誰もが市民として主体的に社会参画できるようになるシティズンシップ教育(古田雄一先生)

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目次

1 はじめに

本記事は、2019年12月1日に行った、古田雄一先生(大阪国際大学短期大学部准教授)へのインタビューを編集・記事化したものです。誰もが市民として主体的に社会参画できるようになることを目指したシティズンシップ教育について、様々な観点からお話しいただきました。

2 インタビュー

先生の紹介

まず最初に、先生の今現在研究されていることとそのような研究をするに至った経緯を簡単に教えてください。

研究テーマは色々ありますが、一つはシティズンシップ教育、特に日本とアメリカの理論や実践です。日本とアメリカのシティズンシップ教育に関心を持つようになったきっかけですが、私はもともと高校時代にアメリカの高校に通っていました。アメリカの高校生活の中で印象的だったこととして、大統領選挙の前になると学校の社会科の授業の中で大統領候補の演説のテレビを見たり、授業の中で社会派の映画を見て討論したりすることがありました。また、「can food drive」と言われる余った缶詰を寄付するチャリティー活動もありました。そして、学校内でのこれらの活動が生徒の社会への関心を高めていると感じられました。例えば、現地の友達と話していて、休み時間に大統領選のことについて話題になることもあったのですが、日本では考えにくいと思います。社会に対する意識には、受けてきた教育や生育環境が大きく影響しているのではないかと思われました。このような高校生の頃の経験を通して、もっと社会参加に関心を持つ人が増えるような教育を日本でもやっていくべきではないか考え、アメリカの実態から何か学べることがあるだろうと思って、日本とアメリカのシティズンシップ教育を主なテーマにしています。

主権者教育ではなくてシティズンシップ教育に興味を持ったのはなぜですか?

一般的にいわれる「主権者教育」は、少し狭い概念だと思うからです。投票者や有権者としてのリテラシーの向上ももちろん大事で、シティズンシップ教育の中に主権者教育も入ってくると思われますが、そもそも投票というのが社会に働きかけていく唯一の手段ではありません。投票で社会が変わらないと思ったとき、他にも様々な社会参加の方法を知っているかどうかは大きいと思います。どの方法が優れている、優れていないということではありません。なるべく広くそれぞれの社会の参加の仕方を考えていくことの方が大事だと思います。また、現在の主権者教育の盛り上がりは18歳選挙権の流れが一番大きいですが、そもそも全ての国民は年齢を問わず主権者であり、主権者=有権者ではないはずです。また、外国籍の方であっても、自らが住む社会に参画していく権利は当然持っています。しかし実際のところは、主権者教育はほぼ有権者教育になってしまっているように思います。本来なら、主権者教育も世間的に理解されているより広がりのあるものかもしれません。シティズンシップ教育も人によってその広がりや範囲が微妙に違うと思います。

先生は、日本シティズンシップ教育フォーラムやシチズンシップ共育企画などの社会貢献活動を積極的に行われていますが、それらの簡単な紹介とどのような目的や想いを持って取り組まれているのか教えてください。

今メインで取り組んでいるものの一つが、日本シティズンシップ教育フォーラム(J-CEF)です。シティズンシップ教育に関心のある学校の先生や学生、研究者、教育委員会の方、NPOの方などの色々な方が繋がって新しいことを創発していったり、シティズンシップ教育を共に進めていく流れを作っていくようなコミュニティを目指しています。領域ごとに分断されているのではなく、広場としていろんな人たちが自由に集い、そこで繋がり、色々なものを持ち帰るというような相互交流がもっと必要だという共通認識から設立に至りました。
 また、現在フェローとして携わっているシチズンシップ共育企画は、関西を主に拠点としているNPOで、中高生が地域の問題を自分たちで見つけて解決していく企画や、学校の授業づくりのサポート、NPOやまちづくりをしている方々への研修など、幅広いターゲット層の人に広く市民として社会に関わっていくための力を伸ばすサポートをする活動を行っています。
 このほかにも、最近は新たな共同研究のプロジェクトや、学校現場やNPOと連携した活動にも着手しています。
 以前から、学校現場や具体的な実践に最終的に何らかの形で貢献したいという思いで研究活動を行っている部分があり、研究で得たものをこれらの活動を通じて還元していくようなことは、自分にとってはやりがいです。また、自分の研究がきちんと繋がる実感を得られる場所でもあるので、これらの活動はすごく貴重な存在です。理論と実践の往還は常に重視しています。

シチズンシップ共育企画のスローガンに「「じぶん」になる、「しみん」になる。」とあります。これに関連して、「じぶん」らしく生きることと「しみん」として生きることとの関係について、古田さんはどのようにお考えでしょうか。

色々な考え方があると思いますが、それぞれなりの社会への関わり方があって良いと思います。言われたから社会参加するという話ではなくて、「自分はこの社会のこういうところがおかしい」とか「こうなってほしい」とかがあるから参加するわけで、まず自分があるわけです。「社会がこうあるべきだからあなたも参加しなさい」というよりも「私は社会をどうしたいか、どうなってほしいか」という「私」発の社会への参加というのも大事にしていきたいです。それは裏を返せば、「自分自身と社会との関係」や「自分らしくどう社会に関わっていくか」等の自分のことを突き詰めていく過程でもあります

シティズンシップ教育の定義

少し抽象的な話になりますが、そもそも市民性教育(シティズンシップ教育)という言葉の中にある「市民(シティズン)」とか「市民性(シティズンシップ)」という言葉の定義や意味を教えてください。

明確な答えはありませんが、私はかなり広く捉えています。まず一つ言えることとしては、民主主義社会を自分たちで形作っていくために必要な様々な資質・能力、リテラシー、感覚のことですが、これを厳密に定義することは難しいですし、社会の状況が変わっていく中でも変わるものだと思います。ただ、市民性と言ったときには、まずは「自分が社会に参加する一員である」という根っこの部分の感覚が大事です。そもそも「社会に参加したい」「参加したことで何か変えられる」という感覚が、参加への土台として大切だと考えています。案外こうした面はこれまで十分に議論されてこなかった面があり、日本の子どもを見るとここが非常に重要なように思います。どれだけ知識があって投票の仕組みを分かっていても、そもそも投票する意義を自分が感じられなければ参加したいと思えないわけです。社会への信頼感や「自分が参加することで何か周りの環境や社会が変えられるかもしれない」という効力感のような根っこの感覚を育むことが大事になってきます。しかし、それだけだと当然不十分で、「色々な人の意見を理解してより良い解決策を考える」とか「自分の考えを形作って人に伝える」というような市民として必要な様々な能力も市民性の要件になってくると思います。さらに、現在公民科教育などでも扱われているような、社会に参加していく上で大事な知識も必要です。よって、根っこの部分の感覚から様々なスキルや知識まで、総合的に市民性と言えるのかなと思います。
 しかしここで難しいのが、能力リストのような話になり、「これらを全部身につけていないと参加できません」という話になってしまうと、排除に繋がってしまいます。教育の目標として考える際には当然重要ですが、一方では「完璧な市民を作り出して社会に送り出す」というものでもなくて、それを目指してでも誰もが学び続けていけることが大事だと思いますそれぞれなりに社会に参加していく上で大事なことを学んでいきましょうということだと思います。

現代の課題

先ほど「社会の変化に応じて求められる市民性も変わってくる」という話があったと思いますが、市民に求められる具体的な資質能力の中で、特に現代的な課題だと思うものをいくつか挙げていただけますか。

様々な議論があると思いますが、2つ挙げます。1つは、海外に顕著に見られる社会的・政治的分断の深刻化です。昔から言われていますが、多様性という価値への理解や寛容性、自分と異なる価値観や意見を持つ人との出会いが難しくなっています。SNSにもよく見られますが、「自分と異なる考えの人はもう嫌だ」とシャッターを下ろしてしまいます。しかし、そこの分断を乗り越えていかないと、全員が望ましい社会を作っていくことはできません。今の時代こそ、自分とあえて異なる意見や背景の人の考えに触れたり、それを自分なりに咀嚼し、多様性という価値を理解した上で、どのようにその違いを乗り越えていくのかを考える力、つまり「多様性の価値への理解」と「その多様性を踏まえて社会を一緒に作っていく力」はとても必要だと思います
 2つ目は、社会から排除されがちな人たちにとって、「自分が社会に参加でき、それが社会を変え得る」という自信や効力感をより丁寧に育んでいく必要が出てきています。日本の様々な意識調査を見ても、子どもたちは社会に対する知識は持っていますが、知識を使って実際に社会に参加していくというようになっていないところがあります。そして、そのようになっていかない子どもは、身近な大人に働きかけたら自分の意見を聞いてもらえたり、真剣に一緒に考えてくれるような経験をしてきていない場合が多い傾向があります。そういう経験を積むことができないままで18歳選挙権を手にしても、「投票したら政治家がちゃんと聞いてくれる」とはなかなか思えません。よって、自分が社会に参加して社会を変えていけるという効力感、有効感を育むことがなお一層必要で、特にそのような経験が乏しい社会の周縁に置かれた子どもたちにとっては重要です。本来、そういった人たちも含めて社会参加していくのが民主主義であり、彼らの声の価値も尊重していかなければいけません。そういう意味で2つは繋がってきますが、社会の格差や分断が進んでいく中では、多様な人たちが参加していけるように、意欲や効力感を育むことが大事だと思います

学級レベルのシティズンシップ教育

学校教育の話に移っていきますが、シティズンシップ教育の日本の教育課程上の位置づけについてお聞きします。社会科教育においてはどのようなことが期待されているのでしょうか。

今は変わり目なので、ひとまず新科目「公共」のことを中心にお話します。18歳選挙権を見越したときにどのような力が必要かという議論から小中高、特に高校教育を見直していく一環で公共が入ってきたわけですが、より自分と社会との繋がりを意識したカリキュラムが求められていくと理解しています。もちろん従来も、公民的分野の中では「政治の仕組み」や「三権分立」について扱ってきたわけですが、生徒はそれを知識としては分かっても、それを理解した上でどう実際に社会に参加していくかというような視点は弱かったと思います。もちろんこれまでにも、意欲的な現場の先生は創造的な実践をしていましたが、広がりに限界がありました。しかし、18歳選挙権、18歳成人を迎える中で見直しが図られ、「自分と社会とのつながりを意識する中でどう1人1人が社会の形成に参画していくか」ということがメインテーマとして据えられたのが公共だと思います。法や政治、経済など社会の参加にはいろいろな側面がありますが、それを単に知識として学ぶだけでなく、獲得した見方・考え方を活かしながら、現代社会の課題について考え、どう社会に参画していくかを意識した指導が求められてくると思います。小中の公民的分野の学習でも同じことが言えますが、学んでいることが実際の社会とどう繋がっていくのかを意識した指導が大事になってきます。さらに言えば、そのような指導を通して、子どももたちにどんな力をつけさせたいのかを意識することが大事です。内容を教えることがゴールになるのではなく、その内容を通してどのような力をつけさせたいのかを意識した授業を蓄積していくことが大事になってきます。

具体的にはどのような実践が考えられますか?

例えば、ディベートや模擬裁判、模擬投票などの体験学習を選挙管理員会やNPO等の様々な外部団体と連携しながら作っていくことも一つ考えられます。また、そうした教室の中での、いわば模擬的な社会参加の学習だけでなく、実際に地域や社会で起きている問題の解決そのものに生徒が関わっていけるような、現実の社会参加の経験を通じた学習も、効果的だと考えています。もちろんこれは「公共」だけですべてできるものではなく、他の様々な科目や教育活動と連携しながら取り組んでいくことが大切です。
 学習指導要領全体で「社会に開かれた教育課程」が掲げられていますが、公共はまさにそれを体現する科目ともいえるかもしれません。より現実社会と繋がりをもった学習が大事であり、一方でそれを突き詰めていく中で、1人1人が「自分はどう参加していくのか」を見つめていけるような学習をアクティブラーニング等の参加型の学習や社会に触れる機会を取入れながらやっていくことが重要です。

地域コミュニティへの参加や奉仕活動を考える際に、「強いられた自治への奉仕」(させられる/やらされる社会参加)と「公共圏に開かれた自治」(自分がしたいと思える社会参加)があると思います。そして、学校現場のボランティア等では「強いられた自治への奉仕」も少なくないと思います。「公共圏に開かれた自治」を達成するためにはどのようなことが大切なのでしょうか。

大人が枠付け、子どもたちにとって押し付けられている社会参加では、子どもたちにとっては何のために社会に参加するのかが分からなくなる場合が多くなります。先生が問題を設定するので、もちろんその問題に興味がある子どもたちもいますが、興味のない子どもたちにとっては先生に単にやらされているという認識になってしまいます。よく学校で行う地域のゴミ拾いなどの活動も、地域に貢献して感謝され、子どももやりがいを感じられるなど、一定の意義があるとも考えられますが、一方で、なぜそのような活動をするのかという共有が欠けたまま、ただ子どもに拾わせるだけでは、子どもに「地域に参加するのはつまらない」と感じさせてしまっても無理はありませんよね。
 一方で、主体的な社会参加では、自分が地域社会の中で感じている疑問や不満、やってみたいことを出発点にして、子ども発の社会参加にすることが大切だと思います。そのためには、子どもが本気で解決したいと考えている問いに対して、先生が本気に正面から向き合っていくことが重要です先生は子どもたちの何気ない疑問を地域の問題、公共の問題につなげていくための視点を提供します。つまり、子どもの問いを中心に置きながら、「わたし」の問題を公共の問題に変えていくのです。結果的に、子どもたちの主体的な社会への参加にも繋がっていくのです。
 例えば、以前ある高校で、周辺地域の観光客の増加に伴い、通学時に使う電車が満員で乗り切れないときがあり、それに疑問を持った生徒たちがいました。これは、生徒たち自身にとって切実な問題ですが、同時に沿線の住民の生活にも関係する、地域の問題でもあります。しかも、地域住民と観光客という異なる人たちの利便性や、背後にある観光産業やまちづくりをめぐる考え方など、様々な意見や課題が交わる、きわめて公共的な問題です。このように、生徒の日常生活での何気ない疑問も、そのままでは不平不満で終わってしまうかもしれませんが、先生が適切に補助線を引くことで、地域や社会の問題につながる種を持っているわけです。「なぜこうした問題は起きるのだろう?」「どのような人が関わっていて、それぞれどんな意見があるのだろう?」「どうすればこの問題は解決するだろう?」といった具合に問いを投げ掛けながら、生徒と一緒に考えていき、さらには実際に改善に向けて地域の人や関係者と話し合ったり、解決策をともに考えていったりすることで、学びをどんどん深めていくことができます。
 こうした主体的な社会参加の力を育むために、先生に求められるのは、子どもの「おかしい」「なんでだろう」「なんとかしたい」といった声や思いを受け止め、一緒にその問題の解決に向けて、地域や社会の様々な人と出会い、ともに動いていくなかで学びを深めていくような、よき「伴走者」であることなのではないかと思います

社会参加というときに、例えば国政選挙だと国の課題に対する社会参加となります。ESDだと国際的な社会問題が対象になると思うのですが、扱う領域の広さでいうと、なるべく地域から広げた方が良いと思うのですが、どう思われますか。

ESDでは、よく「地域を掘り下げ、世界とつながる」といった表現がなされますが、地域の課題を深く掘り下げてみることで世界の課題につながっていることに気付くということが結構あるのではないかと思います。 グローバルな問題を考えるときに必ずしも海外に行かなければ学べないのではなく、 子どもたちが住んでいる地域にある課題(例えば、多文化共生や環境問題)を話していく中で、世界ではどうなんだろう、と視点を変えて学んでいくこともできます。 要は先生の視点の提示の仕方、つなげ方だと思うのです。
 その教え方としては、地域の問題から国家の問題、移民政策、など展開の仕方は多くあります。現実的に多くの学校では子どもたちの学校外での活動はローカルな範囲に限られてしまうことも多いと思いますが、地域で活動して終わりとせず、学校の外に出て学んだことを、社会の様々な現実と結びつける学習まで行うことが大切だと思います。その地域から見えてくる問題を考察したり、関連する問題を調べてみたりと、その後の学習のやり方次第で色々な問題を扱うことができます。もちろん、全部を地域に出て学ばないといけないということではなく、国政の問題を教室でディスカッションしながら、地域や世界の問題と繋げることもできますから、色々なアプローチがあります。

シティズンシップ教育において、小中高、各段階で重要視すべき点は何でしょうか。

このあたりはやや考え方が分かれるところなのですが、小学生は政治概念が十分に発達しておらず、政治への理解も限定的なため、いきなり本格的な政治教育を行ってもうまく伝わらないという見方もあります。そのため、基本的にはより身近な生活体験などから出発するのが良いと思います。
 逆に言うと、中学高校と上がっていくにつれて抽象度が高く社会的な広がりを持った課題を扱いやすくなります。中高生は、知識量も増えていくし、認識の幅も広がっていくし、行動範囲も広がっていきますからね。
 アプローチとしては子どもたちにとって身近な話や体験から出発して、より大きな政治や社会の話につなげていく方法があります。例えば、学級活動や児童会・生徒会活動などは、いずれも民主主義や意思決定を学ぶ身近な機会です。ただしそれ自体で完結させるのではなく、これらの経験を、社会でのルールづくりや意思決定、政治の仕組みなどと関連付けて学ぶことができると、身近な経験と社会への視点がつながってくるのではないでしょうか。しかし、子どもたちが関心を持っている話題であれば、小学生にはまだ早いと変に子ども扱いしてしまうことは逆効果かもしれません。あくまで子どもが探求したい課題に対して、どのような切り口で扱っていくかというアプローチを、子どもの状況や発達段階を見ながら変えていくべきです。
 それこそドイツなどでは、小学生から政党の話などを授業で扱う学校もあります。そういうことを積み上げていくからこそ大人になった時に当たり前のように政治の話ができるのです。日本で同じようにするのは難しいかもしれませんが、政治の話は子どもにはまだ早い、というふうに遠ざけてしまうことが日本では多すぎると感じます。子どもの関心は大事にすべきだと思います。中高生になっていきなり政治の話ができるわけがないので、土台をどう作っていくのかを考えるべきではないでしょうか。

今日本のシティズンシップ教育の課題として、学校現場で政治的中立性をどう保っていくかという問題があると思います。学校の先生はどのような心構えを持つべきでしょうか。

そもそもなぜ学校で政治の問題を扱うことが大事かと言うと、生徒は学校で教えていなくても、SNSなどいろいろな手段で、学校外で政治の情報を得るからです。家庭や地域の影響も考えられます。ただ、それらの情報や考え方は断片的で偏っているかもしれません。しかも先ほどお話したように、政治や社会の分断が問題になっている中で、学校外で広い視野をもち、自分とは相容れない意見も含め、バランスよく多様な視点や考え方を学ぶことは、ますます難しくなっています。学校は本来多様な見方や価値観を教えなければいけない場所ですが、このような状況の中でますますその役割は強くなっていると思います。子どもが様々な経験から学ぶこと全体の視点から考えたとき、学校が「教えない」こと自体が、ある意味で政治的中立とはいえないのかもしれません。それぞれの限られた視野や考え方、あるいは社会の中の分断を、そのまま放置する、再生産することになってしまうかもしれないからです。
 子どもたちが学校外で自ずと学んでいくという前提に立ったうえで、学校ではいろいろな考え方を取り扱って、その中で自分の価値観を作っていけるようにすることが必要なのではないかと思います。だからこそ先生はいろいろな考え方や生徒のバックグラウンドをしっかりと理解し、多様なものの見方を共有できるような教室作りをすることが大切です。
 それを踏まえると、教え方はどの教室、学校でもとはならないはずです。目の前の生徒や実態や考え方を見ながら、例えばもしそこでの議論がある考え方に偏っていたら、先生がその反対となる考え方を「こういう意見もあるよね」と提示することも大事になります。先生が教育的な意図を持ってあえて中立でない立場をとるということも、結果としての中立を目指すときには必要な場合もあります。そこには信頼関係が大事ですし、学校ってそういう場所だよねという理解が広まらないと、政治的なアレルギーから抜け出せない、本当の意味での主権者教育はうまくいかないと思います。

学校全体でのシティズンシップ教育

シティズンシップ教育という観点から見たときに、生徒会はどうあるべきでしょうか。また、どんな課題があるのでしょうか。

生徒会は学校によって様々なのですが、本当の意味での「自治」に近づけていかなければいけないと考えています。今の学校では、先生がさせたいことを生徒会役員にさせる、ということを耳にすることもよくあります。しかし、生徒たちが話したい問題を話し合える生徒主体の生徒会になっていかなければいけないと思います。
 例えば、生徒会の中で校則を変えていきたい、となったときに、学校で変えられる道筋が整っているかが重要だと思います。もし、校則の改正規定が学校になければ、生徒会で校則について働きかけたとしても、生徒たちにとっても結局変えられないという負の経験につながってしまいます。学校側は、変革できる道筋を用意することが制度的にも手続き的にも必要です。先生側も生徒会に対して、一方では生徒指導という観点から生徒たちに統率を取らせないといけないという点もあります。
 しかし、もう一方で、先生側は生徒の声をしっかりと聞き、受け止めて、一緒に学校をどう良くしていくかという姿勢で、生徒会の活動に向き合ってほしいと思います。生徒と先生がどうすれば学校をより良くしていくことができるのかを一緒に考え、関係を作っていくことを目指して、行っていくことが大事だと思います。

近年、悪質な校則の撤廃や改定が叫ばれていますが、シティズンシップ教育の観点から、校則が果たしている機能や影響についてはどのようにお考えでしょうか。

生徒指導提要の中では、校則は各学校が適宜必要なものを定めるものとされています。だから、校則自体は曖昧で、各学校によって実態は異なってくるし、外からも見えにくいのです。
 シティズンシップ教育の観点から言うと、社会一般のルールや法律と同じように、ルールというのは守るものであるけれど、同時により良く作り変えていくものであるという考え方が大切です。皆が一緒にルールを作って、納得することでルールを守ることができるのです。ルールを押し付けられて、守るものだという認識ではなく、皆がそのルールが必要であることを納得して守っていくことが大切です。
 現実社会であっても、理不尽であると思われるルールは、例えば投票や署名などを通じてそのルールを変えていくための行動に移すことができます。だから、校則というものも必要に応じて、関係者が吟味して、修正していく、といったようになっていかなければいけないと考えています。だから、学校側は校則の改正規定を用意するだけでなく、そのような校則の位置付けを学校関係者の中で共有していくことも大切になってくると思います。

学校風土や隠れたカリキュラムとシティズンシップ教育の関連性について教えてください。

例えば、以前ある学校で、地域課題の解決に取り組む社会科の授業に関わらせていただいたことがあります。その授業では、生徒の率直な意見を大事にし、自分たちも地域や社会を変えていけるというメッセージを伝えようとしてきました。ただ、同時にそのときに感じたのは、どれほど一つの授業で主体的に地域の問題解決に取り組んだとしても、それ以外の授業では受動的な学びばかりだった場合、生徒たちにはなかなかこうしたメッセージは響いていかないのではないかということです。
 その後の様々な研究を通して見えてきたことなのですが、実際に日々の生徒と先生の関係性や、他の授業や生活の中で学び取っている価値観や考え方が市民としての根っ子の考え方に良くも悪くも影響を与えているのです。一方、私立の学校で生徒が積極的に社会的なプロジェクトを行っている学校がありました。その学校では、先生が日頃の日常会話からでも生徒たちの何気ない疑問を親身に受け止めて、一緒に考えるという土壌がありました。日頃から生徒が意見を言って、先生に聞いてもらえるという関係性や学校自体の風土が、生徒たちの自信につながり、市民としての自分の感覚や、将来の社会参加へも影響を与えていくのです。

地域レベルのシティズンシップ教育

ここまで学校の話を中心にしてきましたが、学校外で市民性を育むために大切なことはどのようなことでしょうか。

学校外の環境も変えていかなければいけません。学校外で子どもたちが過ごす場所にも政治に参加していける場所がないと、学校がどれだけ頑張っても何も変わりません。
 アメリカのシカゴでは、学校でいろんなプログラムを行うと同時に、実際に生徒たちが教育委員会の教育長に今の学校をこうしてほしいということを提言できる場所があったり、自分たちが感じているシカゴの問題を市に対して発表するスピーチコンテストがあったりします。擬似的な学習だけではなくて、現実に学校の外に語りかけたとき変わっていくかもしれないという環境が地域にあることがすごく大事です。若い人たちの声がしっかりと届く環境があれば、市と学校の相乗効果もありますよね。
 日本でも、例えば岐阜県の可児市では、市議会と学校がコラボして、若い人たちの声が届けられる機会を作りつつ、議会も協力のもと模擬投票も議会と学校が協同して行うなどしています。そうすると、シティズンシップ教育が学校だけの話ではなくなり、自分たちが投票すると社会が変わるかもしれないという気持ちを持つことができるので、学校での模擬投票にも気合いが入りますよね。学校の模擬投票で終わってしまったら擬似体験で終わってしまいます。だからこそ、これを積み重ねていったら地域が変わるかも、という環境が学校外にあることはすごく大事だと思いますね。

社会経済的格差の低位に置かれた子どもに対するシティズンシップ教育

日本では、子どもの貧困は問題になっていると思います。その子どもたちの社会変革への無力感や投票率の低さ、という問題を解決するためにどのようなことが求められるのでしょうか。

現在、日本では貧困のもとに置かれた子どもたちを「支援される」側に置くことが多いと思います。例えば、学習支援や経済的に「支援する」という立場を取っています。確かに、子どもたちを「支援する」ということも必要ですが、一方で子どもたちが主体者として、社会に参加して、自分たちの声を社会に届けていく経験も大切です。教育でできることとしては、そのような子どもたちが自分たちで何か動いてみると、少しでも社会は変わるかもしれない、と思える経験をどれくらい提供するか、またその環境をどう作っていくかにあると思います。
 そのための方法はたくさんあると思います。例えば、学校の中で学校の問題を変えていくことができるかもしれないし、あるいは地域の問題を取り組むことで経験できるかもしれないし、また自分たちが置かれている社会に対して、声をあげることができるかもしれないのです。やり方は様々だと思うのですが、そのような経験をより提供していくことが大切だと思います。
 様々な困難のもとに置かれた子どもたちにとっては、もちろん社会を生き抜いていくための支援というのも大切になってくるのですが、様々な人とともに今の社会をよりよく作り変えていくという経験や、そのための力を育むことも、同じくらい大切なのではないでしょうか。

現場の先生方へのメッセージ

学校の先生方へのメッセージをお願いします。

子どもたちがチャレンジできる環境をたくさん作ってほしいなと思います。子どもの声をきちんとと拾い上げながら、自分たちで社会を作っていくような経験、「自分たちが動けば社会の環境を変えられるんだ」と感じられる経験をさせてあげてほしいです。やり方はいろいろあると思いますし、教室の中でも、学校の中でも、地域でもできると思いますが、地域と交わって、社会と出会って、問題を一緒に解決していけるんだなと子どもたちが思える機会を一つでも多く作っていってほしいなと思います。

3 プロフィール

古田雄一
大阪国際大学短期大学部ライフデザイン総合学科准教授
東京大学大学院教育学研究科修士課程、筑波大学大学院人間総合科学研究科博士後期課程修了。博士(教育学)。
専門はシティズンシップ教育、学校経営学。
日本シティズンシップ教育フォーラム代表やシチズンシップ共育企画フェロー等、様々な社会貢献活動に取り組む。
(2019年12月16日時点のものです)

4 編集後記

先生は、シティズンシップ教育を行っていく際の理論的視座を提供してくださいました。民主的な社会の形成という教育の目的を達成するための現在の課題は何か、そして各学校の先生及び全市民が持つべき視点と実施可能な実践は何かを考える上で重要な内容になっていると思います。
 特に「社会参加のために市民の要件を完全に満たす必要はない」ことや「個人としての社会参加は市民としての社会参加と分離されるものではなく、むしろ両立されるべきである」ことが印象的でした。

(編集・文責:EDUPEDIA編集部 風間志門、清川美空)

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