自我を育てる指導 育てない指導(岡篤先生)

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作成者:福山 浩平 (Edupedia編集部)さん

1 はじめに

本記事は、岡篤先生のメルマガ「教師の基礎技術~いもほりに参加できるか~70号~76号」から引用・加筆させていただいたものです。
この記事では本を元に知性と自我について書かれています。自我と知性がどのように関係して伸びていくかを考え、そのうえでどのような指導が効果的かを紹介しています。
岡篤先生のメルマガはこちらを参照ください。→http://archive.mag2.com/0001346435/index.htm

2 実践内容

認知脳科学から得たもの

私が今までに何度も読んでいる本で役に立つものがあります。
それは『幼児教育と脳』(澤口俊之 文春新書)です。


この中でガードナ−の6つの知性の考え方をベースにした認知脳科学の考え方が書かれています。それによると、人類の知性は8つに分けられるということです。言語・絵画・空間・論理数学・音楽・身体運動・社会・感情の8つです。これが、教科に対応しているところがおもしろいのですが、照らし合わせてみると、国語・図工・(空間)・算数・音楽・体育・道徳または学活(社会・感情)となります。(空間)のところは、ある部分は社会の地図、あるところは数学の空間や図形、そしてときには体育の感覚が入るのかもしれません。これが脳の各部分の働きと一致しているというところがまずおもしろいと思いました。単に、実験や観察と考察から導かれた物ではなく、脳の構造がこうなっているということです。さらに、このときもっとも目にとまったのは、以下の記述です。

「さらに、これら八つの知性を総括し、コントロールする知性、いわば『超知性』としての『自我』がある。この超知性は、多重知性の監督者、スーパーバイザーのような役割をもっており、別格な位置にある。」

ここの部分は、文章だけなのですが、私にはある図が思い浮かびました。

■イメージ図

『幼児教育と脳』には、この自我と8つの知性についての図は載っていません。ただ、この図を思いついたときから、子どもの理解がとても明快にできる場面が増えました。脳科学の理論からずれていたとしても、私にとっては、意味があり、重要な図ということです。きっと、読者の中にも役に立つ方がいるだろうと期待しています。さて、図の説明です。まず、自我を横長の楕円形で描きます。この楕円形の下から蛸の足のように8本の細長い短冊が出ています。この長方形が知性です。この自我と知性は、人にとって大きさや形に差があります。人間的にもすばらしく、知性の8つの分野が全て優れているという完璧な人の場合、楕円形も大きくきれいで、短冊も最大の長さになっています。では、問題行動や苦手のある子どもを例に考え見ましょう。

■自我が育っていない場合

例えば、運動が苦手な子の場合、身体運動的知性の短冊が短くなると考えます。しかし、他の短冊や自我の楕円形は十分な大きさをしています。では、A君のように、視力はふつうの子と変わらないのに視線がなかなか定まらない、自分の関心のあることなら集中して見ることができるがそれが他の子よりもかなり限定されている、という場合はどうなるでしょう。私のイメージでは、空間的知性のような見て理解する部分の短冊はふつうの子と変わらないのですが、自我の楕円がかなり小さいとなります。あるいは、形もきれいな楕円ではなく、とげとげしていたり、ごつごつしているようなもの感じです。ここでの自我は、アクセル・ブレーキ・ハンドル・フォーカスの働きですから、見る力はあっても自我のフォーカスがうまく働かないので、なかなかそのとき見るべきものに視点が定まらないと考えられます。ただし、自我が充分育っていても、苦手なことがあるのは注意すべきポイントです。

■自我と知性の関係

自我も知性も年齢や経験と共に成長していきます。ところが、自我がうまく育っていないといくら経験や学習をしても短冊が育ちにくくなります。また各短冊が育つ場面が少ないと自我も育ちにくいということになります。逆にいうと、自我が育つことで各短冊も育ちやすくなり、各短冊が育つ場面では自我にもよい刺激を与えているということです。つまり、自我と各知性はお互いに成長の刺激を与えある存在でもあります。

■自我と知性の中では

自我と8つの知性の理論の中では、知性面を鍛えたり、伸ばしたりすることで、自我も育つと考えています。その逆もあります。つまり、計算力を伸ばすとその過程で自我も育つわけです。もちろん読み書き計算だけが自我を育てるわけではありません。リコーダーの練習に取り組んでうまくなっていったり、ある曲が上手になったりすれば、自我は育つでしょう。鉄棒で逆上がりができるようになる、縄跳びで二重跳びができるようになる、これも同じような効果が期待できます。逆に自我が育たないような取り組み方もありえます。

■自我が育たない場面

計算で自我が育つ、と書きました。しかし、どんなやり方をしてもというわけではありません。できるだけ悪い状況を想定してみます。

  • 子どもの限界を超えるような大量で、長時間の練習をさせる。
  • できたことをほめるのではなく、できないことをけなし続ける。
  • 他の子と比べて否定的な言葉を投げつける。

こういった中で仮に計算が練習によってできるようになったとしても、自我は育たないはずです。計算部分の知性は少しは大きくなったでしょうが、自我の方は、むしろ小さくなっているかもしれません。あるいは、形がいびつになったとも考えられます。もちろん、子どもの自主性のみに委ねて、できなくても、やらなくても、ほったらかしでは、計算部分の知性も自我もどちらも育たないことになります。ときには、叱ったり、強制したり、そしてほめたり、自主性をうながしたり、といったバランスが求められるのが難しいところでもあります。

■体罰と自我

最近よく話題になっている部活での体罰は、恐怖によって練習させるという意味で、その種目の部分はある程度は伸びるのでしょうが、肝心の自我の方の成長は考えにくいということになります。最近では、生活や部活以外の学校生活も含めて指導していくことで、結果的にクラブ活動の成績も上げているという指導者が目につくようになった気がします。これは、社会的知性や感情的知性も含めて、知性を全面的に発達させることで、自我も充分伸ばしているのでしょう。時間はかかりますが、充分に育った自我は、結果的に身体運動的知性、つまり部活の部分も豊かに育てる可能性を持ちます。

■ほめること、伸びを実感させること

計算にもどって考えると、結局以前100マス計算と人格のことで書いたようなことになります。

  • 自分の伸びをタイムや正解数などで実感しやすくする。
  • わずかでも伸びたことをほめる。
  • 苦手な子でも伸びるように、継続的に取り組む。
  • 負担感が大きくなりすぎないように、量を調節する。
  • 問題の書き方など特別な配慮が必要な子がいる場合、対応する。

以上のようなことを考えているうちに、特別支援の視点から取り組んだり,理解しようとしてきたことが実は全ての子どもに関わることということがやっと分かってきました。くり返しになりますが、人格の完成を目指すという意識があれば、大きく方向がそれることはないということです。

実際の問題行動への対応

ある時、低学年の男の子がある女の子の掃除の方法が気に入らず注意しました。(この低学年の男の子をA君とします。)女の子の掃除方法は間違っていないのでA君を引き離しました。するとA君は興奮します。女の子は仕方なく従いましたが他の女の子がそのA君に逆に注意し、暴れ始めました。そこで仕方なく押さえつけました。しばらくすると興奮は収まりましたが固まってしまいました。一度固まってしまうと無理に動かしたり、余計な声かけをするとかえって長引いてしまうことも分かっていました。A君は、暴れているときに私が押さえ込んだ場所に座ったままです。私は、とりあえずクラスの他の子をいもほりの集合場所へ連れて行くことにしました。教室を出てから約15分が過ぎました。おそらく、今頃はA君も気持ちの上ではやや冷静になっていると思われます。

■「固まる」から「座り込む」への変化

教室にもどると、まだA君は座り込んでいましたが、場所を移動しています。強く固まっているときは、場所も移動しません。表情ももう興奮状態ではありません。手足も動いており、「固まっている」から、ふつうに「座り込んで動かない」になっていました。まだ動くことはできないようですので、教師机の椅子に座り、雑用をしているふりをしました。ほんの1,2分ですがこの間、A君の頭の中では、「いもほりが終わったらどうしよう」という思いが出始めているはずです。

■「座り込む」から一押し

しかし、ここであせってまた固まらせると、もういもほりには間に合いません。私は私で、落ち着かなくなってきました。A君の方へ歩いていくと、「ちょっと、どいて」と、わざとA君の近くの本棚から本を取り出しました。このとき、A君は一瞬抵抗しようと体を固めましたが、自分に対してでの言葉ではないとわかり、体を横にずらしました。こちらの指示に対して、その通りに動けば、ほぼもどっています。私は、「ちょっと立って」と続けました。戸惑う様子を見せながら,A君は立ちました。もう大丈夫です。いもほりに行きたくてたまらないはずです。そのきっかけをこちらが作ってやればいいだけです。私は、いもほりに戻るそぶりを見せ、「行くぞ」と厳しめの声をかけました。A君は、すぐについて来ようとしました。私を横から抜いて、畑の方へいそいで行こうとしました。「ちょっと、待て」A君は、驚いたように振り向きました。顔がこわばりました。叱られると思っているのです。ここで、最後の一押しです。

■「対応」の後にすべきこと

ここまでは、全てA君に合わせて周りが動いています。元々は、勝手に他の子の掃除が間違っていると思い込み、執拗に絡み続けたことがきっかけです。それに対して本来、指導をするべきでした。しかし、固まっている子どもには、何を言っても無駄です。むしろ、ますます、態度をかたくなにし、こちらもその様子に感情的になってしまいます。私は、「クールダウン」という特別支援用語を知ってから、こういうときは、間をあけて様子をみることにしています。これは、指導ではなく、「対応」だと考えています。このときのA君に対しては、ここまでが「対応」です。しかし、「対応」だけで終わっては、好き放題にしていたのと動きとしては、同じです。

「指導」とは

ふつうの状態にもどった直後というのは、なぜかふだんよりも素直になっています。怒鳴ったり、脅しつけたりする必要はありません。諭すような言い方で充分です。時計を見ると固まり始めてから30分ちょっとでした。

■山ほどの失敗からの教訓

いつも、こんなふうに予定通りの展開になるわけではありません。感情的になってますます固まる時間を長引かせてしまったり、ずっとほっといて謝るきっかけを与えなかったり、といったこともありました。失敗を山ほど積み上げている中のわかりやすい例を取り上げただけです。ただ、ときには教師の善意での「指導」もタイミングが違うことで逆効果になるということは、貴重な教訓でした。

3 執筆者プロフィール

岡 篤(おか あつし)先生
1964年生まれ。神戸市立小学校教諭。「学力の基礎をきたえどの子も伸ばす研究会(略称学力研)」会員。硬筆書写と漢字、俳句の実践に力を入れている。(2017年5月3日時点のものです)

4 書籍のご紹介

『読み書き計算を豊かな学力へ』2000年

『書きの力を確実につける』2002年

『これならできる!漢字指導法』2002年

『字源・さかのぼりくり返しの漢字指導法』2008年

『教室俳句で言語活動を活性化する』2010年

5 編集後記 

自我を育てるうえで必要なこととやってはいけないことが書いてありました。
また、「対応」と「指導」についても紹介されていました。
是非、児童の対応の際に使ってみてはいかがでしょうか。

(文責・編集 EDUPEDIA編集部 福山浩平)

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