部活動指導における体罰について ~新しい時代にふさわしいコーチングとは?~(大阪体育大学・土屋裕睦教授)

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作成者:山本 裕佳 (Edupedia編集部)さん

1 始めに

本記事は、2017年9月30日にスポーツ心理学、スポーツカウンセリングを専門分野とされている大阪体育大学の土屋裕睦教授に取材したことを編集・記事化したものです。心理学的観点から見て、学校の部活動指導における体罰がどうしていけないことなのか、どうして体罰が正当化されてしまうのか、どうすれば体罰を根絶できるのか、などのお話を伺いしました。

2 インタビュー

 体罰をしてはいけない理由

 体罰について、土屋教授の考えをお聞かせください

体罰はいけません。それ以上でもそれ以下でもないです。学校教育法の第11条にも「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない」と明確に規定されています。

私は心理学的に4つの理由から、体罰がダメだと考えています。しかし、その前提にまず、生徒の人権侵害にあたるということがあります。教職を学ぶ人は必ず日本国憲法を学びますよね。なぜ学ばないといけないか分かりますか? 私は、先生が生徒の人権を侵しやすい存在だからだと思います。先生という力のある立場にあることで、無意識に生徒の人権を侵してしまう危険性があるのです。だからこそ、先生は憲法を学ばないといけないのです。

①生徒の自主性が伸びないため

心理学的な理由の1つ目として、叩かれてやる気になっている人は「自主性」が伸びないということが挙げられます。なぜなら叩かれるのが嫌でやっているので、内発的な動機づけからではないからです。やる気になるのは、先生に怒られるのが嫌だからという外発的な要因があるからです。生徒はその瞬間にやる気になったフリをしているだけであって、本当に心の底からやりたいというものがないので、指示されないとやらなくなってしまうのです

②先生の性格が豹変してしまうため

2つ目は、「先生が本来の性格から豹変してしまう」という問題があります。スタンフォード大学の監獄実験を知っていますか? 無作為に集めた人たちに看守側と囚人側で分かれて演技をさせたところ、いつの間にか看守側が囚人側に酷い暴行を行ってしまうという結果になったのです。元の性格にかかわらず、密室という空間のなかで優劣の立場の関係をつくると暴力が行われやすくなるのです。もともと良い人なのにも関わらず暴力的になるのです。部活動、特にスポーツ指導は密室で行われやすいので、そのために体罰が起こりやすくなるのです。
 体罰が問題になった学校ではどんな相談があると思いますか?「体罰で苦しかった」という声も無くはないのですが、「あの先生は良い先生なんです」と言われることが多いです。実際に部活指導の先生は本当に熱心で「良い」先生が多いです。ところが、先生は部活中に豹変するのです。しかし、叩かれたり蹴られたりしている本人たちは「先生は自分たちの為にやってくれているんだ」と、囚人と同じ心理状態になってしまうのです。これが心理学的に見て2番目に怖いところです

③生徒の自尊感情がなくなるため

3つ目は自尊感情がなくなってしまうことです。自分が叩かれているので、自分のことを尊いと感じる自尊の気持ちがなくなっていくのです。例えば、しつけなどで体罰を多用する家庭で、叩いたり、蹴ったりするという親のもとでは、鬱や自傷行為の割合が多いということが統計的に分かっています。そのような環境では自分のことを尊いとは思えませんよね。
 特に小学校・中学校でずっと叩かれているというのは深刻な影響があるでしょう。そこですごく傷ついて学校に行けなくなったり、部活動を辞めたりする子は多いんですよ。

④世代間で連鎖するため

最後は、連鎖するということです。体罰を受けた子がみんな部活をやめてしまうわけではなく、その環境に耐えて最後まで部活を続ける子も当然いますよね。その子たちがコーチになるんですよ。この子たちは「叩かれて強くなった」と信じているのです。だから、体罰をするんです。これは全国大学体育連合の調査によると、体罰を受けたことがある人と、ない人達に、自分が将来指導者になった時に体罰は必要ですか?というと、受けたことがある人は「必要」、受けたことがない人は「必要ない」とはっきりと答えが分かれるのです。

 では、どうして体罰が正当化されてしまうのでしょうか?

体罰をしてしまう先生には事実に基づかない間違った信念を持っています。それは、叩かれて強くなったという認識です。例えば学力は勉強すればするほど、ずっと一直線上に伸びていくものでしょうか。違いますよね。学力がずっと伸びていったなと思ったら、一生懸命に頑張っているのにも関わらず、ある時にストンと落ちて伸び悩む。競技力も同じで、ずっと右肩上がりで直線状に伸びていくわけではなく、山あり谷ありなんです。これを学習曲線と呼びます。

では叩かれるのはいつでしょうか。もちろん、このストンと落ちている時ですよね。でもその時期に叩かれなくとも、そこで頑張って基礎練習を積み重ねていけばおのずとまた競技力は上がっていきますよね。叩かれて強くなったというのは、スランプになって叩かれた時期と競技力が上がった時期が重なっているので、そう思ってしまうのです。
 Sports Illustrated(アメリカのスポーツ週刊誌)の表紙を飾ると、競技力が下がってしまうというジンクスがあるのですが、これも要するに週刊誌の表紙を飾るほど競技力が上がりきったためにスランプに陥ってしまうということなので、別に表紙になったからといって競技力が下がるということではないんです。それと同じように、「叩かれて強くなった」というのは誤った考え方なのです。

次に生徒が強くなったのは、体罰をするほど熱意のある先生だったということも見落とされがちではないかと思います。体罰をしたからではなく、体罰以外のいろんな強くなるための厳しい練習を先生が課してくれたからこそ、生徒は強くなれたのです。
 例えば、「バレーボールのレシーブ30分しますよ」となったときに、皆さんはこれを体罰の一種だと思いますか? バレーボールのレシーブ30分は、スポーツ界では「反復練習」になります。スポーツ科学的に認められている強くなるための練習方法なのです。しかし、その後に何かの理由で叩いてしまったらアウトです。それは強くなるために必要な練習ではないですからね。なので体罰と強くなるための厳しい練習を区別し、明確に線を引くことが大切です。

 これからの部活動指導について

 これから体罰をなくしていくにはどのようにしていけばいいでしょうか?

体罰をしたコーチは罰せられます。そうして罰せられた人は、「自分はこんなに家族やプライベートな生活を犠牲にして、こんなに生徒たちのことに打ち込んでいるのに。辞めさせるなら辞めさせればいい。もう生徒の面倒は見ない」というように不満を抱いてしまいます。
 しかし、日本の部活動を支えているのはこうしたボランティアのコーチや先生たちなので、そういった人たちが報われるようにしなければなりません。こういった体罰をする人たちの心情を汲み取り、どうしたら体罰をしなくても済むかということを一緒に考えていくことが大切です。

スポーツカウンセリングルームには体罰をしてしまう指導者が来談することがあります。カウンセリングルームでは、体罰教師を罰するようなことはしません。むしろ、彼らの話を傾聴することで、体罰指導に代わるより良いコーチング法を見出だそうとします。そんな取り組みをしていると「なぜ体罰がダメなのか」について、こうした結論に至るのです。すなわち———「僕たちは、未来からスポーツを託されているからだ」

 体罰容認派の先生に分かってもらうにはどうすればいいのでしょうか?

近い立場の人と自分の経験の話をする機会を持たせることです。例えばインターハイに出場して、優勝した経験のある人がいたとします。その人に「君、インターハイ優勝だよね?練習の時に相当叩かれたんじゃないの?」と聞いたとき、その選手が「いや、自分は叩かれたことないよ。でも、コーチが自分で考えなさいって人だったからとても厳しかったよ」と話すと、自分は叩かれて強くなったけどそうじゃない人もいるんだ、と体罰容認派の人の認識が変わるんです。
 先ほど述べたように、体罰は連鎖します。生徒が体罰を受けてよかったと思ったら、自分も先生になったときに生徒を叩くのです。今、僕たちはそのバトンを託されています。ですから、次の世代にいい形でバトンを渡すために、一番よいコーチングを問い続けないといけません。どこまで行っても終わりはないので、考え続けること、学び続けることが必要です。

 そういった先生は多忙で、新しい情報に触れる機会が少ないのではないでしょうか?

そうかもしれませんが、工夫次第ではないでしょうか。例えば、土日、先生方は部活の練習に行って何もしないかというと、そうではありません。そこではいろいろなコーチと触れ合って、自分以外のいろいろなコーチングを見る機会があります。ですから、大切なのは、外に目が開かれるかどうかという話だと思います。学び続けるという意識があるかどうかということです。

他国と比較してみますと、日本のコーチングの養成システムはとても優れています。日本体育協会のカリキュラムなどはとてもしっかりしたものです。ただし、コーチにとって一番コアな部分である、「なぜコーチをやっているのですか」「あなたがコーチをすることは社会にとって、またはあなたの人生にとってどんな意味があるのですか」といった理念や哲学のようなものが薄いのではないかと思います。そこを問い続けていくと、最終的には「僕たちは、未来からスポーツを託されている」という結論に繋がっていくのです。

 体罰に代わる指導において重要なことは何でしょうか?

「やらされているのではなく自分の意志でやっている」という自律性、「やったらできる」という有能性と、そして「このメンバーでやっているから楽しい」という関係性が大切です。このうち特に重要なことは、生徒は「やったらできる」と思わなければやる気にならないということです。そういった有能性をどうやって持ってもらうかが大切です。できないことを罰するより、「やったらできる」ということをどうやって分かってもらうかに注力するべきです。そして、そのためには生徒に挑戦をさせることが大事です。失敗して叩いていては挑戦しなくなります。罰するのではなく、生徒の可能性を伸ばすことにエネルギーを注いで、たとえ失敗することがあっても、「君ならできる」と言い続けてあげてほしいです。

 では、専門家ではなく学校の先生からできるサポートとは何でしょうか?

自分がしたことのない専門外のスポーツ指導を担当するのは大変なことだと思います。しかし、教師は、子どもをどう育てるかについてのプロです。ですから、先生はスポーツの技術指導はできないけれど、顧問はできます。たとえば、「近くにソフトテニスの上手な人がいるから練習方法を聞いておいで」「自分でいろんな本を調べてどんなトレーニングが必要か考えてみて」というような声かけはできるでしょう。運動部指導では、指導・監督をすることより、生徒の自主性を伸ばす相談相手、すなわち「顧問」であるべきです。
 叩いたり蹴ったりしながら「監督」をしていることがそもそもおかしいのではないかと思います。今一度、「監督」から「顧問」に戻り、自らのコーチングについて考えてみませんか。

3 土屋裕睦教授プロフィール

つちやひろのぶ。大阪体育大学教授、学長補佐。博士(体育科学)。
1964年5月岐阜県生まれ。筑波大学大学院修了後、中国復旦大学へ留学。帰国後、筑波大学文部技官、助手を経て現職。体育系大学の学生相談室でスポーツカウンセラーを担当する他に、プロスポーツチームや社会人、さらに日本代表チームにてメンタルトレーニング指導を担当。2012年の体罰問題を受けて、文部科学省「スポーツ指導者の資質能力向上のための有識者会議」(タスクフォース)委員、日本体育協会「コーチ育成のためのモデルコアカリキュラム作成」ワーキング座長を歴任。体罰問題の根絶に取り組んでいる。

4 著書紹介




他、文部科学省「新しい時代にふさわしいコーチング」(学研パブリッシング)、よく分かるスポーツ心理学(ミネルヴァ書房)、コーチングに役立つ実力発揮のメンタルトレーニング(大修館書店)、スポーツメンタルトレーニング教本−改訂増補版(大修館書店)、等。
なお、こちらでは、大阪体育大学での体罰根絶への取り組みの様子が公開されている。

5 編集後記

子どもたちにとっても、部活動指導をなさっている先生にとっても、体罰というものは悪影響しか与えません。しかし、このまま体罰が連鎖してしまうことで、後々の世代まで残ってしまうことがとても恐ろしいことだと感じました。
 まだまだ根強く残っている体罰問題ですが、一人一人が門戸を開き、よりよいコーチングを学び続けることで、体罰容認派の先生方が「体罰がなくとも厳しい指導ができる」ことを理解していただけたらと思います。
(取材・編集:EDUPEDIA編集部 山本裕佳、津田佳歩、中澤歩)

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