しっかりと挨拶をさせるために(校門編) ~子供たちの「面倒くさい」に負けない

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「惰性の目標」になっていませんか

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しっかりと挨拶をさせるために(学級編) ~子供たちの「面倒くさい」に負けない | EDUPEDIA

小学校の教育目標(教育計画)の中に、「挨拶」という文言が入っているケースはけっこうあるのではないでしょうか。重点目標であったり、具体目標であったり、生徒指導の目標であったりするのではないでしょうか。教挨拶は週間目標や月間目標にもなることが多く、やたら「挨拶をしましょう」という言葉を言う機会、聴く機会が多いなあと感じます。員が当番で朝の校門に立って挨拶運動をしている学校も少なくないと思います。教員に加えて、子供たちが一緒になって挨拶当番をしている学校もあるでしょう。校長が校門に立つ学校もよく見かけます。元々は中学校に多く見られた活動ですが、私の勤める自治体では2000年以降あたりから小学校でも多数の学校が挨拶運動をするようになりました。

なぜ毎年「挨拶をしましょう」という目標が担ぎ出されるかというと、挨拶をすることが学校では大事だと考えられているからだと思います。「大きな声が出せること」「自分から人に関わること」「礼儀正しく人と接すること」等は、学校社会で生活していくにあたって重要であると多くの教員に目されているということなのでしょう。また、社会で生活していくにも挨拶は大事であると多くの教員は認識しています。地域社会、会社等組織できちんと挨拶ができることは人とのつながりを築いていく上で、欠かせないと思う教員は多いと思います。

私の親は戦前生まれなので、近所の子供を評して「〇〇君はきちんとできているのに、〇□君は挨拶もできないなんて親はどんな教育をしているのだろう。」などとよく言っていました。「お前も近所の人には絶対にきちんと挨拶しなさいよ」と、口酸っぱく言われました。「挨拶ができる」ことは、地域社会にとってスタンダードだったのです。

ところが、社会の変化に伴って「挨拶」の様相もどんどん変わっていきます。子供だけではなく、大人まで挨拶ができなくなってしまいました。私の家の近所の人たちも、しっかりと挨拶をしてくれる方がいる一方で、こちらから挨拶をしても挨拶が返ってこない人が何人かいます。無視をするのです。大人にも、子供にも、そんな人が何人かいます。
地域社会が崩壊しており、挨拶以前に「隣の人の名前を知らない」「隣の人の顔を知らない」「隣の人の家族構成がわからない」という状況が進んでいます。ある年の4年生に聞いてみたら、「隣の人の名前を知らない」子供が3割程度いました。私の子供時代(昭和40年代)は、都市部でも近所の家が普通に「晩御飯食べにおいで」と、誘ってくれたものでした。お客として特別な料理を振舞ってくれるわけではなく、普通の晩御飯(ご飯とみそ汁と魚のようなメニュー)を食べさせてくれたのです。ご近所は「家族」、子供たちは「地域の共有財産」でした(褒められもしたし、厳しく叱られもしました)。地域社会においてきちんと挨拶ができるぐらいのことは当たり前でしたし、挨拶なんて家庭で教えらえるべきことだったのですが、残念ながら今では家庭の教育力を当てにできるような状況ではありません。親にさえ「おはよう」「おやすみ」「いただきます」「ごちそうさま」を言っていない子供たちがいる中で、挨拶を定着させるのはなかなか難しいです。

挨拶をはじめとして、家庭や地域の教育力がなくなってしまった現代社会において、学校が肩代わりせざるを得なくなっている部分は本当に多いです。「挨拶」が毎年目標となり、何度も「挨拶をしましょう」が呼びかけられるのは、裏を返せば「挨拶ができる子供」がなかなか増えないということなのです。

教師から挨拶をしても無視をされる ~何を学習させてしまっているのか

さて、朝の8時に校門に立ちます。次々に来る子供たちに教員は大きな声で「おはようございます!」と声を掛けます。中には元気な声で「おはようございます!」と挨拶してくれる子供もいますし、こちらから声をかける前に自分から「おはようございます!」ができる子供もいます。一方で、こちらから「おはようございます!」と言っているのに無視をする子供、友達としゃべりながら通り過ぎる子供、「ごにょごにょ」という返事で何を言っているかわからない子供も結構います。「合格レベルの元気な声を出せる子供」は20%程度、「明らかに不合格」が25%、残りは「まあ許せるかのレベル」でしょうか(あくまで私の職場での私の感覚です)。

負の学習、負け戦をしてしまっていませんか?

「明らかに不合格」が25%であるというのは、いかがなものかと思います。校長や教員から声をかけているのに、「無視」をすることが朝一番(教員にとっては勤務時間外です)でまかり通っているのです。25%子供たちに、「しれっと無視していれば、校長も教員も何も打つ手がないんだ」ということを朝一番で負の学習させてしまっているのかもしれません。朝から教師集団は「負け戦」をしてしまっていることになるのではないでしょうか。これはいけません。「おはようございます」「さようなら」「いただきます」「ごちそうさま」だけでも、年間200日登校したとすると、4回×200日×6年=4800回の挨拶をさせることになります。授業はじめの「お願いします」、授業終わりの「ありがとうございました」を言わせているとすると、もっと多くの挨拶が発生します。ここをきちんとさせない手はないでしょう。
企業で勤めていた経験のある教師が、
「会社で上司に歩きながら挨拶をしたら、先輩からものすごく怒られました。顧客にそんな態度をとると会社の信用を貶めてしまうと。社会人としての「基本の『き』として挨拶の仕方を教わりました。」
と言っていました。社会は厳しいのです。学校でも、きちんとさせるべきでしょう。
そこで改善案です。

教師から声をかけるのではなく、子供から声をかけるように設定する

たいていの教師は人が良くて頑張り屋です。校門に立つとはりきって自分から「おはようございます」と、声をかけてしまいます。そして、何%の子供から朝一番で無視されてしまいます。無視でなくとも、「ごにょごにょ」と何を言っているのかわからないレベルで返されます。
ここは改善すべきではないかと長年思っていました。
子供から「おはようございます」と言わせましょう。
全校集会等で、こう説明します。
「挨拶は大事だし、挨拶は自分からするのがいい勉強になります。先生たちが偉いから子供が先に挨拶をするのではなく、みなさんに自分から挨拶をする勉強をしてほしいと思っています。明日から、自分から元気な声で『おはようございます』と言えるようにしましょう。では、立派な6年生がお手本を見せるので、みなさん、座ってよく見てください。」
そして、6年生に仕込んでおいて、実演をさせます。

悪い例を見せます。

● 先生から挨拶をしているのに、友達としゃべりながら無視して通り過ぎる。

良い例を見せ、説明します。

① 校門の一歩手前で立ち止まります。(直立)

② 大きな声で挨拶をします。「おはようございます!」
③ 頭を下げます。
④ 顔を上げて先生の方を見ます。
⑤ 先生から「おはようございます!」が返ってきます。
⑥ 前へ進みます。
⑦ 先生から、「立派だねえ!」の声がかかります。
⑧ 明日から、できるかな?できる人、教室に返ったら、担任の先生に見てもらってくださいね。
⑨ 明日から、挨拶勝負だよ。朝、校門に立っている先生より、先に挨拶したら勝ちだからね。

説明した後、教室で、
「誰か、6年生みたいにお手本をやってくれる人!」
と、お手本を募ります。手本が上手くできればみんなで拍手。何人かが手本をした後、
「じゃあ、今度は一人一人やってもらうね」
と、言って、教室のドアを校門に見立てて、挨拶の練習をさせます。そこそこ頑張ると思いますので、できた子供には手で〇を、できなかったら×を出してやり直させましょう。

WINWINの関係

次の日から、朝の校門では教師から挨拶しないで、子供からの挨拶を待ちます。
挨拶ができたら、教師は「いいねー。」「立派だねえ。」「あなた、何年何組?何ていう名前?(後で担任に伝えてあげるといいですね。2回褒められます。)」と、ホメホメ作戦で対応します。うまくできない子供には、「ちょと待ってね、もう一度やってみよっか?」と、緩い目にやり直しをさせて、できたら褒めるといいのです。子供にとっては立派な挨拶ができるようになる上に、教師から褒められるのですから、二重の利益があります。1か月ほどで、見違えるほど挨拶ができるようになります。(まあ、その後の継続が難しいのですが。何でも、「継続は力なり」なので、頑張らせましょう。)
挨拶ができるようになったら、個人個人の保護者に個別懇談や通知表で伝えるのもいいですし、学校だよりや学年便りで伝えるのもよいと思います。設定を変えるだけで、WINWINの関係を築くことができてしまうわけです。
これで、多くの子供が自分から挨拶ができるようになります。それほど教師側の手腕は関係ありません。「設定」を宣言するだけです。まさに、「教師の資質や負担に依存しない実践」です。

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