生徒と共に社会問題と向き合う~第59回読売教育賞最優秀賞受賞「社会問題と葛藤する―知的障害者のきょうだい―」楊田龍明先生の実践

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目次

1 はじめに

本記事は、第59回読売教育賞 社会科部門で最優秀賞を受賞した「社会問題と葛藤する—知的障害者のきょうだい—」を実践した楊田龍明先生へのインタビューをまとめたものです。生徒たちと共に、知的障害者についてとことん考える授業をしたいという想いから生まれた授業です。先生自身が社会問題と向き合い、徹底的に調査をしており、生徒の内面・本音を引き出す実践となっています。こちらから、楊田先生ご本人執筆の実践報告書をご覧になることができますので、ぜひご一読ください。

*出典:第59回読売教育賞受賞者論文集より
楊田龍明「社会問題と葛藤する—知的障害者のきょうだい—」2010年11月1日発行

2 インタビュー

①実践に至った経緯

生徒たちが障害児のことを「ガイジ」と呼んでいるのを耳にして不快感を抱いても、強く指導できなかった自分を振り返り、「知的障害者について何も知らない」ということに気づきました。

生徒たちが「ガイジ」と口にするのも、知的障害者について何も知らず、考える機会もなかったからではないか。そう思い、知的障害者について考える題材を探し始めます。

中島隆信『障害者の経済学』、渡辺一史『こんな夜更けにバナナかよ』、横塚晃一『母よ、殺すな』などさまざまな本を読み、「知的障害者」についてのイメージを膨らませていきました。しかし、生徒に知ってほしい事柄はいくつも見つかるけれど、どのような授業をすべきなのか、ますます分からなくなっていきました。

あるとき、インターネット上の掲示板「知的障害者のきょうだい」と出会います。「妹が重度の障害を持っており小さなころから差別・偏見を受けながら育ってきた」「姉が知的障害を持っており、恋人に嫌われたくないから話せない」「介護疲れで母が亡くなり、重度の知的障害を持つ叔父が死ねばいいと思った」など、知的障害を持つ家族を疎ましく思う自身への嫌悪感や社会の偏見に苦しみ、板挟みになっている様子が生々しく書き込まれていました。

掲示板を読んで、知的障害のある妹を持つ友人が私に言った「当事者でない人に知的障害者のことが分かるとは思わない」という言葉を思い出しました。彼のような、障害者が身近にいる人の言葉と向き合うことが、「社会にある課題と葛藤する」ことではないかと考え、「知的障害者のきょうだい」を切り口に授業を行うことにしました。

(実践報告書pp.67-69「テーマに行き着くまでの道のり」「ある掲示板との出会い」より一部抜粋)

—「知的障害者のきょうだい」実践の構想に至った経緯を教えてください。

すべての始まりは、2003年、光市母子殺害事件を題材に、死刑制度について考える取り組みを中3公民の授業で行ったことですね。このときは、被害者遺族の本村洋さんをお呼びして、中学生と「罪を償うとは何か」などについて議論する取り組みを行いました。私自身が社会科教師として目指すものが明確になりました。それは「社会にある答えの出ない課題を生徒と一緒に葛藤する」ということです。それ以来、この実践を越えるものを作りたいという思いがあり、必死で題材を探していました。
少年法などいくつか実践を重ねましたが、私自身が無我夢中になって葛藤する教材にはなかなか出会えませんでした。「答えはこうだと言えないものは何なのだろう?」と考えた末に、「自分自身も知的障害者のことを知らない」という事実に気づいたのです。
「知的障害者」をテーマにしようと決めてからは、興味の惹かれたシンポジウムや研究会などに参加し、さまざまな本をむさぼるように読んでいました。

—ありとあらゆるところにアンテナを張って、教材集めをするのが大切ということでしょうか。

そうですね。学校は閉じた空間ですから、社会とつながる努力はしています。社会にアクセスする方法は、「本を読む」「映像を見る」などいろいろあります。私はけっこう怖いもの知らずなので、「会いたい!」「気になる!」と思った人に手紙を書いて、実際に会ってお話を聞いたりしています。教材を探す中で「アトリエインカーブ」という知的障害者のアーティストスタジオを知りました。この活動を取材した読売テレビに意見・感想を送ると、番組プロデューサーの方から返事を頂き、たくさんのアドバイスを貰いました。生徒が葛藤する教材を探すためには、教師がその社会問題に無我夢中になるのが理想です。また、社会にアクセスをして、つながりを増やしていく努力をする必要があると思います。

②生徒の本音を引き出す

夏休みに、掲示板「知的障害者のきょうだい」を読んだ感想を作文にする課題を出します。提出された作文には、『兄バカと障害者』と題されたものがありました。

「小学4年生の弟が知的障害を持っており、この掲示板を読んで共感すると共に将来の不安を感じました。今でこそ、同学年の普通の子からも親しくしてもらっていますが、大きくなると世間の風当たりが冷たくなるでしょう。身内に障害者がいるだけで自分自身の結婚が難しくなるとは驚きです。それでも、自分と弟は兄弟なので、一生付き合わなければなりません。将来の自分にはどうか親バカならぬ”いい兄バカ”になってほしいです」

・・・赤裸々な「当事者」の作文に戸惑いましたが、当事者含め生徒全員にとって必ず意義のある授業をしようと決意を新たにします。生徒の作文をまとめた冊子「知的障害者のきょうだい」を作成し、2時限にわたる授業と対話集会を行いました。

2時限にわたる授業では、知的障害者をきょうだいに持つ当事者との対話集会に向けて、「知的障害者をきょうだいに持つ立場について考える」「障害者に対する見方、イメージを変える」ことをねらいとして、提出された作文や映画、テレビ番組などをもとに、生徒たちの思考を深めていきました。

(実践報告書pp.69-75「生徒の課題から」「1時限目『きょうだいという立場』」「2時限目『障がい者に対するイメージを考える』」より一部抜粋)

—この実践では、生徒たちの「本音」をたくさん引き出していると感じました。生徒たちが率直な意見を言えるような環境づくりとして心掛けていることは何ですか。

教師が自分自身の話を率直にすることです。教材を探すなかで出逢った人や体験したこと、誰かに相談して気づいたこと、自分の疑問を生徒に話すようにしています。その話の中で実践の動機や狙いを伝えるようにしています。

—教師自身が本音で生徒と対話することが大切なのですね。それでも、率直な意見をなかなか言えない生徒に対しては、どのように対応したら良いのでしょうか。

「社会問題について葛藤する」実践では、必ず「言いたくないことは無理に表現する必要はない」と伝えてありますので、「目を背ける」生徒もいます。ただ、それは単純な課題放棄ではありません。センシティブな内容なので、課題に取り組むのが難しかったり、テーマの当事者だったりするなどの事情を生徒が抱えている場合があるので、その悩みを丁寧に聞いてあげます。時には深刻な悩みをカミングアウトしてくれる生徒もいるので、こちらとしても真剣に向き合う必要があります。

③保護者の方に向けて

—生徒に対してだけでなく、保護者の方に対して何か配慮なさっていることはありますか。

保護者の方に向けて、「実践の動機やねらいが何なのか」について教材の中で文章化するようにしています。「知的障害者のきょうだい」実践では、私が実践に至るまでの経緯を文書化したものを教材の中に入れました。自分自身がどうしてセンシティブな内容を扱おうとしたのか、そして、扱っている内容がセンシティブなものであることを理解しているということを示し、誤解を受けないように配慮しました。
こちらから実際に楊田先生が作成した文書をご覧いただけます。)

④当事者との格闘

授業の締めくくりとして、知的障害の妹を持つ当事者の方に来て頂いて対話集会を行いました。その「当事者」は同僚の先生でした。生徒たちにとっては中学一年生の頃から4年間、授業や行事などで身近に接してきた先生です。

彼に「”障害者の兄”として『対話』してもらえないか」とお願いした結果、彼自身の中に改めて葛藤を生じさせてしまいました。心苦しかったのですが、最後には「自分自身の気持ちを整理するためにも、生徒と対話してみる」と言ってくれました。

対話集会では、「障害のある方とのコミュニケーションはどうしたらいいのでしょうか?」という質問に対して、「外国人と話すとき英語が話せなくても、何を伝えたいのか分かろうとするのと同じように、妹と普通に会話はできないけれど、何をしたいのか知ろうとしているだけです」という答えが返ってきたように、考えてみれば「当たり前」の回答ばかりでした。

それでも「結婚相手の方の反応はどのようなものでしたか?」という質問で空気が変わりました。

「結婚直前に、妹のことを知った妻は絶句しました。”なぜか怖い”と泣かれてしまいました。」

結婚や就職などの人生の転機にこそ、語られず考えられずにいた事柄が表面化するのでしょう。

この質問を皮切りに何人もの生徒から手が上がりました。最後は「きょうだいの夢は何ですか?」という質問に対して、先生が妹さんへの思いを語り、対話集会が終わりました。

(実践報告書pp.75-77「当事者との格闘」「当事者との対話集会」より一部抜粋)

—当事者の生々しい声を聞くと、自分の今までの考え方や価値観を揺さぶられて、モヤモヤしますよね。当事者の方にお会いすることは、大事になさっているんですか。

とても大事にしています。むしろ、私自身が話を聞きたくなる人を探しています。
「戦争体験者の人から話を聞く」ということを例に出すと、「何歳で」「どういう立場で」「どういうシチュエーションで」戦争を体験したかによって、語る言葉が違います。戦争体験者だからといって、全員が憲法9条改正に反対とは限りません。どういう人に当事者として語ってもらうかは重要です。こちらが質問をぶつけたくなるような物語を持つ、魅力にあふれる人に出会えたときはワクワクします。
ただ、当事者と生徒たちが直接対話するタイミングは単元の終盤です。いきなり当事者の方を前にしたら、「これを聞いたらまずいのではないか」と率直な意見を言いにくいですよね。最初は、自分の中にある偏見や先入観や、どうしてもぬぐい切れない嫌悪感・恐怖までさらけ出してほしい。そのために、関連する記事・文章の感想文や、身近な人へのインタビューをするといった課題を出したり、生徒同士で話し合ったりして、テーマへの理解を深めていきます。
しかし、当事者がいない空間なので、上から目線の議論になりかねないという怖さはあります。だからこそ、私自身はあらかじめ当事者に会って話を聞いています。自由に発言する空間を保障しながら、最後は当事者に会い、生徒たちが自分のモヤモヤをぶつける、というところをゴール地点に置いています。

⑤今後の展望

—今後はどのようなテーマで「社会問題を葛藤する」実践をしていきたいとお考えですか。

私がいま取り組んでいる実践は、「はたらくことのリアルに迫る~過労自殺~」(※)です。過労死・過労自殺が社会問題になっていて、命を犠牲にしてまではたらかざるを得ない現実があります。「自ら生命を絶つ前に、そんな会社は辞めればよかった。自殺するのは自己責任ではないのか?」。この問いは容易に答えられるものではありません。また、身近なはたらく人への長時間労働やハラスメントについてインタビューをさせています。「仕事を辞めたいと思っても、家族に心配をかけたくないから言えない」という現実を聞き取った生徒たちは、真剣に話し合っています。

※「東京学芸大学附属高等学校研究紀要」第55号で詳述

⑥楊田先生のこだわり

—最後に、「社会問題と葛藤する」ことにこだわる理由を伺いたいと思います。

「他者との対話」・葛藤があって初めて、社会の一員であるとの実感や手応えが得られると思っているからです。
情報化社会の中で不条理な出来事が日々伝えられます。しかし、私たちはその瞬間に怒りや悲しみは覚えても、「立ち止まって考えること」はしません。繰り返される不条理な情報を刺激の強弱で処理しています。情報の多さに感情を浮かび上がらせることができず、他者の苦しみや悲しみへの感受性が失われています。だからこそ、他者の話にじっくりと耳を傾けることがシティズンシップ教育を深化させていくと思っています。

3 実践者プロフィール

楊田龍明(ようだたつあき)先生
2000年、私立高槻中学・高等学校社会科教諭に着任。
「死刑制度を考える〜光市母子殺害事件〜」(2003年)、「知的障害者のきょうだい」(2009年)、「軍国少年が味わった小さな物語のこれから」(2015年)、「はたらくことのリアルに迫る」(2017年)など生徒と共に社会問題と葛藤する実践を行っている。
2016年、東京学芸大学附属高等学校公民科教諭に着任。日本社会科教育学会所属。
(2018年4月時点のものです。)

4 編集後記

私が楊田先生と出会うキッカケは、「シッティングバレーボール(障害者スポーツ)を題材に、障害者と健常者がどう向き合っていくのかを考える」実践(※)を参観したことでした。「障害者と健常者が対等に向き合っていければ理想だけれど、なかなかうまくいかないから議論になっているんだ」という本音を生徒が発言している場面に遭遇し、「これは本物の社会科・公民科の授業だ」と直感しました。楊田先生の実践の肝は、「生徒と共に」葛藤していること。先生自身が「詳しく知りたい」と熱烈に感じたものや違和感を覚えたものを、徹底的に調べ、人と会い、話を聞き、授業にしています。先生自身が悩み、葛藤して授業を企画しているからこそ、生徒たちもついていくのだと思います。

※「東京学芸大学附属高等学校研究紀要」第55号で詳述

(取材・編集:EDUPEDIA編集部 山田駿亮)

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