担任の3K労働~危機管理について~(岡篤先生)

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目次

1 はじめに

本記事は、岡篤先生のメルマガ「623号~630号担任の3K労働19~3つめは危機管理」から引用・加筆させていただいたものです。
学級でいじめが起きたり荒れたりしないようにするためには危機管理をすることが重要です。その予防について紹介します。
岡篤先生のメルマガはこちらを参照ください。→http://archive.mag2.com/0001346435/index.htm

2 3つめは、危機管理

学級テーマと目標に関わる一連の取り組みについてふれてきました。これらが「基本方針」です。担任は、クラスを流れに任せるだけではなく、舵をとったり、スピードを変化させたり、することが必要です。それには、基本方針があると考えやすくなります。これが、担任の3K労働の2つ目でした。

危機管理

3つめは、危機管理です。私が、教職についた25年ほど前は、いじめや学級の荒れは、特別なことでした。「いじめをする子がいなければいいけど、どうかな「クラスが荒れなかったらいいな」といった心境だったような気がします。いつのころからか、とてもそんなことは思っていられないと覚悟するようになりました「いじめは、起きるもの」「クラスは、手を加えなければ荒れるもの」と考えるようになりました。となると、担任の仕事の1つに危機管理が入ることになります。危機管理には、予防と治療があります。

3 予防と治療

危機管理には、起こってしまったことへの対応である「治療」と、起こらないようにする「予防」があります。前号にも書いたように、若い頃は、「いじめをする子がいませんように」「クラスが荒れませんように」という程度の思いはありましたが、そのための手立てを明確に意識して、実行するということはありませんでした。つまり、「予防」はしていなかったということです。

目は曇っていないか

予防の意識がないということは、治療が必要になって、初めていじめや荒れに気づく、ということにもなりがちです。「いじめをする子がいませんように」「クラスが荒れませんように」という、考えようによっては、当事者意識が弱い状態では、もしかしたら、いじめや荒れの芽を見逃しやすくなっていたかもしれません。現実を見る目が曇っていたかもしれません。

■あると思っていれば

今は、いじめや荒れはどのクラスでも起きうると考えています。したがって、予防を行うのは絶対に必要だということにもなります。予防の一つは、雑談です。
 

■雑談の効用を再認識

雑談の学級経営上の価値を痛感したのは、高学年を担任したときのことでしたそれまでも、私は子どもの話を聞くという態度はとっていたつもりでした。何か言いに来たら、後回しにせずできるだけそのときに聞いていました。そして、それに対して、何らかの考えを伝え、できることは実際に行動することを意識していました。クラスで何かを決めたり、伝えたりするときも、できるだけ全員の前で話し、「質問はないかな」「これでいいですね」と確認していました。

高学年女子との関係

 
このクラスには、とても乱暴な言葉を使う女子がいました。思い通りにいかないとものすごい剣幕でどなりちらします。私がいうことも全く聞かず、露骨に無視をしたり、キレた態度を見せたりしていました。その子に対する不満も高まっており、それはそれでこちらに向いてきて、本当にしんどい状態になっていました。ある日の放課後、偶然運動場でクラスの別の女子数人と話をする機会がありました。といっても、私のイメージする「話し合い」ではありませんでした。初めは、たわいもない話題だったのが例の女の子のことに話が移りました。(きた…)というのが正直なところです。 

■不満が次々と

「あの子さあ…」そこからは、不満が次々と出てきました。他のことなら、「じゃあ、先生から言っとくよ」「みんなで話し合おうか」と終わっていたでしょう。しかし、話題の子の場合、いくら私がいっても無視するだけです。それがわかっているので、私の口からは、煮え切らない言葉しかでてきませんでした。つくづく自分が情けなくなりました。

■答えられなかった自分を反省

放課後の運動場のことでした。クラスの女の子たちが不満をぶつけてきました。しかし、話題の子との関係は悪く私が何をいっても変わることは考えられませんでした。話をしていた女の子たちは、一通りの不満を吐き出すと「まあ、先生もたいへんやあ」と帰って行きました。私は、悄然としていました。

■解決の見通しなし

不満の対象となっている子は、勝手で言葉遣いも悪く、不満を持つのも当然です。しかし、私に対して反発しており、指導の言葉は無視されています。不満を解決する可能性はとても低いのです。だから、それらしい答えも、今後の方針を伝えることもできませんでした。子どもたちは、情けない担任だと思いながら帰って行ったことでしょう。予想通り、不満の対象となった子の態度は一年間、変わることはありませんでした。

■教師としての経験

 
放課後の運動場でただ不満を聞いていただけの時間は、解決にはつながりませんでした。それでも、教師としての私には貴重な経験となりました。その子たちの中の1人の子が翌日、日記に書いていたことでその内容は、二重に驚かされました。

■翌日の日記

10年以上前のことですが、不満をぶつけてきた子の1人の日記は、その字まで思い出すことができます。二重に驚かされたからです。その日記によると、あの後、帰りながら話したことは、私が覚悟していた情けない担任だと非難するようなものではなかったようなのです。
 

■聞いてくれるようになった

その子たちで話していたのは、「岡先生、最近話を聞いてくれるようになったよね」ということだったというのです。二重の驚きとは、以下です。

それまで私は話を聞かない先生と思われていたこと

何も答えらしきことを言えなかったのにそのことの不満がなかったこと

それまで、何かを決めたり、伝えたりするときは、公平に、全員に、と意識してきました。「これでいいかな」「質問は?」もくり返してきました。しかし、こんな聞き方だけでは、彼女たちにとって「話を聞いてくれた」とは感じなかったわけです。前日の放課後の運動場のような、喜楽に本音を言い、それを聞くことが彼女たちにとって、「話を聞いてくれた」ということだったわけです。全く理解できていなかったことを思い知らされました。

■もう1つの驚き

自分自身の思いとは逆に私が彼女たちにとって、「話を聞いてくれない先生」だったことがショックでした。そして、もう1つは、私が答えを出せなかったことへの不満が全くでてこなかったことです。つまり、彼女たちにとっては、答えを出してもらい、解決することが第1ではなかったということです。

■勘違い野郎

私は、授業中に全員の前で「質問はないですか」といったことを尋ねるのが、きちんと聞いたことになっていると思っていたようです。だから、話を聞いてくれていなかったと思われことにショックを受けたのです。そして、子どもには必ず答えや指示を出さなくてはならないとも思っていました。だから、答えを言えずに終わったことを反省したいたのです。ところが、どちらも違っていました。前日のように、ただ雑談を交わして耳を傾けるだけでも、「聞いてくれた」と感じる場合もあることを知りました。

それ以来雑談を意識する

その子の日記を読んでショックを受けて以来、私は雑談を意識するようになりました。元々、私は子どもとの関係を作るのが下手です。だからこそ、関係が成立してなくてもできる「基礎作業」ということも思いついたわけです。しかし、思い直すと関係づくりが下手な理由の1つは、雑談が少なかったためがあるかもしれません。

効率と実質と

いかに効率よく、短時間で事務的なことを終わらせるかということは意識していきました。その考えは、大切だと今も思います。ところが、もしからしたらその思いが強すぎて、「雑」談は無駄なことだと無意識のうちに思っていたのかもしれません。すぐに成果が出ることではありません。それでも、雑談によるコミュニケーションは、子どもとの関係づくりに役立ち、学級経営にも結果的につながります。実質的には、雑談は有意義な時間でもあります。雑談は、危機管理のうちの予防にあたると考えるようになりました。

治療の前に予防を

学級担任の仕事の中に「危機管理」を入れて考えるようになりました。荒れ、いじめ、不登校、といったことがどの学校でもどのクラスでも起きうると思うようになったからです。であれば、当然予防を考えるべきです。その予防の一つがストレスの解消です。

ストレス解消の手立て

ストレスの解消といえば、スポーツが浮かびます。私は、なんとなくのお楽しみでスポーツをすることをあまりよく思っていませんでした。休み時間と同じではないかと感じていたからです。ストレスの解消が学級経営上、重要な課題で、その手立てがスポーツということであれば納得できました。今から思えば、子どもも単に勉強を避けるためにスポーツをしたがっていたというだけではなかったのです。もう一つは雑談です。

4 執筆者プロフィール

岡 篤(おか あつし)先生
 1964年生まれ。神戸市立小学校教諭。「学力の基礎をきたえどの子も伸ばす研究会(略称学力研)」会員。硬筆書写と漢字、俳句の実践に力を入れている。

5 書籍のご紹介

『読み書き計算を豊かな学力へ』2000年

『書きの力を確実につける』2002年

『これならできる!漢字指導法』2002年

『字源・さかのぼりくり返しの漢字指導法』2008年

『教室俳句で言語活動を活性化する』2010年

6 編集後記

自分は耳を傾けているつもりでも子どもにとってはそうではないこともあります。そこにまず気付くことが初めに重要なことだと感じました。雑談こそ子どもにとっては話を聞いてもらっているという実感があるようです。学級の危機管理の一つとしてこのような方法を意識してみてはいかがでしょうか。

(文責・編集 EDUPEDIA編集部 福山浩平)

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