メモを使うことについてー2年生の作文指導にかかわって(今井成司先生)

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目次

1 はじめに

東京作文教育協議会・会長、元杉並区立公立小学校教諭の今井成司先生の実践です。

この記事は、今井先生からいただいた資料をもとに作成しています。

1.メモはどのような働きをするか—どのような時、効果的なのか

以前の研究会でメモについてどう使うかが話題となりました。提案者のTさんは「メモをもとにしながら、文章を膨らませる」ことを狙っていました。本題に入る前に、メモの役割について述べておきます。小学校2年生では、次のようなことが挙げられます。

  • したこと、見たことなどをよく思いださせる。
  • まんべんなく、落ちなく書かせることができる。
  • 順序よく書かせることができる。
  • 子供も安心して作文を書くことができる。

ところが、「作文にすると、どうも、メモをただつなげたような作文になってしまう。」という問題点が多くの人から指摘されています。そのような弱点を補おうということで、Tさんは、そのメモ(多くの場合、単語、短文)に主語や様子を表す言葉などを加えることによって、文章を膨らませたいということでした。
.
【例】すべすべしてた。
   ↓膨らませると   
   触ると皮がすべすべしていました。

こんなふうに書かせたいとのことでした。それが難しいということです。例え、そうなったとしても、文と文とのつながりが自然ではなく、一文一文が、孤立しているような文章になってしまうということが多いのです。

こんな感じです。

「豆に触ったらつるつるしていました。中を開けると、豆が並んでいました。ざるにいれて数えました。」

順序良く書けています。ですからメモの役割は果たせています。ところが、子供の意識の流れが切れているのです。

「順序良く書く」だけでしたら、これでいいのですから「メモをもとに順序良く書く」という狙いは達成できます。

(1) そのときの意識から離れてしまう問題

しかし、書いた子の気持ちやその時の心の動きだけでなく対象への関わり方が、かなり落ちてしまっています。

私はこのときこう言いました。
「つるつるしてた」という言葉に「触ったら」という言葉をくわえ「私が」という主語を加える、それによって文を膨らませて、
「わたしがさわったらつるつるしていました。」
という形にするという考え方に、問題があるのではないか。言葉を操作して文にしていくという考えに問題があるのではないかと言いました。子供がしたことや思ったことを作文に書くというのは、ある言葉に他の言葉を付け加えていくのではないということです。ある伝えたいことがあり、それをその時の、自分の意識にそって話すこと書くことだと思います。それが、言葉の操作のように見えるだけなのです。

おそらく、何かについて、<客観的にあるもの・こと>についての説明文でしたら、それでいいと思います。意識よりも客観的に存在するそのものの方に焦点が当たるからです。その最たるものが、機械などの使い方の説明書です。ここには、作り手の意識などいりません。

(2) メモが働くとき

そうだとするとメモが生きるのは、順序がかなりはっきりしていてあまり自分の意識の関わりのない事柄についての作文ということができます。「知子さんはどこでしょう」(迷子を捜してもらうアナウンス原稿・小学校2年生)などはメモが必要な作文と言えるでしょう。

ここで少しこれにふれておきます。迷子を捜すお母さんだとしたならば

  • 知子はどうして迷子になってしまったのでしょうか。
  • 今頃どうしているのかな。
  • ああ、私の不注意のせいだ。

など様々な、意識が働いています。しかし、迷子を捜してもらうには、これらは関係ありません。

迷子を見つけてくれる人々の視点に立って必要な情報を提供する。それはほとんど、他の子供(自分の子ではない)が迷子になったときにでも同じ視点です。かなり当事者の意識から離れた、客観的な視点です。それに従って、アナウンスの係の人に伝えなくてはなりません。それらを落ちなく伝えることによって、迷子が見つかるのです。だから、それらをメモに書いて、必要なことが書けているかをチェックすることに意味があるのです。

ところが子供が遊んだり学習したりするのはその対象への子供の意識が大きく関わっています。意識との関わりで行為があるのです。その場合は、自分の意識・思いが大切になります。

大きいなと思いました。こんな豆がどうしてできるんだろう。手に持ってみると、ぼくの手からはみ出していました。勇気君が、「重たいね」と言いました。ともちゃんは匂いを嗅いでいました。僕もまねをしてにおいをかぎました。「豆の匂いだ」と言いました。僕は、早く中を見たくなりました。

この文章ならば子供の意識の流れと行為とがかなり結びついています。おそらくメモをもとにしたら、こうはならないでしょう。メモの言葉によって、かえって、細やかな行為や意識が、消されてしまうからでしょう。メモによりかかってしまうといってもいいでしょう。

(3) メモの使い方を変える、使い分ける

順序よく書かせようとするとメモは必要。でもそれをもとにしたら、硬い文章になってしまう。

この矛盾を解決するには、したことや、出来事を書く作文では「メモを書いても作文を書くときには見ない」ことです。

メモを書くことによって順序よく思い出すことができます。そして、作文の中心(その中で大きく心が動いたこと)をはっきりさせることができます。もうこれで準備はいいでしょう。

それができたら、どこから書くかをイメージさせます。その書き出しの言葉を書かせてもいいでしょう。それを紹介してやるのもいいでしょう。(簡単な記述・構想の指導となります。)その後は、その時の意識の流れに沿って作文を書く。メモは見ない。それでいいのではないかと思います。もちろんどうしてもメモを見たくなったら見てもいいでしょう。

普通、メモを使う場合は、以下のような方法がとられています。

  1. どこを中心にするか決める。
  2. メモの中から、書くことと書かないことをえり分ける。
  3. 順番を確認する。
  4. はじめを決める。
  5. 終りを決める。

よく目にする指導法です。説明文ではうまくいきますが、短い時間の、したことや出来事を書く場合には、先にふれたようにあまり機能しません。

実は、ある短い時間の出来事を書くときには、多くの場合、詳細なメモは必要ないのです。むしろ、出来事からあまり時間が経過しないうちに、書きたいところを中心に作文を書かせればそれで順番もほとんどかけてしまうのです。

ですから、メモを使うのは「メモがなければ書けないという文章」のときです。それは、込み入った事柄を書くとき、長い間の出来事から取材して書く時、落としてはいけないことを伝える文章、効果的な表現にするために構成を考える時などです。集める・整理するというためにメモはあるのです。説明的な意識が働く作文にこそメモが必要なのです。

今回の小学校2年生の作文では、この内の集めるに当たるでしょう。そして整理ということでいえば中心をはっきりさせるということがそれに当たります。その中でもよく思い出すためにメモを使うことにウエートがありそうです。その程度に考えた方がいいでしょう。
(説明的な文章を書くときと出来事を思い出して書く作文には、意識の働かせ方にかなりの違いがあると考えています。いつか、この続きとして触れたいと思います。)

2 実践者プロフィール

今井成司先生
 杉並区教育研究会、元国語部長
 東京都杉並区三谷小学校を2007年に退職
 杉並区浜田山小・久我山小、立川第8小などで講師をした。
 現在、東京作文教育協議会・会長。日本作文の会会員。
 杉並区作文の会会員

 主な著書に
 ・「国語の本質がわかる授業1,2」(日本標準、編著)
 ・「楽しい児童詩の授業」(日本標準、編著)
 ・国語「教科書教材の読みを深める言語活動」 1年生
 ・国語「教科書教材の読みを深める言語活動」 2年生
 ・国語「教科書教材の読みを深める言語活動」 3年生

 などがある。

3 編集後記

作文を書くときにメモはどの程度必要なのでしょうか。メモをただ並べただけの文章になってしまうことはよくあります。説明文なら有効だが、短い出来事を書く作文ならメモは逆にいらないと、今井先生は言っています。どのようなツールも場面や用途、そして対象に応じて使い分けていくことが大切なのだと思います。
(編集・文責:EDUPEDIA編集部 宇野 元気)

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