手は同じ市内にあるヨツバ西中学校の特別支援教育コーディネーター、アオキ先生でした。同世代の男性です。市内のコーディネーター連絡会などで顔を合わせたことはありますが、直接話すのは初めてです。「先生は家庭内暴力の相談にも対応してくれますか?」。遠慮がちに尋ねるアオキ先生に、カゲウラ先生は優しく「先生、大丈夫!何でも話してください」と語り掛けました。

アオキ先生はほっとしたように電話の向こうで概略を説明し始めました。「うちの男子生徒なんですが、高機能自閉症の診断が出ています。特に学力に問題はなく、無口でおとなしい生徒です。行動面でも大きな課題を感じていないので、さりげなく配慮はしているものの、特別な形での支援はしていません。しかし昨日、母親から電話がありました。自宅で毎日暴れていると」。だいぶ深刻な内容のようです。

カゲウラ先生は「自宅でどう暴れているんですか?」と聞きました。「介護の必要なおばあちゃんが同居しているのだそうですが、そのおばあちゃんを車椅子ごと蹴り倒すらしいんです」。ことばを選びながら、アオキ先生は少し声をひそめて教えてくれました。中学校内でもまだ公にされていない事実なのでしょう。
「それに、年の離れた妹の顔を素手で殴り、青あざを作ってしまったそうです」。これは電話で尋ねる内容ではないかもしれないな。カゲウラ先生はそう判断し「いまからそちらへ行きますよ」と伝え、電話を切りました。そしてそのまま筆記用具を持ち、彼は急ぎ足で駐車場に向かいました。

カズキ君は学力は中程度、陸上部では長距離を専門とし、大会でもそれなりの好成績を上げるいわゆる「特に問題のないちょっといい子」くらいの中学2年生でした。ただ、あまり自分から友だちとかかわろうとすることはなく、どちらかといえば一人でいることを好むタイプのようです。

カゲウラ先生は、アオキ先生からこれまでの学校や家庭での彼の様子を詳しく聞きました。すると、彼の家庭内暴力は2年生に進級して少ししてから発生したことがわかりました。それまでは人に乱暴するようなことはまったくなかったそうです。ほかに彼の周辺で大きな環境の変化が起こった形跡はありません。「中学2年生」「進級してから」。この辺りが今回の問題の背景を探るヒントになりそうです。

2 【カズキ君との面談】

カゲウラ先生はカズキ君と直接話してみることにしました。7月の初め、放課後の中学校を訪れた先生は小さな面談室で彼と初めて顔を合わせました。すらっと背が高く色黒で、坊主頭に白いカッターシャツが良く似合うスマートなカズキ君は、アオキ先生の案内で戸惑いがちに面談室に入りました。
「では私はまた後で」。アオキ先生はちょこんと頭を下げ、戸を閉めました。「こんにちは」。声変わりが済んだばかりのような低いトーンで聞こえないくらいの挨拶をし、テーブルを挟んで向かい側のソファーに座ろうとしたカズキ君を、カゲウラ先生は手で制止し「こっちにおいで」と自分の横に座るよう誘いました。

一瞬、いぶかるような表情になりましたが、すぐに彼は指示されたとおり先生の横に座り直しました。カゲウラ先生はテーブルの上にB4の紙を1枚と細書きの黒いペンを用意し、右手に座ったカズキ君に笑顔で挨拶をしました。「こんにちは。カゲウラです。今日はキミとお話ができてうれしいよ。ありがとう」。カズキ君はうつむきながらテーブル上の白い紙を見つめ、小さな声で「ハイ」と答えました。

先生はニコッと笑い返し、紙を裏返しました。そこには大きめの黒い文字でいろいろな質問と選択肢が書かれていました。例えば「どのようなテレビ番組が好きですか?」との質問に対し「1:ドラマ」「2:アニメ」「3:スポーツ」のような選択欄があり、さらに「学校に好きなテレビ番組の話を聞いてくれる人はいますか?」との問いには「1:いない」「2:1人いる」「3:2人以上いる」というような選択欄があります。

これはカゲウラ先生が「自分の思いや考え、気持ちを言葉で表現しづらい」特性がある子どもによく使う方法です。「隣り合って座る面談」も独特なもので、この方法であれば人と関わるのが苦手な子どもでも、テーブル上の質問用紙を見ることで相手の顔を見ずに済みます。

そして面談者が二人の間にある質問用紙に回答を書き込んでいくことによって、子どもはそれを読みながら徐々に自分の気持ちを整理できるようになります。もちろん質問内容や回答の選択肢は相談の内容によって、あるいは相手に合わせて変える必要があり、その準備はとても大変なのですが。

それから約1時間、先生はカズキ君に用意した質問を投げかけ、その答えを書き込んで行きました。そしてその内容から家庭内暴力発生の背景にある仮説が浮上しました。

カズキ君は2年生になってからたまたま席が近くなったある同級生にその無口さをからかわれていたようです。また勝手に自分の筆箱から消しゴムやペンを持っていかれたまま返してもらえなかったこともあったそうです。しかし、その悔しさを安心して話せる友だちもおらず、先生に訴えればもっと同級生にからかわれてしまうだろうという計算も働き、黙って耐えていたとのことでした。家庭内暴力はそのストレス発散だったのかもしれません。
ただカゲウラ先生は、そのほかにも何か原因があるのではないか、と考えていました。でなければ、いままで人に手を上げたこともないような子どもが、いくら同級生のからかいに耐えていたストレスがあったとはいえ、突然家族を殴ったり蹴ったりするような激しい暴力を振るうことはないだろう、と思っていたからです。

しかし、初対面での1時間の面談は負担だろう。そう考えたカゲウラ先生はカズキ君に「いままで辛かったね。でも良く教えてくれた。ありがとう。今日はこのくらいにしようか。そして、またしばらくしたらキミと話をしたいんだけれど。いいかな?」と聞きました。

カゲウラ先生との話しやすさや「初めて自分の辛い気持ちに共感してくれた」喜びでカズキ君の表情は入室した頃に比べ、格段に明るく輝いていました。「先生、もっとお話ししていいですか?」。カズキ君は表情を和らげながら左に座る先生の顔をまぶしそうに見上げました。
先生はちょっと驚きながらもそれを隠し「いいよ、もちろん。何でも話してごらん」。その言葉を聞いてカズキ君は「本当に何でもいいですか?」「本当だよ」「本当ですか?」「本当の本当に!」。しつこいくらいのカズキ君の確認がしばらく続いたのですが、少しして彼はニコッと笑いながら意外な質問をしたのです。

「先生の娘さんは何色のパンツをはいていますか?」。これにはさすがのカゲウラ先生も心の中で少し狼狽してしまいました。そして、面談の途中でカズキ君と同い年の娘がいる話をしたことを思い出しました。しかし、ここでも先生は彼に注意したり怒ったりすることなく、あくまでも冷静に、ポーカーフェイスを装いながら答えました。「・・・うーん、確か白に水玉だったかな?」。

カズキ君はその言葉を聞いて、その日一番の笑顔を見せました。「そうなんですか?」「そうだよ」「ほかにはどんな色があります」「えーとね・・・」。あっという間にそれからまた1時間が過ぎました。心配して様子を見にやってきたアオキ先生が面談室の扉をそっと開けて中をのぞき、びっくりしました。学校では見たことのないカズキ君の満面の笑みがそこにあったからです。

3 【気の許せる話し相手】

面談後、カゲウラ先生はアオキ先生にその内容を報告しながら、重要なことを伝えました。「これはあくまでも推測ですが・・・。思春期ならではの男の子の性への関心事について、彼には一緒に笑いあって話せる友だちがいなかったんでしょう。もちろん先生にそんな話を聞くことはご法度だと考えていたでしょうし、そもそも人にそういう話をすること自体を『やってはいけないこと』と認識していたかもしれません。発達に課題があるお子さんは、ときにとってもピュアな思考を持つ場合があります。そんなつもり積もったストレスに、さらにからかわれたストレスが重なり、自分でもどうしてよいかわからないくらい家で身体が動いてしまったのかもしれません。しばらく定期的に私が彼の話相手になってみましょう。それがうまくいくようなら、同じ方法を今後、中学校の先生方も試してみてください」。

カズキ君の家庭内暴力はそれからすぐに姿を消しました。そして、カゲウラ先生から教わった方法で、彼は同級生にある日直接「ノー」の意思表示をし、からかいはなくなりました。その後、中学校ではカゲウラ先生の面談方法を生徒指導にも取り入れ、荒れた生徒、不登校の生徒に担任が個別で面談を重ねたところ、様々な教育課題が大きく減少したそうです。

年の瀬も近づいた頃、アオキ先生は久しぶりにカゲウラ先生に別の相談の件で電話を入れました。「ところでカズキ君はどうしてます?」。「今日も友だちとゲラゲラ笑いあいながら廊下を歩いてましたよ。担任も本当に感謝しています。その節はお世話になりました。ありがとうございました」。「それはよかった」。
 「でもね、カゲウラ先生」「なんです?」「週に1回はワタシのところに、何色のパンツが好きですか、って聞きに来るんですけど」「ほうほう」「ほうほうじゃなくて・・・なんて答えればいいんですか?」。「思ったまま答えればどうです?だって誰だって好みの色ってあるでしょ?」「でもそれってセクハラっていわれませんか?」「いやいや、アオキ先生、女性のじゃなくて自分のパンツの色の話ですよ」「はあー・・・」「そしてそれはね、立派な性教育ですよ!」「はあー、性教育ねえ・・・」。
 なんだか納得がいかないようなアオキ先生のため息交じりの返答を聞き、カゲウラ先生は心の中で大笑いしてしまいました。職員室の窓の外はもう薄暗く、遠くの冬雲が夕日に映えて茜色に染まっていました・・・。
 

4 【作者から】

男性として自分たちの思春期を思い起こせば、性に関する興味・関心は日々の生活において重大事のひとつでした。そして友だち同士で面白おかしく密やかに語り合い、ストレス解消をしていたようにも感じます。その是非はともかくとして、男の子なら誰もが思い当たる節があるでしょう。

ただ、そんな話ができる友だちがいなかったり、どう話せば良いかわからなかったりする子どもたちが実際に多くいるようです。そして悩みやストレスを溜め込み、どうしてよいかわからなくなってしまう子どももいます。

このように悩みやストレスを抱えているであろう子どもたちから本当の気持ちを聞きだすことはとても難しいですね。でも、相手の特性に合わせた上で面談の方法を工夫してみると、結構な「本音」を引き出すことができる場合もあります。

自分自身でさえ気がついていなかった「本音」を知り、自分はこんなことに悩んでいたんだという背景がわかると、その子が関わる教育課題が消失していくことが過去に何度かありました。以下は現役のコーディネーター時代に編み出した面談方法の一部です。

  • 小さく静かな部屋(落ち着ける部屋)で話し合う
  • 安心して話ができる人と話し合う(担任だと遠慮してしまうかも)
  • できれば隣り合って座る(目と目を合わせるのが苦手な子どもがいる)
  • 目で見える質問に選択肢で答える(質問紙を読み合わせながら答えを選択させる)
  • 回答をメモした紙を二人で共有する
  • 子どもの答えを教員がことばにまとめる

「自分の気持ちを他者に共感してもらえた」ことだけでストレスが解消される場合があります。また、自分の中の「本音」がわかれば解決を導く方法を一緒に考えることも可能になり、教員は子どものサポーターとして彼の変化への努力を支える役割を担うことができます。これも立派な特別支援教育です。

このような面談方法を同僚に研修会を通じて伝授していくことも小中学校等のコーディネーターの仕事のひとつかもしれません。

なお、昨今では様々な事情により「子どもと個室に二人きりになる環境を作らない」よう管理職から指導されている学校も多いかと思います。そんなときは「扉を少し開けて中の様子を見られるようにする」「マジックミラーを付ける」など可能な工夫をしていけばよいでしょう。
それではまた次回をお楽しみ!

5 講師プロフィール

松浦俊弥  現職:東京福祉大学 社会福祉学部 准教授(教員養成課程)

松浦先生の著作の近刊をご紹介致します。
『エピソードで学ぶ 知的障害教育』北樹出版社
http://www.hokuju.jp/books/view.cgi?cmd=dp&num=925&Tfile=Data

記事のような松浦先生の特別支援教育のエピソードを本にまとめられています。ですが記事とは内容はすべて違うエピソードが書かれており、学校や地域、教員に求められていることなど様々な見方で特別支援の様子が載っています。

(主な経歴)
・浦安市中学校教諭(進路指導主任ほか)
・県立知的障害特別支援学校教諭(生徒指導主任・特別支援教育コーディネーターほか)
・県立病弱特別支援学校教諭(特別支援教育コーディネーター・教務主任ほか)
・県立知的障害特別支援学校教頭

・元 NPO法人あかとんぼ福祉会理事長(障害児放課後クラブ)
・元 四街道市特別支援教育連携協議会専門家チーム座長
・元 四街道市障害区分判定審査委員
・元 富里市・八街市特別支援連携協議会専門家チーム委員
・現在、八街市子ども・子育て会議座長

(資格)
・臨床発達心理士
・自閉症スペクトラム支援士エキスパート

(主な受賞歴)
・読売教育賞最優秀賞(平成16年)
・NHK障害福祉賞(平成21年)

(所属学会)
・日本特殊教育学会
・自閉症スペクトラム学会
・日本育療学会

(主な著作・執筆)
・「病気の子どもの理解のために」(国立特別支援教育総合研究所・全国特別支援学校病弱教育校長会編)

・「自閉症スペクトラム児・者の理解と支援」(教育出版)

・「自閉症スペクトラム辞典」(教育出版)

・「生きる力と福祉教育・ボランティア学習」(万葉舎)

(今後の出版予定)
・「特別支援学校の日常をエピソードで綴る知的障害教育の理解(仮題)」(北樹出版)本年9月

1985年、浦安市の中学校に英語科教諭として着任。生徒の英語への関心を高めるため、屋上で「英単語巨大カルタ大会」を開催したり英語劇を演じさせたりするなど授業に工夫を凝らしていた。生徒指導副主任、進路指導主任、学年主任などを歴任。
 生徒指導にも追われる中、社会性は高くても学習に課題がある生徒の存在に気づき、その背景を探ろうと特殊教育(現在の特別支援教育)を学び始める。1990年、知的障害教育の養護学校(現在の特別支援学校)に異動、自閉症児やダウン症児、重複障害児たちと出会い、その教育の奥深さに惹かれる。生徒指導主事などを歴任。
 97年、担任する子どもたちの保護者の悩みから障害児の家庭生活、地域生活の貧しさに課題を感じ、志を同じくする同僚、保護者とともに障害児が通う養護学校のための学童保育(障害児学童保育)設置運動を開始。98年に千葉県初の障害児放課後クラブ(現行の放課後等デイサービス事業)「あかとんぼ」を開設。その後も教員業の傍ら、ボランティアで運営を支える。99年にNPO法人化し初代理事長に就任。
 99年、多数のメディアで「あかとんぼ」の活動が紹介されたことに影響を受け、県内にその後続々と作られた障害児放課後クラブのネットワークとして千葉県障害児の放課後休日活動を保障する連絡協議会(千葉放課後連)を設立。事務局長として千葉県知事などと面談を重ね、自治体からの補助制度が実現する。その後、2003年には全国の有志と同活動の全国団体、障害児の放課後休日活動を保障する全国連絡会(全国放課後連)を設立、事務局次長として厚生労働省と話し合い、現行の放課後等デイサービス事業の礎を作る。
 現職の教育公務員としてボランティアで携わり続けた障害児放課後クラブ推進に関する一連の活動に対しては、読売教育賞最優秀賞、NHK障害福祉賞、ワンバイワンアワードなど多数の受賞を通じて社会的に高く評価される。
 2002年、病弱教育の養護学校に異動。2004年から特別支援教育コーディネーターとして地域全体の特別支援教育推進に尽力。小中学校、高校等の依頼に応じ、主に発達障害児、病弱児等に関する相談支援を行なう。2006年から4年間、教務主任を兼任、教育課程の編纂などを担当。
 また病弱教育特別支援学校全国校長会(全病長)、国立特別支援教育総合研究所(特総研)が企画した通常学校教員向けガイドブック「病気の子どもの理解のために」(全編を特総研ウエブサイトから無料ダウンロード可)の編集に参加、「心の病編」など執筆も担当する。
 2010年、知的障害特別支援学校へ異動、教務副主任、特別支援教育コーディネーターとして地域の特別支援教育推進に尽力。
 2012年、千葉県立特別支援学校の教頭職に就く。しかし教頭になっても地域からの相談依頼が重なり、幼稚園・保育園、小中学校や高校などではまだまだ特別支援教育の普及が進んでいないことを実感。また特別支援学校についても社会的な理解が不足している現状を憂い、2013年、大学教員に転身。現在に至る。
 現在は大学での教員養成の傍ら、主に千葉県内を中心として小中学校、高校や市町村教育委員会等の依頼に応じて年間50箇所以上で研修会の講師などを務める。また要請があれば個別相談、保護者面談、校内委員会への参加などもいとわない。
 特別支援教育の社会的な理解推進のためメディアでの発信を続け、9月には初の単行本(「エピソードで綴る知的障害教育」 北樹出版)を出版の予定。臨床発達心理士、自閉症スペクトラム支援士の資格を有する。

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