無言授業のすゝめ ~のどが壊れて気が付いた大切なこと~

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無言で授業することは今までの自分の授業がいかに口先に頼ったものだったかを教えてくれた。これからは自分の言葉をダイエットして授業できるかもしれない。その分、子供たちから多くの言葉を引き出せる気がする。ぼくは口がきけなくなっても授業ができるという自信が付いたし、また新しい気付きのためにやるかもしれない。というか、みんな一度はチャレンジしてみることをお勧めします。

金曜の朝、突然声が出なくなった。

日頃、のべつ幕なくしゃべりまくっているぼくなので、正直かなり不安な一日の幕開けだった。

10月中旬からずっと休みなく働き続けていたし、特に下旬から研究会までの1週間は睡眠時間も極限状態だったので、「来るものが来たな」という感じだった。
せっかく声が出ないのだから(ってどういう神経)これをネタにしない手はない。いつものゲーニン魂がふつふつと湧き上がり、ついにマスクに細工をした。いちいち「声が出ません」って説明するのも面倒なんで×マークだ。

赤いバッテンのついたマスクをつけて歩くと子供たちはみんな笑って近づいてくる。「先生罰ゲーム?」「しゃべったらダメなの?」。ぼくの身振り手振りでみんな何となく分かったような。分からないような。とにかく噂はあっという間に広まり、クラスの子供たちが「すごい噂だよ」ってなぜかうれしそう。

朝の会は察した日直がテキパキと進めてくれた。子供たちはみんなニヤニヤ。なんかパントマイムみたいにジェスチャーするぼくがやたらおかしいらしい。問題は授業が成り立つのかということ。1時間目は国語「ごんぎつね」。前時に確認した課題は「最後の一文は必要か?」という話。

子供たちはそれぞれ一人読みをしてきているので、ぼくは無言で課題だけ書いて、手を挙げた子を順に当てて板書していく。子供たち同士で付け足したり、質問したりしながら授業が進んでいく。ぼくもハンドサインで「付け足しは?」なんて深めたいところで介入しながら進めていった。

無言で授業をしてみて思ったのは、いつもよりずっと子供たちの表情がよく見えるということ。

いつもは言葉に頼って子供たちの話をさえぎったり、切り返したりしてしまっていて、最後まで聞いていないのかもしれない。言葉でさえぎれないので最後まで一人一人の話をよく聞けた。

その結果、子供たち一人一人が満足できたようだ。45分で全員が1回以上ちゃんと発言していた。何も考えずにとにかく書いていっただけの板書で恥ずかしいけど、思い切ってUPしてしまう。

2時間目の体育、3~4時間目の図工の授業は声が出なくても全然問題ない。5時間目の理科は、録画しておいたNHKの「不思議がいっぱい」をぼくのケータイにコピーしてきて、ミラキャストで大型テレビに映す。最初に課題を書いて、途中まで見せて、話し合って、最後まで見る。
ぼくが使っているのはNETGEARのPush2TVっていう製品。

ケータイの画面をWifiなどのインフラなしにそのままミラーリングできるんだけど、これがものすごく手軽で便利。タイマーとか、写真とか日常的に活用し、もはや手放すことはできません。(写真はミラーリングしたケータイでTVを撮影。合わせ鏡。)

6時間目の算数は「計算のしくみ」のプリント裏表3枚。答えを黒板に貼って、ぼくは気になる子を回る。終わった子は困っている友達をサポート。ちょっと前までは班で括っていたけど、今は必要だと思う友達のところに自由に行かせている。子供たちはいつも的確に必要な友達を判断して取り組んでいる。

帰りの会の先生の話でもやはりさっきのミラキャストを活用。お絵かきソフトで言葉を書いて、順番に見せた。もしかしたら、言葉で言うより、子供たちに届いているかもしれない。なぜか一文字一文字みんな読み上げちゃってたもんね。

以上、無言授業のすゝめでした。

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