1 はじめに
本記事は、2019年8月10日に行った葛原祥太先生へのインタビューを編集したものです。
葛原先生は小学校教員で、「計画、テスト、分析、練習」という4過程を繰り返す「けテぶれ学習法」を提唱・実践されています。
今回は、このけテぶれ学習法から少し話を広げ、普段どんなふうに授業を行っているのかや、子どもと関わるときの姿勢についてお話を伺いました。
「けテぶれ学習法」について(葛原先生のブログより引用)
僕の実践では、学習のサイクルを以下のように捉えています。
「計画」
目指すべき目標を見定め、そこまでに自分がしなければならない学習を検討し、計画を立てます。
「テスト」
今の自分は何が出来て何が出来ないのか。それを調べます。
「分析」
テストで間違えた問題について、なぜ間違えたのか、どうすればその間違いがなくなるのかを考えます。また、出来るようになってきたことなど、自分の変化に関わることはなんでも「分析」します。
「練習」
分析の結果、自分に足りていないことが分かれば、それを克服するために「練習」をします。
この「計画/テスト/分析/練習」の頭文字を取って、「けテぶれ学習法」なのです。
子どもたちは、この流れにそって、毎日学習します。
①その日の学習を見通し
②ドリルを開いてテストをしてみて
③間違えたところを分析し
④それを克服するために練習する
のです。
この流れ意識して学習をさせることで目標に到達するための方法を獲得させます。
詳しくはこちらを参照→葛原祥太先生 ブログ
2 インタビュー
葛原先生と言えば「けテぶれ」ですが、「けテぶれ」は主に宿題の場面で使う学習法ですよね。授業はどのように行っているのですか?
私が喋るのは、一単元につき合計で15分ぐらいだと思います。この単元は何時間配当で、やらなきゃいけないのは教科書のここからここまで、ということだけ説明して終わります。最初の方の授業では、「ここに知識がまとまってるよ」といった教科書の読み方も教えます。
あとは「はいどうぞ」と子どもたちに任せます。基本的に教科書に沿って自分たちで勉強させます。立ち歩いてもいいし、喋ってもいいし、寝転んでもいい。教室の外に出て行くことも許可しています。
ワークシート作りや板書計画など細かな授業の準備は必要ありません。ただ、教材研究だけはしっかりしなければいけないですけどね。
最初からうまくいくわけではないですよね?
低学年ではぐちゃぐちゃになりますし、高学年は動かないですね。「みんなで自由に勉強してください」と言っても、一人で黙々と作業している子ばかりです。
そういうときは1時間やっても意味がないので、10分ぐらいで切って、その時間の振り返りをさせます。本当にその10分間、自分の学習が成り立っていたのかを考えさせるのです。例えば、開始3分で手が止まっている子がいたとしたら、他の人に聞けば良いし、隣で困っている子がいるのに気付けなかったのなら、次からは声をかけてあげればいい。違う話をしてしまっていたのなら、次からはしなければいい。悪かったこととどうすればいいかを短時間で確認し、再チャレンジです。こうして自分に必要なことを端的に伝えて再チャレンジということを繰り返していくと、徐々に子どもたちは動き始めます。
今までと全く違うことをしたら、最初はできないのが当然です。長期的な視点で子どもたちを見ること、少しの失敗や周りの反対意見があったとしても図太くやっていくことが大事だと思います。
今おっしゃったような授業は、少し高度に思えます。うまくできない子はいないのでしょうか?
もちろんいます。でも、そういう子を大人の庇護対象にして周りの子どもたちから切り離してしまうと、その子を一番傷つけることになります。ある一つの分野に対して、得意な子とそうでない子がいるという状況は至って自然です。そんないろんな子がいる中で、自分は今何をするべきか、何ができるかを考えて動ける子になってほしいと思っています。できないことができるようになるために努力する姿がかっこいいし、それを応援してあげたり背中を押してあげたりできる人はとっても素敵ですよね。
できないということは、ポジティブに捉えることでもネガティブに捉えることでもなく、単なる事実だと思っています。ただし、それは「今の事実」です。だから、それが変わったとき、変わろうと頑張っているときにはすごく褒めます。できない子には、できない子が頑張っていることに意味がある、ということを伝えます。現在地から少しでも動くことが学びであって、苦手なことが少しでもできるようになることがすごいことなのです。でも、それは現在地がわかってないとできないことです。だから、できていない子には「ここができていない」ときっぱり指摘します。
一方で、できている子にはできていない子をサポートする動きを促します。「あなたの頭の中にはたくさんのことが入っている。ではそれを他の人が受け取りやすいように加工して、伝えることはできるかな? それは単純に問題が解けることよりも何倍も難しいことだよ。賢い君にはそこに挑戦してほしい。ほら、あの子は今困っているよね。あの子になるほど! と言わせられるかな? 」といった具合です。
できる子ができる子同士で楽しんでいる間に、できない子が止まっていたら、それはできる子たちの視野が狭いということです。そして、できない子たちの行動力にも問題があるということです。それはクラスとして寂しいことだ、という価値観を子どもたちと共有することが大切です。
このような学習法・授業法は、どの学習レベルの子にも効果があるのですね。
そうですね。学校が求めるレベルに対して努力が必要な子は、その環境で一生懸命努力して、成果を実感し、自信につなげることができます。逆に、その教科が得意で、なんの努力もなく、すんなりとできてしまう子は、自分の現在地から100点を目指すという努力ができません。学級では「できる→説明できる→教えられる」という理解の段階を示し、単に100点を目指すというベクトルだけでなく、自分の理解度を深め、最終的には自分が関わった友達が100点を取ることに喜びを見出せるような関わりを促していきます。たくさんの知識を持っていることを自慢する子がいますが、そういう子に対しては、「あなたの頭の中にある知識は、そのままでは世の中において価値を持たないけれど、その知識が誰かの役に立ったときに価値を持つんだよ。わからない子にあなたの知識をわかりやすく伝えて、その子がちゃんと飲み込めたら、それはすごく価値のあることなんだよ」と伝えています。
上位層をどう扱うかを、学校教育では実はあまり考えられていない気がします。どうしても、できない子に目がいきがちですが、その傍らで上位層は暇を持て余しているし、全然伸びていないのです。でも、彼らは道を渡してあげればもっと頑張れるのです。機会を作ってあげれば困っている子を助けるのです。
進んでいる子に止まっておけ、と言うのではなく、他の子の理解を助ける動きをしてみて、難しいことだけれど挑戦してみて、と言うのです。そうすれば、教室の中で子どもたちの学びに向かうパワーが循環していきます。
教室の中で学び合いのサイクルができるということですね。そのときに、教師は子どもたちに対してどのような働きかけをするのでしょうか?
何も指示を出さなくても自分からできる子もいますが、自分のことしか見えなくなる子もたくさんいます。教師がクラスの状態を見て、一人ひとりに適切に働きかけることが必要です。どうやって居場所を見つけてあげるか、どうやって行動指針を示してあげるかが大切なのです。
ただ、それをやるには、単純に全員が同じところを目指すという構図が必要になります。それぞれが別の目標を持って別のことをやっている環境では、声かけのしようがないですからね。「自分は今これをやっているからいいんだ」というような思考になってしまいます。
だから、例えば「全員が100点を取らなければいけない」というような単純な目標がいいわけです。それを徹底すれば、今の自分の行動がその目標を達成するために適しているか否か、という判断基準でみんなが判断できるようになります。
「個別化」が「孤立化」にならないためには、みんなが共同するプロジェクトが1個必要なのです。
なるほど。それぞれのレベルに合わせて別の教材を与えるのは「個別化」ではなく「孤立化」だということですね。
もちろん、ハイレベルな問題集を教室に用意するということもしています。できる子は、それをやることも許可しています。でも、あくまで全員の目標は100点を取ること。もう少し大きく捉えるなら、その1時間で全員が賢くなることが全員の目標です。その目標に到達するために、どういう選択をするかは各自で考えることです。
子どもたちがやることに関しては、自己責任だと言っています。そして、自分がやったことを自分で振り返って、次はどうするかを考える過程を大切にしています。その過程で教師がアドバイスをするのです。
信頼関係が成り立っていることが前提にありそうですね。
それは大前提ですね。徹底的に子どもたちを信じています。「嘘はつけるけれど先生は100%信じるよ、だからこそ気をつけてね」というスタンスです。子どもたちには、「100%信じていたことが裏切られたときにはこちらはすごく悲しいよ、あなたを見る目が変わってしまうよ」と伝えています。
かわりに、こちらも手の内は全部明かします。例えば、私は教師が使う指導用教科書も全部子どもたちに見せています。隠すことには何の意味もないと思っています。
お互いを信じることは人間関係の基本ですからね。教師対子ども、というより、人間対人間の付き合いのつもりで子どもたちと接しています。
素敵ですね。葛原先生が描く理想の教師像とは、どんなものですか?
「教えない、学ばせる」ということですかね。
言ったら子どもたちが必ずできるようになるわけではありません。「こんなに言ったのになんでやらないの」というのは間違っています。やらないことには理由があるからです。子どもたちをやる気にさせるためにどう関わるのかが問題です。
そのためにはまず、教師自身が考えること、行動すること=思いついたことを試してみることが好きでなければいけません。行動する過程で、子どもたちに積極的に失敗も見せています。そして、私の取り組みで「失敗」なところがあれば、子どもたちに指摘させています。
また、私は自分自身の性格上、「ゆるアツ(ゆるくてアツい)」な教師としてやっています。
ゆるさを出すのは、子どもたち一人ひとりが自分らしく、自分の色を出せるような環境を作りたいからです。子どもたちと私との間に変な緊張感は一切ありません。普通に一人の人間として、関わっています。一方で、きちんと言わなければならない部分ではきちんと伝えきる自信はあります。アツさが担う部分です。本気で考えて本気で伝える。そうすれば伝わる。自然ですよね。
本当に普段から厳しい人間だったら別に良いと思いますが、そうでもないのに無理をして作る必要はないと思います。「教師は役者たれ」という意見もありますが、私は子どもたちとの関係をそんな薄っぺらい人間関係にしたくないです。そう思って、素で接することを心がけています。教師自身も、そちらの方が楽だと思いますよ。「ゆるアツ」でいいんです。
3 プロフィール
葛原祥太 先生
1987年、大阪府生まれ。同志社大学を卒業後、兵庫教育大学大学院へ進学。卒業後、兵庫県公立小学校に勤務、現在に至る。
小学校の宿題の在り方に疑問を感じ、家庭学習において、子どもたちが自分の学習を自分で作り上げる「けテぶれ学習法」という方法を提唱し、ツイッター上で発表。多くの教師から注目を集める。
現在は宿題改革の切り口から、これからの社会に求められる教師の在り方を啓発するため、講演会、執筆活動などに活躍中。
(2019年8月10日時点のものです)
4 著書紹介
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✩教育の生産性を上げて子どもも先生もハッピーになる方法(「こんな先生もいるぞスペシャル」講演録②坂本良晶先生)
→記事中で「けテぶれ」について触れられています。
→記事中で葛原先生にもお話を伺っています。
6 編集後記
葛原先生が子どもと対等に向き合っている様子が伺えるインタビューでした。教師対子どもではなく、人間対人間として接している姿勢が素敵だと感じました。「けテぶれ」でよく知られている葛原先生ですが、単なる方法論ではなく、普段から子どもたちを信頼し、対等に接しているからこそうまくいく学習法なのだろうと思いました。
また、「教師は人にも自分にも厳しくなければいけない」というような考え方が負担になってしまっている先生方には、ぜひ「ゆるアツ」な教師像を参考にしていただけたらと思います。
(取材・編集:EDUPEDIA編集部 石川桃子)
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