ごんと兵十は、わかり合えたのか《『ごんぎつね』より》(島袋光先生)

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目次

1 はじめに

本記事は、国語教師「竹の会」の定例会(2016年1月23日)で発表された、川西市立桜が丘小学校教諭 島袋光(しまぶくろ ひかる)先生による『ごんぎつね』(小4 光村図書)の取り組みをまとめたものです。先生が追究課題を達成するために、どの場面に焦点を当てて子どもたちに意見交流をさせ、読み深める力をつけさせたかなどがわかります。また、板書に吹き出しを付けたり、場面ごとのワークシートを準備したりして、白紙にいきなり書くのが苦手な子どもでも言葉を選びやすいようにくふうしておられました。

『ごんぎつね』の単元だけでなく、子どもたちの国語力をつけていく上で、授業の参考になさってみてください。

2 追究課題

<自己表現を楽しめる子を育てる手立てと工夫>
子どもたちに国語科の学習を通して、書くことを億劫がらず、自分を表現できる力をつけたい。

3 先生が課題にしたこと

①教師の出方について。

意見交流などの場で、教師が拾うべきだった子どもたちの言葉はなんだったのか、子どもの声を聞くことができていたのか。学習の記録をもとに、もっと勉強したい。参会者の意見を聞きたい。

②単元の構想について

当初は「起承転結」の“結”の部分がない作品なので、学習のまとめに、本作品のその後のストーリーを考え創作することを考えていた。それは、後話を見れば、子どもたちのごんへの思いや最後の悲劇的な幕切れをどうとらえたかを見ることができると考えたからである。しかし、子どもたちと学習をすすめていくうちに、最後に後話を考えることへの課題意識が薄れてきた。それは、ごんぎつねの持つドラマチックなストーリー展開という、「作品そのものの魅力」に子どもたちがどんどん引き寄せられていったからである。だから、学習の中での“聞き合い”によって登場人物のすれ違いや悲劇的な幕切れについてどっぷりと浸り読み深めた後、学習のまとめは後話をつけるのではなく、この作品の良さ、終わり方について感想文に書くようにした。

この単元構想について、参会者の意見を聞きたい。

4 本時の目標

(第6場面。ごんが兵十に撃たれるラストシーン)
①ごんと兵十の気持ちの変化について叙述をもとに読み深める
②ごんと兵十の気持ちの変化について叙述をもとに相手に分かるように話したり聞いたりする。

ごんと兵十はわかり合えたのか。また、どこでそれがわかるかを発表しよう

第6場面 子どもたちの考えが集中した46段落~48段落を抜粋
46段落:
兵十はかけよってきました。うちの中を見ると、土間に くりが固めて置いてあるのが目につきました。
「おや」兵十はびっくりして、ごんに目を落としました。
「ごん、おまいだったのか。いつもくりをくれたのは」
47段落:
ごんは、ぐったりと目をつぶったままうなずきました。
48段落:
兵十は、火なわじゅうをばたりと落としました。青いけ むりが、まだつつ口から細く、出ていました。

子どもたちのひとり学習のノートから、46段落で“ごんと兵十はわかり合えた”とする意見と48段落でわかり合えたとする意見の二つに分かれていました。なぜそう思うのかを子どもたちに問い、子どもたちが次の発表者を指名していきます。

整理できていない発言などもありますが、その言葉を受けながら、別の子どもが“こうではないか?”とだんだん聞き手にわかりやすいような言葉を選び、解説していきます。46段落で兵十が問う、47段落でごんがうなずく、48段落で火なわじゅうを取り落とす…。このやり取りのどこで“わかり合えた”とわかるのかということを聞き合いました。

段落の文章を読みながら、子どもたちが「兵十は、いつも栗をもってきてくれたのは、誰かな、神様なんかなって思っていて、ごんはうなずいて、“そうだよ”って気持ちを伝えて、最後には兵十が“なんで撃ってしまったんやろう”とか後悔しているからわかり合っていると思う」「青いけむりは、悲しみを表わしているような気がするし、そんだけ悲しみがあるってことは、わかり合ったということなんかなと思った」など、登場人物の感情を自分に照らし合わせて一生懸命考えている姿が伺えました。

本作品の“悲しい幕切れ”、につながる細く青いけむりに目をつけた子がいたり、つぐないがわかってもらえて、これからはひとりぼっち同士が友達になれたのに、…などの意見も出ていました。

ただ、わかり合えたところから、悲しいお話ではなく、あたたかい死だったのではないかという意見も出ていました。作品の中の重要な要素であるごんの「死」に対してどのように向き合うのかは、教師として悩まれるところではないでしょうか。

第6場面の振り返りとまとめの振り返り(各自、文章に書く)

この話の最後は、バッドエンドでなく、ごんのつぐないと気持ちはとうとう兵十には通じたのだから、ハッピーエンドとも言えるではないか…という意見が聞き合いのなかで挙がりました。

これを受けて、振り返りのノートには、子どもたちがそれぞれ理由を考えて書いています。「ハッピーエンドでもあり、死んでしまったのだからバッドエンドではないか」、「ハッピーエンドでもバッドエンドのどちらでもない」…など、他人の意見を聞いてはいるが、自分なりに根拠を上げて、それをもとに自分の考えを明確に書き表していました。

5 参会者からの意見など

教師の出方として、例会の参会者からは「46段階でわかり合えたとする少数派の意見から聞いたほうがよかったのでは」や「子どもたちから出そうなポイントとなる言葉を、教師から先に投げかけていなかっただろうか。意見を深めていくところはもっとたくさんの意見を出させたほうがいいのでは」「“わかり合う”というが、ほんとうに“わかった”のか。“わかる”とはどういうことなのか、“なにがわかったのか”…そこを深く考えることが大事。この学習でいえば、子どもたちが考え、伝える“わかり合えた”の意味と、教師がその言葉を受けとめたときの意味がほんとうに同じなのか。日頃から、子どもが伝えようとしていることを、教師がその言葉の持つ意味をできるだけ正確にしっかりと受けとめているのかどうか、考えさせられる題材となった」との意見がありました。

教師が出なければ、意見は拡散するだけになってしまいますし、どこかで軌道修正はしなければなりません。あまり枠にはめてしまっては子どもたちの自由な発想を止めてしまうので、タイミングと言葉の選び方は難しいと思います。

6 実践の感想

4年生の子どもたちが、本文を読み、整理の足りない発言があったとしても、口々に 発表者の言葉を拾ってはつなぎ、解説していく力があることが、学習の記録から見えてきました。

生徒数の半数以上は発表しているものの、一度も発表していない子どももいたようです。ただ、ワークシートなどを見ると自分の意見を書けてきているとのことでした。

全員が短い時間中にバランスよく発表することは難しいですが、自分の考えや感じたことを、自分の表したい言葉を選んで文章に記せるようになっているのなら、素晴らしい成長だと思いました。

種々のワークシートや、場面ごとの“まとめの板書”など、たくさんの言葉を聞き、目の前に言葉があふれていると、書くことが苦手な子どもたちも「○○さんの、こんな言葉が自分の考えにぴったりだな」とか「こんなふうに書くと読み手にわかりやすいのでは」と自分が文章を書くときのヒントになると思います。

学習の記録から、友だちの意見に共感したり、意見を聞くうち、「自分ならこう考えるのに」と反対の意見を言ったりもするが、否定をしているわけではなく、どんどん発表できるクラスづくりがすでに出来ていたと感じました。

7 実践者プロフィール

島袋 光先生
兵庫県川西市立桜が丘小学校 教諭
国語教師の会 「竹の会」所属 ※竹の会では、“子どもが生きる授業の改善”をコンセプトに会員たちが集まり、教材や授業を研究する定例会を年に10回ほど開催しています。ぜひ覗いてみてください。

「竹の会」のURLはこちら→http://takenokaikokugo.web.fc2.com/

8 資料

『ごんぎつね』(新美南吉作 光村図書小4)

9 編集後記

『ごんぎつね』は長く、そしてどの教科書にも登場する物語です。ごんの愛らしい姿が横たわるラストシーンがかわいそう…という印象しかもっていませんでしたが、島袋先生のクラスの子どもたちの「ハッピーエンドとも言えなくもない」という振り返りの文章を読み、急に明るい気持ちになれました。

子どもたちがいろいろな文章に出会い、友だちと意見を交わし合ってますます豊かに表現できるようになることを願っています。

(編集・文責:EDUPEDIA編集部 丸山明美)

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