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善悪より損得
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学級崩壊がさかんに取り上げられ出した頃からでしょうか、子ども達の善悪の判断基準が育っていないことに、愕然・唖然とすることが多くなりました。道徳心は学校教育の場だけで涵養できるものではなく、地域や家庭で育つ中で折に触れて善悪の判断ができるようになってくるものです。
1990年代の終わり頃、友だちに対して勝手気ままに振る舞い、手を出す・蹴るを繰り返す子供に
「そんなことを繰り返して、迷惑だろうが!友だちに悪いと思わないのか!!」
と強く叱りました。
その子どもは、"ポカン"としています。なぜそんなに強く叱られなければならないのかが分かっていない様子でした。あまりにも「分かってない様子」にこちらも呆気にとられてしまいました。
これまであまり本気で叱られたこともないようで、本当に「善悪」という観念が彼の中には育っていないようでした。
そこで、後日、同じような行為を繰り返している所をつかまえて、次のようにいい方を変えてみました。
「そんなことを繰り返して、みんなが迷惑に思っているのがわからないのか!友だちがみんな君のことをさけるようになるぞ!!友だちがいなくなったら、損だろう!」「友だちがいなくなって寂しい立場になってしまう君を残念に思うよ」
と、「善悪」ではなく、「損得」で迫ってみました。
すると、彼の目からは、ポロリと涙が落ちました・・・・
おそらく彼の中には善悪という観念がないのです。あるいは
善悪<<<損得
と目先の「損得」を最優先的課題として考えています。
・暴力に訴えるとすっきりするから得
・悪いことをしてドンちゃん騒いでいるのは楽しいから得
・みんなでいじめるのが楽しいから得
・あいつが悪いのだからやり返さないと損
・自分もやられたことがあるから、誰かにやり返さないと損
・みんなに同調していないと自分がはみ出すから損
こんなふうに考え方が凝り固まり、自分でも損得勘定から離れられないという場合が多いです。トラブル・いじめが悪いことぐらいは分かっていても、善悪の判断ではなく、損得の勘定を優先させることに凝り固まってで動いている事が多いです。おそらく親からも甘やかされてきて育ってしまい、善悪についてあまり教えてもらってこなかったのだと思います。あるいは親自身も損得勘定を優先した生き方をしているのかもしれません。
そんなところに「善悪」の判断基準をもっていこうとしても、自己を正当化してしまっている子どもにとっては、すぐには受け入れられない部分があるのでしょう。「善悪」という言葉には反応しにくいようですが、「損得」という言葉で語ってあげると腑に落ちるようです。
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指導より措置
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そんな子どもには、とりあえず厳しい「措置」を示し、実行していくことによって、「損」を分からせるのがいいのかもしれません。
トラブルを繰り返してその子供の周りには絶え間ない憎悪が産み出され、混沌としている状況があります。自分、自分たちではその混沌から抜け出すことができません。とりあえず、そこから抜け出す緊急避難的な手立ては必要です。
トラブルが多い子供には、現実的な「措置」を示し、実行していく必要があります。そして、その「措置」の結果、自分の「損」になることを分からせる必要があります。
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措置から指導へ、損得から善悪へ
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ただ、これだけでは「罰則」を与えているような雰囲気が残ってしまいます。損得勘定だけで動く人間を作っているのでは、教育とは言えません。
ですから、具体的で厳しい「措置」を示す、あるいは行ったうえで、
「あなたがしている行為はたいへんなマイナスな行為で、あなたにとってたいへんな損になる」「そんなことをしていると、あなたが、損をするのだよ」
と、その子どもの側に立ってあげることが必要な場合があります。
「あなたが、損をしているのは悲しいよ。残念だよ。」
「あなたにはこんなにいい所がある、素晴らしい素質がある・・・ほめる(過去のことなど)・・・のに、今のあなたを見ていると残念です」
と、共感的に寄り添ってみましょう。
そうして、だんだんと教師側の手の内にのせながら、「損得」勘定に縛られている状況から「善悪」で判断ができる子どもへと指導し、変えていきましょう。「善悪」の判断を育てるには人と人のつながりが必要です。教師とその子の間にあるつながりの中で、あるいは温かい学級集団の中で「善悪」の基準は育っていくものです。
私は、
善悪はつまり、集団としての損得
とも言えるのではないかと思っています・・・。子ども達がより広い集団の中での損得が判断できるようになるといいなあと思っています。
自分の損得 → 仲間内の損得 → クラスの損得 → 学校の損得 → 社会の損得 → 日本の損得 → 世界の損得
とより広い範囲での損得を想像する力がつけば、それは善悪の判断力がついてきたということになるのではないかと思います。子ども達がより広い社会の中での損得が判断できるようになるといいなあと思っています。
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