教員評価 ~個人を評価するよりチームを評価した方が良い

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作成者:matui hiroshi (Edupedia編集部)さん

1.公教育に評価は馴染むのか?


※ 教員評価に精通されている方は、1・2・3を読み飛ばして、「4.チームを評価する」から読んでいただいても結構です。

近年になって、公教育の現場でも教員評価(勤務評価・人事評価などと、自治体によって呼称は様々なため、以降は教員評価)の必要性が問われるようになり、かなりシビアな評価を取り入れている自治体もあります。

「管理」や「教員評価」という言葉が「公教育」という場にあまり馴染まないように考える人は多いようです(評価が馴染まない理由は次節で)。「児童生徒に対する管理」「教員に対する管理」のどちらもあまり聞こえの良い言葉ではないと感じるのだと思います。子供や教師を商品のように管理するというニュアンスに、抵抗があるのかもしれません。私もそういうところがあります(詳しくは「2.なぜ教員評価に対する拒否感が根強いのか」)。しかし、職員の労働状況を管理し、評価する必要がないというのもおかしな話です。労務管理において「給料分ぐらいは誠実に働いているか」「給料分以上に不当に働かせていないか」を管理側がしっかりと監督することは重要な課題です。この2つの課題がバランスを保ちながら達成されなければなりません。そのためには公平・公正な教員評価が行われることは必要だろうと思います。

私の就職した当時は今に比べて労働組合の力が随分強かったため、「教員の権利って守られ過ぎではないのか??」と思えることがけっこうありました。若い頃は先輩たち(団塊世代)が権利を主張し自由を享受する姿を見て、「これは主張が強すぎるのではないか?」と、首をかしげる場面によく出会いました。
平成の初め頃にはまだ教職員ストライキがあって、「ストで先生が来られませんので、明日は自習かもしれません」といった手紙を配布していました。今なら大ブーイングが起こりそうな状況が平成の初めでもまだあったのです。30年ぐらい前は、まだまだ学校現場はユルユルだったと記憶しています。
こうした時代の反動がきたのでしょう、2000年前後から学校に対する社会の批判がどんどん強くなってきて、現在の教育現場では「学校のブラック化」が問題になる程の状況になっています。

2.なぜ教員評価に対する拒否感が根強いのか


労働組合(労働者)が力を持っていた昔から、ブラック化が進んだ現在に至るまで、「教員評価は公教育の場には馴染まない」という声は絶えません。教員評価への拒否感・拒絶感は、いったいどういう理由からくるのでしょうか。

① 公正・公平に教育の効果を測ることは非常に難しく、評価の妥当性が担保できない。評価が妥当でないと教育を歪めてしまうことが危惧される。
② そのため、評価の基準の設計が困難であり、評価の内容・方法が曖昧になりがち。
③ あいまいな基準で給与差をつけることが果たして妥当なのか。・・・給与格差をつけることが、妬みや不信や不安を煽る。
④ 指導が困難な子供・学級・学校を引き受けると評価が下がるような評価システムであれば、誰も火中の栗を拾うようなことはしない。
⑤ 高評価を得ることが目標になると、振る舞いが自己中心的になり、協力関係が生まれにくくなる・・・教員が評価されにくい地道な仕事、見えにくい努力をしなくなる。
⑥ 教員の仕事は多種多様であり、変則的な動き(例:持ち帰り残業、勤務時間外の自己研鑽)をしている場合も多い。それらを総合的かつ公平・公正に評価することは、評価者としても非常に難しく、負担である。
⑦ 評価者の妥当性の問題。校長・教頭や指導主事に公平・公正な評価をする力量があるかどうか、担保されていない。・・・一見「良いクラス」と思える学級が、担任の過度に強い圧力で成り立っていて問題を含んでいるケースはよくある。
⑧ 校長・教頭や教育委員会が評価者となることにより、労使のパワーバランスが崩れる。管理側におもねり、残業を美化し、頻繁に飲み会に参加した教員が管理職に抜擢され、そんな管理職がまた同様の管理職を抜擢するという悪循環が生まれやすい。これは、学校文化のみならず、日本社会の悪習。
⑨ 労使のパワーバランスが崩れて管理側の権力が増すと、管理側がミスリードを犯した場合に現場がおかしな状況になりかねない。・・・学校は会社と違って倒産しないので、最終的にミスリードの悪影響を被るのは児童生徒となってしまう。(私は、労働者側と管理者側双方の考えを十分に討議し、パワーバランスがどちらか一方に偏ることがない世界を望んでいます。)
⑩ 上記①~⑨によって教員が主体性をなくし、現場が混乱し、全体のモチベーションが下がる危険性がある。

教員評価に対する批判を思いつくままにとりあえず10個挙げてみました。
例えば、全国学力テストに関連して、「評価の妥当性」はよく問題視されています。2019年には大阪市が「全国学力テストの結果に応じて教員の手当を増減させる案」を断念しました。「家庭や経済力の差といった指導力以外の要因を排除できず、公正な教員評価を定めた地方公務員法に抵触する恐れがある」という理由でした。もし全国学力テストの結果を出すことに管理側も教員側も躍起になると、「点を取るための授業」が賞賛されることになり、それはミスリードにつながりかねません。
さらに、管理側が公正公平な評価をするためには、たいへんな労力がかかります。ある校長は「あなたの成績は◆です」と言い渡した後に被評価者である教員に「●でも◆でも★でもいいですが、何を根拠に私を●と判断されたのですか?」と切り返されて、ただただ言葉に詰まって何も回答できなかったそうです。ほとんど授業を見に来ない、指導もしない、職員のテストの結果のチェックもしないそうです。また、ある校長は「ほぼ全員にBをつけている」と言い放ち、評価をまともにせずに開き直っているそうです。管理側にとって教員評価は負担だろうし、難しいのは分かるけれど、で校長→教師の構図を教師→児童の構図に置き換えると、大問題です。そして、「ある校長」さんの評価方法とそれほど変わらないレベルの状況がかなり多くの現場でまかり通っているのだろうと、私は予想しています。

3.評価制度を評価する必要あり?


果たして個人を教員評価し、さらにその結果を給与に反映させて格差を作ることは教育にとって得策なのでしょうか。

自治体によって、教員評価制度はそれぞれ違っていて、厳しい評価制度、あるいは複雑な評価制度を導入しています。その結果、管理がきつくなって職場のブラック化が進んだという話はよく耳にします。ブラック化の風評が広まってしまい、異動を避けられたり、教員採用試験の倍率が低下たりして困っているという話も耳にします。
教員評価制度の導入の結果、公教育にどのような結果をもたらしたかについて、制度自体への評価が必要であると思えます。教員評価制度導入の成果がどのように出ているかは明らかではないようです。
「トップダウンが多くて多忙化と教育の質の低下が止まらない」「行き過ぎた管理(評価制度)が現場を歪ませてしまっている」という現場の声には耳を傾けるべきでしょう。

「教育は長いスパンで個人や社会に影響を与えるため、為政者にとって教育改革はアピールしやすい」(街場の教育論)
と、内田樹氏は指摘しています。


教育論は複雑ですね。教育の効果は良きにつけ悪しきにつけ、それが明らかになるのは10年、20年先で、施策と効果の因果関係を正確にリサーチすることは難しいでしょう。
「あのとき厳しく躾けられたから今の成長がある」
「ゆとり教育世代は職場で使えない」
「部活がワーカホリックを産み出している」
「コミュニケーション能力の重視が理数系人材の質・量の低下を招いている」

・・・様々な功罪について、様々な立場で様々な意見を言うことができるでしょう。一つの事案について、真逆の評価ができてしまいます。義務教育は誰もが通ってきた道であるため、誰にでも何とでも評価できてしまうのが、公教育への評価の難しさです。

4.チームを評価する


以上のように、現行の教員評価制度にはいろいろと問題があると感じています。
そこで、提案です。
「個人を評価するのではなく、学校や学年をチームとして評価するべきではないか。」
と、考えています。方法(ルール)を下に記します。

① 5校ぐらいがグループになって、他校を1日視察。たくさんの学校を視察するとたいへんなので、2校程に絞ってじっくり見る。たとえばA校がB・C校を評価するなど、組み合わせは年度ごとに様々で。
 A校 → B・C校
 B校 → C・D校
 C校 → D・E校
 D校 → E・A校
 E校 → A・B校
② 日を決めて、全員で視察という従来の研究授業的な方法はやめる。普段の学校(授業)の様子が見られるように、ランダムに1人ずつ、丸1日の視察に行く。
現地(他校)で授業もしてみればいいでしょう。
③ 委員会・管理職・教員が評価者になって学校を視察、観点(20~30項目ぐらい)が書かれたシートに記入、得点化、集計(4段階評価ぐらいが適当か?)。委員会・管理職の得点は教員よりも比率を高くするのもいいかも(教員の倍とか、3倍とか)。
④ 視察校について、素晴らしいと思う点・教員については文面で特記する。改善すべきと考える点も特記する。
⑤ ④を視察した学校及び本人にフィードバックする。さらに自治体で共有し、評価が高い教員の授業やインタビュー記事を公開する。
⑥ 集計結果を、教員の勤務時間の平均で割る。・・・集計結果を良くするために残業を増やさないための措置。
⑦ 集計結果から、得点率が最高の学校を表彰し、職員の福利厚生に使える予算とトロフィーを渡す。予算は他校の教員の給与から10万円程度を削減(1人当たり1000~2000円/年)して捻出すればいいのでは。
⑧ 高評価を得た学校・教員に対する感想・質問を集約する。質問への回答も付けて自治体で共有する。

個人を評価し、給与差をつけて分断して(ギスギスして)しまうよりも、学校全体が「チームとして機能しているかどうか」を評価した方が効果は高いのではないでしょうか。教員は元々真面目な性格の者が多く、「給与のために」というよりも、「子供のために、社会をよくするために頑張っている」という誇りに支えられて働いている部分が大きいと思います。他校を視察して相互評価することによって、学級王国になりがちな学校文化の変革のきっかけにもなると思います。現在の教員研修では高いコスト(≒時間)をかけて作り上げられた公開授業発表を参観して討議することが多いです。それはそれで必要かもしれませんが、コストがかかり過ぎです。「チームを評価」は、低いコストで充実した研修機会と評価を合体させる考えです。
自校が最高得点をゲットするために、教員間の学び合いが促進され、OJTの機会となるでしょう。
10万円の使い道は、「更衣室用のソファーを購入」「家に教科書を持って帰らなくていいように全員に自分用の教科書を購入」「一人一冊、お勧めの本を選んで買って、回し読みしよう」等々、多様な使い方を。給料は上げてほしいだろうし、「できる教員」にすれば給与差もつけてほしいのだろうけれど、それ以上に責任(≒仕事)が増えてしまうのは見えているから、意外と給料UPを望む声は少ないのです。そもそも、少々多目に給与差を貰う事よりも、楽しく有意義な仕事(子供が伸びる業務)ができる事を、ほとんどの教員が望んでいると思います。学校全体で10万円程度の賞金でいいのです。そんなちっぽけな幸せで、けっこうモチベーションアップを図ることができると思います。

5.弱者救済のための評価を


観点はあまり細分化せず、20~30項目ぐらいでいいと思っています。是非、評価項目に入れてほしい観点は、

① (視察時に児童10名ほどにインタビューをして、)児童が教員・学校に対してどう考えているか。
② (視察時に若手教員にインタビューして、)サポート体制が機能しているか。
③ 学力保障の指針が打ち出され、システムが有効に機能しているか。
④ 働きやすい職場環境を追求しているか。

等です。差別化をして弱者を叩くための評価ではなく、弱者に寄り添い救済するための評価であってほしいです。

※ 私は、心身的に問題を抱える教員、力量やモチベーションの低い教員、そして義務教育制度から逃れる術のない児童生徒などを「教育における弱者」と考えています。

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