日本人学校基礎編 ~元日本人学校教師が語る!国際教育~ (中村祐哉先生)

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この記事は、上海日本人学校で教鞭をとられた中村祐哉先生へのインタビューをもとに作成したものです。前編「日本人学校基礎編」として、上海日本人学校でのお話を中心に、日本人学校やそこに通う子どもたちについて紹介しています。

後編「グローバル教育編」では、日本人学校で行われる外国語活動、国際理解教育を紹介します。

目次

  1. 上海日本人学校について
  2. 日本人学校の生活
  3. 日本人学校の子どもたち
目次

1 上海日本人学校について

  

— 先生が2年間赴任されていた上海日本人学校は、どういうところですか?

上海日本人学校は虹橋校・浦東校と二つのキャンパスをもっています。中国では,当局から一つの都市に同一国の外国人学校は一つしか認めないということになっています。上海日本人学校の場合は,在留日本人が多い関係で,上海日本人学校としては一つ,キャンパスは二つというスタイルをとっています。上海日本人学校が一つのキャンパスだった頃の最大時の児童・生徒数は約2300人でした。

私が勤めていた虹橋校は小学部だけで,浦東校の方には,小・中学部が併設されています。また,浦東校近隣の建物内には,日本人学校初の高等部も設置されています。高等部(高等学校)の設置があるのは,日本人学校では上海だけです。

上海日本人学校というのは,もともと補習授業校からスタートしています。補習授業校というのは,日本人学校とは異なる形態で運営をしている在外教育施設です。ヨーロッパやアメリカ合衆国に多いのですが,月曜日から金曜日までは現地の公・私立校に通い,土曜日・日曜日だけは,日本語能力向上を目指して,国語科や社会科・算数科等の授業を受けに来るという運営スタイルが補習授業校(文部科学大臣認定)です。日本の学校と同じ学習指導要領に沿って,同等・またはそれ以上の標準時数授業を行い,文部科学大臣からの認定を受けている在外教育施設が日本人学校となります。また,児童・生徒には,日本国内にある学校と同じ卒業資格を認められます。特別支援学級も設置していますが,上海日本人学校の場合は,教職員数の関係もあり,数十件のウェイティングが出ている現状があります。

学校設備等は,非常に整っており,タータントラックに全面天然芝のグラウンド・体育館も二つあり,両体育館共冷暖房システム完備。また,プールも屋内に設置されており,温水管理で一年中使用することが可能です。文部科学大臣の認定を受けている日本人学校ですが,学校自体を設置したのは,現地の日本人商工会などの場合がほとんどです。

つまり,学校の特性として,公的な側面と私的な側面の二つの側面がバランスよく合わさった学校と言えると思います。それ故,公立学校のようでありながら,授業料は頂くことになっています。そこが事務面では,一般の公立学校とは大きく異なるところかと思います。このように,公的側面と私的側面があると言われていますが,児童・生徒・教職員がその側面を意識するようなことはほとんどありません。

2 日本人学校の生活

海外にいたら日本の文化を感じにくいという面があります。だからこそ,学校の中では,日本の文化を感じてもらいたいという思いがあり,5月には,こいのぼりを揚げたり,正月には門松を飾ったりしますね。

 
— そういう方針は上海だけですか、どこの学校でも?

どこの日本人学校でも日本の行事・文化を取り入れているところは多いと思いますね。日本文化的なものを教材としながら授業や行事を進めていくことも多かった印象です。子どもたちに日本を意識させることで,子どもたちが現地で発信できることも多いのではないか,という思いが私の中にはあります。日本人学校では広島の小学校で指導していた経験を生かして,子どもたちの和太鼓演奏指導をして,和文化を児童に体験させる一場面にも就かせて頂きました。

 
— ほかに何か特徴はありますか?

年間標準授業時数も日本にある公立校と同じですが,世界に広がる日本人学校で大きく異なることの一つに,休日・祝日をその国のカレンダーに合わせるところがあります。教務部を中心に,年間授業時数を確保するために,ものすごく日程調整をして頂きました。例えば,上海日本人学校の場合は,20日程度で夏休みは終了します。日本のお盆明けあたりからは,授業を行います。その繰り上げた日程分,何日間も連続した休みというものが多い中国のカレンダーに当てはめていきます。計画的に授業時数を確保していかなければ,最終時数集計で標準授業時数が足りなくなってしまいます。もちろんそのようになったことはありませんが,そのようになってしまって困るのは子どもたちですので,授業時数は多く取っている場合が多いです。それ以外にも,中国の場合は,当局から突然,明日は休校にするよう通達がある場合があります。そのような急な事態になった場合にも,対応できるようになっています。

例えば,2010年の上海万博開催時には,明日から数日間を休校にするよう,子どもたちの帰宅後に通達があったと話をうかがったこともあります。急なことばかりですが,これはあまりヨーロッパにある日本人学校などではないことかもしれません。とにかく中国は,当局からの通達が全てでした。

 
— 年間行事はどのように行っていますか?

1学年の入学式から6学年の卒業式まで,日本の学校の行事と全く同様でした。遠足や社会科見学も同じように現地の公園やスーパーマーケットに行っていましたよ。

3 日本人学校の子どもたち

 
— 日本人学校にはどのような子どもたちが通っているんですか?

日本国籍を所持しているということがまずは,日本人学校の入学の条件になります。もちろん二重国籍の子どもたちは多くいましたよ。その中で,現地で生まれ育ったが,親御さんの方針で,日本の教育を受けさせたいので,と言われることがありました。日本人学校というのは,日本人の子どもたちが子女として生活している外国で,教育難民にならないようにというのがそもそもの日本人学校設置の意義です。現地で日本の教育を受けさせたいから,日本人学校に行かせたいというのは,意義としては少し違う部分があります。

また,日本語能力は,子どもがスムーズな学校生活を送るために重視しているところでもあります。先の意義にもあるように,日本人学校は,日本から一時的に子女として出国している児童・生徒のためにある学校で,日本語教育をおこなう学校ではありません。一般的な日本語会話能力は,編・入学前に求められます。
補習授業校では逆に,現地での生活の方が日本での生活よりも長い児童・生徒が多く,補習授業校でしっかり日本語を話せるようにしていきましょう,という面がありますね。

 
— 子どもたちはどんな様子でしょうか?

今,『学びのユニバーサルデザイン』といって教師側の指導法を揃えていこうという動きがありますが,日本人学校の場合は,各自治体の学校で取り組まれてきたそれぞれの良さを発揮される先生方に囲まれ,世界各地から集まる友達との出会いと生活こそが,多様な考えや文化を受け入れることができる土台作りとなるという雰囲気がとてもあたたかく良いところだと感じましたね。

日本人学校には,「泣いて日本人学校に来る子は,泣いて日本に帰る」ということわざがありました。「海外で生活したくない,友達と別れたくない。」と泣いて日本を出国する子どもたちですが,日本人学校に来てみると,教室にいる仲間は,みんな転入生なわけです。みんな転校生なわけだから,その子の気持ちはすごく分かるし,すぐに受け入れられて,打ち解ける。いじめゼロ・不登校ゼロは,日本人学校では本当に当たり前です。そんな中で,その環境を受け入れて,出会いにも,別れにも意味慣れている子どもたち。そういう子どもたちが集まって,多様な考えを受け入れるのにも慣れているから,ものすごく視野の広い子どもたちが育っている。新しいものを受け入れる,変化していくことは当たり前で,この子はこういう考えなんだね,ってお互いを認め合える子どもたち。それがこの日本人学校の子どもたちの一番の強みかなと思いますね。この子たちね,きっと世界中どこの国に行ってもうまくやっていける。そして,親御さんの帰任の際には,ことわざにあるような,今度は「日本に帰りたくない,日本人学校でみんなといたい。」って言って泣いちゃうのです。

 
— この子どもたちは、卒業後はどういう進路を選択するんですか?

私は,日本人学校勤務の最後の一年は6年生を担任していました。児童の転出も多いのですが,6年生の卒業を迎える時期になったら,親御さんが海外赴任をしていても,日本の私立学校を受験させるご家庭がとても多かったですね。日本の私立学校では,受験に際して,「海外子女枠」というのを設定している学校がすごく多く,面談試験で私立学校に入学が決まった児童も多くいました。続けて現地で生活を続ける場合,基本的には,日本人学校の中等部に進学することになります。他には,現地の学校に国際部(インターナショナルクラス)というのがあり,基本的に英語で授業を進めていくところに進級する児童もいました。

まとめると,日本に帰国して進学する子・現地で日本人学校に進級する子・現地でインターナショナル校や国際部の設定がある学校に進級する子,というような形ですね。

 
— 子どもたちの中には、やっぱり現地校がよかったっていう子はいるんですか?

それは少ない印象です。子どもたちは,広い視野をもっていて,その国のことが基本的には,好きなんです。

でも,やっぱりね,日本のことが大好きなんですよ。長期休み前になったら子どもたちの話題は専ら「日本にどれぐらい帰れるの?」って。「いいなー,二週間も帰れるんだ。」とかね。日本で同じ地方に一時帰国する子どもたちは,「日本に帰って遊ぼうよ」とか。そんな約束をしたりする児童が多かったですね。だから,居住している国のことは大好きなんだけど,日本に帰れることは,うらやましいし,子どもたちの楽しみの一つなんです。そこは,ここの子ども達だからこそある喜びですね。

 
— それは日本で生まれ育ったら想像が及ばない感情ですね。

そうですね。だから,例えば,広島で生まれ育っていても,この子たちはまずは,日本に戻りたいわけです。日本人学校では,やっぱりそういう風に日本を意識できる教育というものは,大切だと思っています。そこで「日本に帰りたくないや。」とか,「ここが最高だ。」っていう風になったら日本人学校での教育の意義っていうのは揺らぐと感じます。

現地を「第二の故郷」って思えることは,とても大切ですが,やっぱり子どもたちの故郷は日本。日本の教育を受けて卒業させる,日本に帰国することを前提とした教育というものが日本人学校での教育の意義としてある。そうであるならば,海外で居住している国だけに偏らないほうがいいんじゃないのかな,という思いもあります。そこが,海外子女教育の特性でもありますよね。

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5 実践者プロフィール

中村祐哉

 
1984年,広島県生まれ。
教育学士。専攻は中学・高等学校社会科教育,都市社会学。
 
公立小学校教諭。
元上海日本人学校教諭。
広島県国際理解教育研究協議会研究部長。
『学びの場.com ‐教育つれづれ日誌‐』(内田洋行教育総合研究所)教育連載執筆者。
 
大学を卒業後,22歳で公立小学校の教壇に立つ。以後,小学校教諭として勤務。2012年,上海日本人学校へ赴任。上海日本人学校社会科副読本教材『上海』編集委員を歴任。
 
公的な教育研究会講師(社会科教育・国際教育・ICT活用教育・学級経営論)として,自らの実践・研究・考察に基づいた教育実践事例発表や講話を行う。また,『社会科教育』(明治図書出版)をはじめとする教育雑誌,国際教育系機関誌や教育系ウェブサイト等のコラム執筆,単著本の出版からラジオのゲスト出演までその活動は多岐に渡る。
 
近著には,「上海の摩天楼を吹き抜けるビル風はどこに向かい 北京の五星紅旗はどこにたなびくのか」(ブイツーソリューション,2013年)がある。

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