中村高康著『暴走する能力主義』を基に考える新しい教育と入試【Review as Student】

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目次

1 はじめに

本記事は、教育をめぐる様々なテーマについて、興味を持ち学んでいる学生の目線で論じる企画【Review as Student】の第1弾です。初回となる今回取り上げるテーマは「入試と能力」です。

近頃、大学入試改革が話題になっていますね。英語民間試験の導入、そして記述式問題の導入が延期となり再検討の対象となっています。大学入試の内容は高校の教育にも関係しますから、大学入試改革は高校教育に大きな影響力を持つことでしょう。今回は大学入試改革の中身の詳細な検討からは少し離れて、社会の変化と教育、そして入試の関係について、中村高康著(2018)『暴走する能力主義』を基に考えていきます

シリーズ【Review as Student】とは

教育に関わる様々なテーマについて、専門にしている学生や興味を持って学んでいる学生が、書籍や資料の内容を土台に論じる企画です。ベースにする書籍や資料の論点をとりあげながら、それに対して学んでいる学生の目線で評論を加えていく形になっています。理論的な議論に終始するのではなく、教育現場で働く方々や、これから教育に携わっていく方々が、それぞれのテーマについて具体的に何ができるか、という点にも踏み込んで議論していきます。

2 近年の大学入試をめぐる状況

社会における大学入試

大学入試は高校生の多くが経験する試練のように語られがちですが、現在大学進学率は50%程度[1]であり、さらにそのうち一般入試を利用する高校生の割合は半分程度で、それ以外は推薦入試やAO入試を用いて進学[2]しています。

このように実施形式が多様化している大学入試ですが、各大学が完全に自由な形式で特色ある入試を実施している状況ではなく、大学入試では高校教育の中でより能力を身につけた生徒を「選抜」する機能が働いています。そして、どのような学歴、学校歴があるかは、どのような社会的地位につくことができるかと現在も強い関連があります[3]。

[*1] 文部科学省の2019(令和元)年度の「学校基本調査」では、大学進学率は54.67%であることが明らかにされている

[*2] 文部科学省の「国公私立大学入学者選抜実施状況」によると2018(平成30)年度の大学入学者全体の44.2%が推薦・AO入試によるものである

[*3] これは社会階層論の研究により明らかになっている。例えば、石田浩・近藤博之・中尾啓子編(2011)『現代の階層社会2:階層と移動の構造』の中で平沢和司は、初職や現職の職業威信や専門職・大企業ホワイトカラー職の比率は、学歴と学校歴の両方の効果がみられることを明らかにしている。

次々と学校に求められる「新しい教育」

昨今、情報化やグローバル化の進展、AIの普及などにより社会が加速度的に変化していくという将来展望はニュースなどでも頻繁に語られています。そしてそれは「今ある仕事がなくなる」「この先どうなるかわからない」という不安とともに広く社会に普及していることでしょう。学校教育に対しても、社会の変化に対応できる「新しい教育」の必要性が様々な文脈で叫ばれ、英語教育やプログラミング教育の小学校時点からの導入をはじめ、教育現場に「新しい教育」が次々と導入されてきています。

社会の変化を背景に求められる「新しい能力」

このような「新しい教育」を求める流れは、大学入試改革の議論の場にも入ってきています。加速度的に変化しつつある社会においても生きぬく力を養うため、大学入試において思考力・判断力・表現力や主体性といった「新しい能力」を評価の対象とする方向に改革していく、というのが改革の基本方針となっています。そして、具体的には大学入学共通テストへの記述式問題の導入やeポートフォリオの導入などといった形で、実際の入試制度にも影響を与えつつあります。

3 本書が投げかける改革の理念への疑問

ここまで記してきたような近年の大学入試をめぐる動向について、本書の中で中村氏は掲げられている理念に現実味がないのではないか、と疑問を投げかけます。そして、改革の理念に対して本書の中では以下の2つの問いを提起しています。

問い1「改革において掲げられている能力は『新しい』のか」

大学入試改革において掲げられる「生きる力」や「学力の三要素[4]」といった概念は新たな社会を生きるうえで必要なものだとされていますが、中村氏はこれに対して「本当にこの能力は『新しい』ものなのだろうか」と問いかけます。そして本書では、これらに似た能力が、長い間名前を変えながら求められ続けてきた、と議論を展開していきます。

[*4] 「学力の三要素」は、文部科学省が「ゆとり」か「詰め込み」かの二項対立的な議論を乗り越えることを意図して提示した学力に対する考え方。学力を構成する重要な要素として「知識・技能」「思考力・判断力・表現力等」「主体的に学習に取り組む態度」があるとするもの。

問い2 「将来の社会において広く求められる『能力』は定義できるのか」

この点についても、本書の中で中村氏が強く疑問を投げかけています。まず前提として、それぞれの仕事で求められる優秀さは全く異なるものであることを確認し、そのうえでどのような職業においても求められる能力というものを想定すると、「コミュニケーション能力」や「主体性」などといった曖昧かつありきたりな能力に落ち着くのは当然であり、その能力を検証したり評価したりするのは難しいということを明らかにしていきます。

4 本書が切り込む「求められる能力」と社会の関係

本書の扱う範囲はここまで述べてきたような大学入試改革の理念に留まりません。本書の真骨頂は、「なぜ人々は主体性やコミュニケーション能力といったものを新しい能力として掲げ、大学入試の改革を求め続けてしまうのか」ということをテーマに据え、綿密な分析を重ねている点です。そしてこのテーマについて「今の社会は人々が『新しい能力』を求め続けてしまうような社会なのではないか」という斬新な仮説を立て、その検証を進めています。この検証や議論の詳細な内容は是非本書を読んでご確認いただければと思います。

5 本書を基に入試と能力について考える

本書を読んだうえでの感想

本書の仮説「今の社会は人々が『新しい能力』を求め続けてしまうような社会である」という主張は非常に説得力のあるものでした。そして特に教育に関わる人が、「新しい能力」を求める営みは果てしなく終わりのないものであることを学び、教育に携わる人それぞれが、社会に存在する「新しい能力」を求める欲求に流されすぎず、それに抗する行動を一つひとつ重ねていくことが重要なのだとも感じました。

教育に携わる者に何ができるか

「新しい能力」を求める欲求は、「新しい能力」が大学入試のような社会的な選抜の制度の中に評価の観点として組み込まれることでより人々を強い力で動かすことになるでしょう。入試制度について議論するうえで特に大切なのは、育成したい全ての能力を入試の中に組み込めば良いわけではない、という前提を踏まえることなのではないでしょうか。入試が控えているというプレッシャーは確かに学びを後押しするものではありますが、それに頼りすぎると高校教育の自律性も損なわれますし(例えば英語民間試験の対策という学習指導要領に合致しない教育内容が高校の英語の授業を圧迫するなど)、何より高校生自身が好奇心を持って学びを楽しめる機会を奪ってしまいかねません。

また、生徒の能力の伸長において入試に依存する発想は、生徒の視野を狭めてしまうことにも繋がるでしょう。少し理想論的ではありますが、生徒の側が大学生になって以降どう生きていきたいかが先にあり、入試はそこに向かうための試練である、という風に捉えられると、生徒の視野も広がっていくことでしょう。学校歴と社会的地位に相関があるのも、それぞれの大学やコミュニティの「普通」の枠内で個人が行動することによる影響が大きいです。一方で、大学に入ってからも個人の行動によって社会的な地位も生き方も変えることができる部分は大きくなっています。「大学入試は万能ではない」という認識のもと、教育機関も生徒もその使い方、取り組み方を選択できる状態に近づけると良いのではないかと考えています。

6 より学びたい方はこちら

能力評価と社会の関係について深く学びたい方へ

ジェリー・Z・ミュラー著/松本裕訳(2019)『測りすぎ——なぜパフォーマンス評価は失敗するのか?』
こちらは大学入試という枠から広げて、社会の中での能力評価、業績評価の氾濫を問題提起し、能力や業績を数値的に評価することについて問い直す専門書になっています。実際に能力の数値評価の実例も紹介されていて、専門外の方にも読みやすい本になっています。

大学入試と社会の関係について深く学びたい方へ

中村高康著(2018)『大衆化とメリトクラシー—教育選抜をめぐる試験と推薦のパラドクス』
こちらは、大学入試の競争が激化していると言われる現在なぜ推薦入試が広がりを見せているのか、という問いを切り口に、入試をめぐる歴史的経緯と現在の社会における入試の姿を詳細に紐解く学術書になっています。

7 本書の著者紹介

中村 高康
1967年生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。博士(教育学)。東京大学助手、群馬大学講師、大阪大学助教授を経て、東京大学大学院教育学研究科教授。第2回社会調査協会賞(優秀研究活動賞)受賞。
(2020年4月現在)

8 ライター紹介

新井理志
EDUPEDIA編集部編集委員。東京大学教育学研究科修士課程所属。専門は教育社会学、高等教育論。
(2020年4月現在)

(最終更新日 2024年2月27日)

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