大村はまの実践に学ぶ~学習記録~

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作成者:大山 瑞稀 (Edupedia編集部)さん

1 はじめに

大村はま最後の勤務校・東京都大田区立石川台中学校にて開催された「大村はま記念国語教育の会」平成29年度研究大会では、「いきいきとした言語生活者が育つ国語単元学習—大村はまの実践に学ぶ—」という研究主題で、実践研究発表やワークショップ、大村はま先生の教室で学んだ方々の鼎談などが行われました。
 本記事では、石川台中学校で大村はま先生の教室で学んだ3人の鼎談について特に「学習記録」に関するお話をまとめています。登壇されたのは、苅谷夏子さん(昭和46年卒業)、小林亜里さん(昭和46年卒業)、内海まゆみさん(昭和49年卒業)です。
 なお、大村はま先生に関連する記事や著書などについては以下の記事をご覧ください。

≪関連記事≫

言葉に細やかに目を向けていくために~文集交流と「オノマトペ草子」作り~(山本賢一先生)

「大村はま氏について~日本の国語教育のパイオニア」

「大村はまと話し合い教育」

2 鼎談

○大村はま先生の教室で実際に学んだ生徒の経験談

教師は渡し守。自分でできるようになったと生徒自身に思わせる手引きを。


(写真:鼎談の様子「大村はま記念国語教育の会」2017年11月12日撮影)

苅谷:大村教室で培われたものを語りながら、お2人に自己紹介をしていただきたいと思います、それではよろしくお願いします。

小林:はじめまして、京都から参りました小林と申します。私は教師ではないので、本日の「大村はま記念国語教育の会」に参加されている教師の方々と比べると“教える”という立場からは遠いところにいます。
私は昭和45年、苅谷先生と同じ時期に入学して昭和47年の3月に卒業しました。出身は東京なのですが、もう30年近く京都に住んでおりますので、今日は卒業以来はじめて石川台中学校を訪れて、「うわぁ、ここで学んだんだなぁ」と懐かしく思っています。
石川台中学校に通っていた3年間、大村はま先生のもとで毎日ゴクゴクと水を飲むように教えを受け、それを当たり前のように飲み干して、ごちそうさまと言って中学校を卒業し、それからずっと前に進んできました。これまでは大村先生から学んだことをきちんと振り返る機会がなかったのですが、今日この時間をいただけたことをとても嬉しく思います。

中学校を卒業してから都立高校に入学し、大学は文学部の文学科に進学しました。大学を卒業する際にどのような職業に就こうか、どういう社会に出て行こうかと考えたとき、「やはり自分は、言葉を使って世界と戦っていきたい」と思ったことを今でもはっきりと覚えています。
言葉や文字をツールにして社会で生きていくために、大学卒業後は新聞社に就職しました。そこで数年間は記者として新聞記事をつくっていたのですが、仕事を重ねるうちに自分のやりたいことがだんだんと見えてきたので、そこから出版社に転職して雑誌と雑誌編集のお仕事をし、20年近くが経過しました。その後は引越し先の京都の博物館のお手伝いや、フリーライターをしていたのですが、縁あって現在は「西陣テラ」という竹紙専門店のオーナーをしています。これまでの仕事は新聞記者や雑誌編集者など紙を使う側の人間でしたが、竹で紙をつくる方法を学んで感銘を受け、自分で竹の紙を製作したり、その製作方法や竹の紙を使った商品の魅力を1人でも多くの皆さんに紹介しています。


(新聞記者→雑誌編集→竹紙製作)

このように私が今まで経験してきた仕事は複数あるのですが、自分としてはそれほど大きく仕事が変わってきた感覚がありません。なぜならこれまで経験してきたどの仕事にも、その根底には自分が興味・関心を持ったことについて企画を立てて、テーマを決めて、それを言葉を使って人々に伝えていくという共通項があったからです。


(興味を持つ→働く→社会に提供する ※どの仕事にも「言葉」が必要であった。)

そして、私が“言葉を使った仕事”を選んできた理由は、やはり石川台中学校時代に大村はま先生に教えていただいた言葉の教育が自分の血となり肉となり骨となって、自分の中でしっかりと生きているからだと思うのです。これまでは、自分に身についている言葉の力は、自分がこれまでの経験から無意識的に獲得してきた力だと思い込んでいたのですが、3年ほど前に実家の整理をしていた際に私が中学校時代に大村はま先生のご指導のもとで作っていた「国語学習記録」と「読書記録」を読み返したときに、自分に身についている言葉の力の土台は大村先生がつくってくださったのだと気がつきました。幸いにも「国語学習記録」と「読書記録」を見つけられたことは、大村先生から中学校時代に教えていただいたものの大きさに気づかされるとともに、「こんなにお世話になったんだな、これがあったから今の自分があるんだな」という感謝の念を改めて感じさせてもらうきっかけになりました。

苅谷:小林さん、ありがとうございました。つづきまして、内海さんに自己紹介をしていただきたいと思います。よろしくお願いします。

内海:私、今この体育館のステージに座りましたら、13歳になってしまいました。どういうことかといいますと、私が当時中学生のときに先生方を前にして、古典や宮沢賢治の『風の又三郎』などたくさんの作品の冒頭部を、この体育館のステージで発表したことを思い出したのです。それから、今私が座っているステージから見て前方に元図書室が見えます。大村先生の国語の授業は、あちらの元図書室で行われていたので、今私がお話ししている様子を大村先生が見ていらっしゃるように思うと、背筋が伸びるような思いです。私は昭和47年から3年間、大村先生にお世話になりました。当時大村先生から教わったことはいくつも覚えているのですが、そのなかでも印象的なものとして次のようなお言葉があります。

自分のした事に対して一生懸命やりましたというのが自分への甘えです。

「頑張る」という言葉には「頑を張る」—つまり自分本位の考えを押し通すという意味があります。だから私は皆さんに「頑張れ」や「頑張りなさい」とは言いません。

私は30年以上教師をしているのですが、自分のしたことについて「一生懸命やった」と思ったり、自分の生徒に「頑張れ」と言ってしまうため、時に大村先生のお言葉を思い返しては反省しています。また、

「聞こえません」と言うのは相手を責める言葉です。たとえ相手の声が小さかったとしても「申し訳ありませんが、聞き取れなかったのでもう一度言って頂けませんか」と伝えるのです。

という、社会の礼儀についても教わりました。なので私の生徒が「聞こえません」と言ったときには大村先生に成り代わって、生徒に同じ言葉を伝えています。

生徒に「静かにしなさい」というのは、教員として恥ずかしいことです。

ということも仰っていました。しかし私自身はどうしても「静かにしなさい」と言ってしまうことがあります。教師が生徒に「静かにしなさい」と言うのは恥であるという大村先生の言葉を胸に、反省を繰り返しながら日々の授業に臨んでいます。そして先ほどの小林さんのお話にも通じるのですが、

生徒が自分の力で生きていく力を身につけさせる、それも先生に教わったからできるようになったのではなく、自分でできるようになったと生徒自身に思わせるような手引きをしなさい。

そのようなお話もあったように思います。私も小林さんと同じように、自分自身で育ったというように思いながら中学校を巣立ち、月日を重ねてから大村先生から教わったことの大きさを実感しました。大村先生の教え子には、私たちと同じように感じている方も多いのではないでしょうか。大村先生のご著書である『教えるということ』の一節に、

私は渡し守のような存在だから、向こうの岸へ渡ったらさっさと歩いてほしいと思います。後ろを向いて先生先生と泣く子は困るのです。どうぞ、新しい世界へ新しい友人を持って新しい教師について自分の道をどんどん開拓していきますように。

とあります。しかし、実際の私は中学校を卒業して高校に進学してからも、何度も石川台中学校の図書館を訪れ、大村先生に会いに行きました。大村先生が必ずいらっしゃる図書室は今でも私の故郷だと思っています。石川台中学校の図書室は国語の授業が行われるところであり、私たちにとって驚きと発見の場所でした。いかに生徒達が自主的に、そして意欲的に学習に取り組むか、大村先生は図書室を活用して工夫を凝らした演出をしていたため、大村先生の授業のもとでの図書室はまるで知識の遊園地のような場所になりかわりました。先生は中学校に入学したての私達に

中学校は子どもで入学して、大人で卒業する学校です。

と仰いました。このお言葉の通り、大村先生は私達に対して日常的に少し難しいことや厳しいことを仰っていました。自分にとって難しかったり厳しかったりする課題や指導を受けると、「私はまだ子どもなのに、どうしてそこまで言わるのだろう」と思う反面、少し背伸びができることでよい気分になることもありました。私達のような教え子にとって大村先生は、巧みな言葉の使い手であり人生の羅針盤だったと思います。大村先生とのエピソードで、私が特に大好きなお話を2つご紹介します。1つ目は米びつのお話です。お米は1粒取っても2粒取っても変わりませんが、1年間取り続けたら違いがよく分かるようになりますよね。これと同じように、勉強を1日サボっても分からないけれど、いつか自分がサボってしまったことが表面に出てくるという戒めをこめたお話です。

そしてもう1つは、大村先生が女学生だったの時のお話です。私の知っている大村先生は字が大変美しく私も憧れていたのですが、先生が仰るには女学生だった当時は字がとても下手だったそうなのです。そこで女学校の先生に「どうしたら字が上手になりますか」と伺うと、「ほんの少し前より上手に書くようになさい」という指導を受けて、その言葉のおかげで字が美しくなったそうです。

この2つのお話は、ちょっとの努力とちょっとの向上心が自分を変えていくのだということではないかと捉えています。私は大村先生から、自分の成長というものは自分の努力なくして身につかないということを教えていただきました。

苅谷:内海さん、ありがとうございました。

○「学習記録」について

「学習記録」は先生と生徒たちで作り上げる、世界で一冊の「学習の歩み」

苅谷:小林さんのお話にも登場した「学習記録」とは、一般的な「ノート」とどこが違うのでしょうか。

小林:いわゆる、黒板を写し書きする意味での「ノート」とは全く違うと思います。先生が書かれたものを書くというよりは、自分で読み取ったことを記入する欄や、必要なことをメモする欄がありました。


(画像:中学校の最初の授業での“学習記録”の手引き ※大村はま『大村はま国語教室 第4巻』「昭和54年度 学習記録の書き方 例」筑摩書房.1983.を基にEDUPEDIA作成)

私の「学習記録」を読み返すと、すごく書き込んでいるところもあればほとんど書いていないところもあります。書いていないところに関しては、自分がその授業の中に入りすぎて書き込めなかったところだと思います。

内海:「学習記録」は大村先生から伺ったことをメモし、そこから自分が考えたことや感じたことを書いています。まさに「学習記録」は大村はま先生と生徒たちが作り上げた、世界で1冊だけの学習の歩みではないかと思います。これまで書き上げてきた「学習記録」は先生に提出します。先生は提出された記録を見て総括を行い、生徒に返却します。「学習記録」は学習の歩みであると同時に、先生と生徒の往復書簡のような役割がありました。

苅谷:つまり大村先生は、黒板に書いた文字を写せばいいというような授業をしていたわけではないということですよね。思い返せば、大村先生は授業中にあまり板書をしていなかったように思います。大村先生の教室に行くと、すでに今日やる最低限のことは黒板に書いてありました。前の休み時間のうちに前もって書いていたのです。いつもは必要最低限のことを書いていましたが、時には授業の板書の内容がそれだけの場合もありました。

小林:たしかに大村先生の板書の部分はとても少ないので、40人いたら40通りの「学習記録」ができますね。また「学習記録」を提出して大村先生からコメントが返ってくるのは、学年のはじめまででいつも返ってくるものではなかったように思います。また、「学習記録」からいえることは、ノートはこういう書き方でなくてはならないというものではなく、自分が学んでいることを記録するものなんだなということです。私は授業が面白くてしかたないときは、熱中しすぎて「学習記録」をとる手を止めてしまいます。特に言葉の分類が面白くて記録どころではなかったという覚えがありますね。そういう意味では「学習記録」というのは記録されていないページにもドラマがある、本当に広い世界を見せてくれるものであり、簡単に「学習の記録である」と言い切れないものであるように感じます。

苅谷:お2人は、学習を記録としてまとめることについてどう思っていましたか。

内海:私は生まれて初めて徹夜をしたのが「学習記録」をまとめるときでした。表紙を描く作業、目次を書く作業、ページを写す作業、あとがきを書く作業を通してやっと完成したときは、最後まで作り上げた充実感というものを味わう間もなく疲労困憊して国語の授業に持って行きました。とても大変な作業ではありましたが、このような形にしていただいたことは本当にありがたかったと思います。

小林:私は「学習記録」に目次をつけるまではしなかったので、内海さんのような目次がついた「学習記録」はかっこいいなぁと思いますね。そういった作業を全部通して、オリジナルの一冊が出来上がったときは、自分の背が伸びたような感覚を抱きました。中学生のとき「学習記録」をつくったという経験と自信が、のちの新聞記者や雑誌編集の仕事に役立ったと思います。

苅谷:板書を写すことがメインの一般的なノートは、ページをめくると日付順になっていますが、「学習記録」はあえて日付をバラバラにして綴じますよね。色々な資料をノートのように日付順にファイルに綴じることは工夫に欠けていると思うのです。参考資料として配布された紙は参考資料の項目でまとめて綴じた方がよいのではないかとか、授業中の作業記録と手引きとして使った文書は別に綴じた方が見返すときに便利なのではないかとか、そのようなレイアウトを決めるのも難しかったように思いますが、私達はどうして「学習記録」を楽しめたのでしょうか。

内海:一言で言えば、作り上げていくことが面白かったからではないかと思います。何度も授業を重ねて「学習記録」の作成にも慣れてきたとき、いつもと比べてあっさり書いたことがありました。それでも書けたような気持ちになっていたら大村先生が私の「学習記録」を見てとてもがっかりされてしまったんです。私はあとがきに書くことはまえがきに書いたから、あとがきはきちんと書かなくてもよいのではないかと思っていたのですが、大村先生は、「あとがきは全てを振り返っての総括なのだからまえがきに書いたからといってあとがきに書かないのは違いますよね」と仰いました。それからはあとがきの大切さを意識しながら作成しました。毎回の授業での作成や苅谷さんが仰ったレイアウトを工夫することは大変な作業でしたが、「学習記録」を作成する作業を通して、すべてのページに含まれている自分自身の成長のエピソードを振り返ることができることが、「学習記録」を楽しめた理由だと思います。

3 書籍紹介

4 編集後記

「学習記録」を通した授業内容や、生徒との対話のやり取りなど、実際に大村はま先生の授業を受けていた方々の貴重な鼎談から、大村先生の授業づくりや生徒指導観などを伺うことができました。大村教室で培われた「言葉の力」をお仕事で発揮されたり、大村先生のお言葉を思い出して自分を律するなど、大村先生のもとを巣立ったあとも、大村先生と共に人生を耕し道を拓いてきたご経験がご登壇された方々のおちからの源泉になっているように感じました。
 本記事を作成するにあたり、登壇された苅谷夏子さんをはじめ多くの方々に多大なるご協力をいただきました。本記事を公開できましたことを、この場をお借りして心より御礼申し上げます。
(編集・文責 EDUPEDIA編集部 大山瑞稀)

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