思春期・反抗期だけじゃない~脳科学を活かしたコミュニケーション~(黒川伊保子 先生 教育技術×EDUPEDIAスペシャル・インタビュー)

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目次

1 はじめに

本記事は、雑誌『教育技術』(小学館)とEDUPEDIAのコラボ企画として行われたインタビューを記事化したものです。

『妻のトリセツ』『家族のトリセツ』など、家族の関係性を脳科学と人工知能研究の視点からひも解く、話題の『トリセツ』シリーズに、新刊『娘のトリセツ』『息子のトリセツ』が登場しました。

著者で、感性リサーチ代表取締役社長、人工知能研究者の黒川伊保子さんに、脳の使い方を活かしたコミュニケーションのポイントやこれからの学校・人間の可能性について伺いました。

(2020年8月31日取材)

2 インタビュー

執筆の思いー家族ストレス

コロナ禍でリモートワークをする人が増え、いま、人類史上かつてないほど家族が一緒にいます。そのため、家族のストレスがとても増えたように思います。そのストレスに伴う家族の離散を何とか止めたいという思いがあります。

コミュニケーションのレベル3

コミュニケーションの成熟度には三段階あります。自分の気持ちを垂れ流す「子どもレベル」、事実を言い募る 「まだまだ青いレベル」、相手の気持ちを慮る「大人レベル」です。

例えば、母親や妻から何か小言を言われて、「うるさいなぁ」「ムカつく」「……」は子どもレベル、「言われなくても、わかってる」「○○だから仕方ない」「後でやろうと思ってたのに」は青いレベル、「心配かけてごめん」「嫌な思いをさせたね」「気がつかなくて悪かった」が言えて初めて大人レベル。

遅刻して駆けつけた時、「電車が止まって大変だったよ」は子どもレベル、「出がけに仕事の電話が入っちゃって」は青いレベル、「寒かったでしょう」「心細かったよね」が大人レベル。

誰かがグラスを割った時、「何してるの!?」「お気に入りだったのに」は子どもレベル、「割った人がちゃんと片づけてね」「だから言ったじゃないの。不注意なのよ」は青いレベル。「ケガしてない?」「ショックだったでしょ。片づけてあげるから大丈夫」は大人レベル。

あなたの家族は、どのレベルで会話を交わしていますか?

韓流ドラマのイケメンは、必ずと言ってよいほど「大人レベル」の対話をしています。日本のドラマなら、「なんてことしてくれたんだ。母さんには関係ないだろ!」と怒鳴るようなシーンで、韓流ドラマなら「母さんに、そんな心配をかけてごめん」と言います。

また、この世のコミュニケーションには、「情の文脈」と「事実の文脈」があります。日本では、感情抜きで話すのが知的と解釈されているようですが、本当は、情を捨ててはいけないのではないでしょうか?

「事実」のその先、一クラス上の「情」の文脈、すなわち「相手の気持ちを慮って、それを口にする」レベル3をマスターしなければ、コロナ禍のように密度の高くなっている家族は危ないと思います。

ちなみに、息子のコミュニケーションを韓流イケメンのようなレベル3に育てるには、親がレベル3の口を利くことが必要です。脳は、入力されたことしか出力できません。失敗した子に「だから言ったじゃないの」ではなく(これはレベル2)、「あなたが一番、悲しいのよね。私も、気をつけてあげればよかった」と言ってみてください。結果は、思ったより早く出てきます。

脳には2種類の思考がある

そもそも、人間がとっさに使う脳の初期設定には、2種類の思考スタイルがあります。

1つめは、最初にゴールを設定し、それに向かって対処しようとする「ゴール指向 問題解決型」です。遠方や未来に意識を向けると、この使い方になります。

2つめは、事の発端から時系列に沿ってプロセスを語る「プロセス指向 共感型」です。目の前に意識が集中すると、この使い方になります。

これらは、脳の電気信号の強さに関係しているのですが、遠くを見たり、全体を俯瞰したりといった、客観的に物事を捉える脳の使い方をしている時は、感じたものを顕在意識にあげて目の前の人の感情に寄り添うことに、電気信号が使えないのです。

一方、目の前の人に寄り添っていると、どんどん主観的・感情的になってきます。そうでないと、自分の内的な世界を見つめることはできないのです。つまり、脳がどちらの使い方をするかの二者択一なのです。

男性は問題解決の対話に偏りがち

男性は問題解決の対話に偏りがちです。おそらく、何万年も男性が狩りをしてきたからでしょう。荒野で狩りをするとき、即座に問題解決をし、成果を上げなければ子孫が増やせません。ですから、男性の会話は課題を見つけること、つまり、スペック確認(なに、いつ、だれ、どこ、なぜ、どうして)か、相手の弱点を見つけることから始まります。

例えば、女子が「今夜はカルボナーラにしない?」と言うと、男子は「あれは胃にもたれるだろ」と言うところから始めます。相手が「バターを使わなければ大丈夫よ」と言えば、「じゃあ、それにしようか」と納得します。このように課題をつぶしていく会話が、男子にとっては気持ちよいのです。

しかし、そのような会話では、女子は自分の提案を全否定されたように感じてしまいます。女子は、「カルボナーラがダメなら、おろしそばもありだよね」など、お互いに食べたいものを提案し合うことを求めます。

このように男女では、お互いに気持ちよいと思う対話の流れが違うので、気を付けなくてはいけません。しかし、話法の違いを知っていれば楽ですよね。

子どもの特性

おもちゃを見た時に、男の子は、素材と構造が分かりやすいものに気を引かれます。例えば、光沢があって直方体をしている電車や車、特に機能性のある働く車などが大好きです。ぬいぐるみは、光が当たっても面が分かりづらいので、安心の道具に使われても、ミニカーのように飽くなき好奇心の対象にはなりにくいのです。また男の子は、離れたところにバラバラに置いてあるおもちゃで、位置空間や距離感をはかる遊びを好む傾向もあります。

このため、男の子を育てるときは、多少散らかった部屋の方が、空間認知力(のちの理系力や戦略力)を養えます。また、「空間がそのままキープされている」ことも創造力を養う大事なポイントです。ずっと片付けなくてよい、何日も何か月もかけてブロックを組んで作品を作れる工房のような空間を、狭くてもよいので与えてください。

言葉の使い方

言葉の使い方も、男女で異なります。

男の子は、客観性のある言葉をよく使います。これは私の実体験ですが、あるトラブルに対して、小学生だった息子と彼の友人たちに「どう思った?」と聞いたら、「いけないことだと思った」と答えました。「お母さんが聞いているのは、あなたの気持ち」と言っても、「いけないことだと思った、というのが気持ち」と答えます。「悲しい」「見たくなかった」という言葉はどう誘っても引き出せませんでした。一方、女の子は、自然に「わたしは悲しかった」「嫌な感じがしたよね」と自分の気持ちを答えます。

ほかにも、男の子は宇宙や正義などの言葉をよく使います。「宇宙」のような客観性の果てまでいって、それからやっと「嬉しい・悲しい」といった気持ちが言えます。自分の気持ちを自覚する=自我の確立は、男子の場合は、客観性の獲得の後にやってきます。男が大人になるのは、誰かのために悲しいが言える時なのです。

女の子は、「好き・寂しい・悲しい」という気持ちを表す形容詞をよく使います。生まれた時から、感情を顕在化する神経回路を男子の何倍も使うからです。主観的な世界に関心を持ちやすいので、自我の発達が男の子よりも早く、ときには自我が肥大して「周りにちやほやされないと情緒不安定になる」という事態に至ることもあります。女が大人になるのは、誰かのために「悲しい」を呑み込める時と言えるでしょう。

女の子には一人前と思って口を聞く

「4歳を過ぎたら、女の子には一人前と思って口を聞いてあげた方がよい」とよく言います。自我の発達が早い女の子は、4歳くらいになると、自分が何者か、自分が何を望んでいるのか、言語化できないにせよ、直感でわかっています。「自分」という存在を、しっかりと認知しているのです。

自我という観点では自立した人間ですから、相手の思いを無視してことを進めようとしても、なかなかうまくいきません。「それ食べなさい」などと言っても、本人が納得しなければ抵抗してくるでしょう。ならば、誘えばよいのです。女友達に勧めるように「それを食べると体によいんだって、食べてみない?」と言えばよい。相談に乗ってもらうというのも、よい手です。公園で遊んで帰らない場合は、「早く帰りなさい」ではなく、「今帰らないとカレーを作る時間がなくなるけど、どうする?」のように。そこに女友達がいるように接すると、コツがつかめます。

女の先生も、女の子には命令口調で言わないほうがよいと思います。実際にできることは大人並みではありませんが、自我は大人並みなので気をつけてください。

ちなみに、私の父はよく「悲しい」と言って私を叱りました。例えば、私が漫画本の続きが読みたくて「お風呂掃除したくない」と言うと、父は「そうか、それは悲しいな」と言います。そう言われると、私が悪いことをした気がして、掃除をやってしまいます。「それは駄目だ」など、正義に照らして注意されたことはほとんどありません。

口が達者でも行動は未熟

女の子は、4歳ころには自我が育つので、男子に比べて口が達者ですよね。そのわりに行動が未熟なので腹が立つこともあるでしょう。そのうえ、「好きな人の役に立ちたい」と言う気持ちだけが強いので、お皿を運ぼうとしてひっくり返すなど、余計なことをして失敗することもあります。そんなとき、「なんで、余計なことするのよ!」と怒鳴りたくなるでしょうが、感情に任せて叱らないほうが二人のためです。「本当は手伝ってくれようとしたのよね。ありがとう。けがはなかった?」など、気持ちを汲んだ言葉を伝えてあげてください。その方が、娘の反省は深くなり、失敗が脳の発達につながります。そして、なにより、親への信頼と愛が盤石になっていきます。

とはいえ、忙しい母親に心の余裕はなく(ましてや下の子の授乳期ともなれば、ホルモンバランスもまた乱れているので)、上のような神対応は、なかなかできないものです。そんな時は父親の出番です。娘をその場から抱き上げて連れ出し、娘が言いたかったことを言葉にしてください。「お母さんのことを手伝おうとしたんだよね、分かるよ」と言ってあげてください。

女の子は、口では分かったようなことを言っても、事の前後関係や因果関係がまだうまく理解できず、周りの状況が大人ほど理解できていないので、そこは勘案して下さい。生意気な口調にのせられ、怒りをエスカレートさせないようにしたいものです。

学校行事で自我のリストラ(再構築)を

学校の先生は職業上「よい子に育てる」という目標をしっかり持っているので、つい問題解決型の会話になってしまいがちです。成績がよければ褒める、掃除をしっかりとしたら褒めるなど、理想に対してクリアした時にだけ褒めることが多くなります。もちろん、それは先生の大事な役割ですが、いつも褒められている子が、知らない間に自我を不健全に増大させていることがあります。これは、自分が万能で、「できない子」がくだらない、と思う気持ちです。首位の座を守りたいあまり、「できる子」に対して攻撃的になるという気持ちとセットで訪れます。本人にとっての「正義感」を振りかざし、クラスの雰囲気を壊し、時にはいじめの首謀者になってしまうこともあります。

こういった子の増大した自我をリストラ(再構築)してあげるには、叱っても効果はなく、自分だけが偉いわけではないということを思い知ることが重要と思われます。学校は、「成果を出せば評価される」ところですが、その成果の方向性を一つに絞らないことが大切だと思います。誰もが何かの一番になれる場所であってほしいです。例えば、合唱コンクールやかるた大会など、通常の枠組みではない競争の中で、誰もが何かの才能の持ち主であることを知るべきです。

また、合唱やチームスポーツのように、誰か一人だけ秀でていても、全体の成果が残せないことを知るのも効果が大きいと思います。我が家の息子は、小学校の運動会の棒倒しで白組のリーダーになったとき、その布陣で何日も悩んでいました。「ただ運動神経がよければいいってもんじゃないんだよ。速攻力のある奴は、防御の時に浮足立って、そこが穴になっちゃう。攻撃と防御では、頼りになるメンバーが違うんだ。しかし、いざという時浮足立たない才能って、見極めが難しくて」と。オフェンスとディフェンスのWリーダー制だったので、二人のリーダーが、一人一人の素質を分析する様子には、胸を打たれました。わずか12歳の二人でしたが、そのまま企業の取締役会にお招きしたいくらいの洞察力と戦略力で(微笑)。

成績を上げるだけなら他の方法もあるでしょうが、このような経験は学校でしかできないと思います。私は、学校行事こそが、息子の社会性を養ってくれたと信じます。この世にさまざまな素質があることを知り、その組み合わせの妙で成果を出す経験を通じて、人をリスペクトする大切さを学ぶこと。それは、学校教育にしかできない神髄だと思います。

失敗の価値

子どもには、失敗するチャンスを与えてください。欧米では転職する時の面接で「前職でどんな失敗をしましたか?」と聞きます。「失敗したことはありません」と言ったら、実はスキルなしという判断になります。前職の会社で大失敗してくれたら、転職先の会社で失敗しないで済むからです。

失敗経験は最高のスキルという考え方があるのですが、日本では失敗しないことが一番素晴らしいと思われています。このために、子どもが失敗する前に、大人が要領よく正解を教えてしまう。それでは、勘や創造力やセンスを養えません。脳は、「失敗して痛い思いをすると、その晩、学習を繰り返して、直観力を蓄える」という癖があるからです。今後は、失敗という経験を肯定的に評価する必要があると思います。

対話のアドバイスー共感から始める

娘との対話で気を付けたいのは、問題解決型で話をしようとしないことです。5W1Hの質問といった問題解決型の対話は、相手の脳や気持ちを尖らせ、空気をぎすぎすさせてしまいます。多くの親は、娘がネガティブな感情を吐露した時にアドバイスや説教をしてしまいます。

しかし、まずは共感することが大切です。例えば、娘が「こんなに宿題があったら夏休みは遊べない」と愚痴をこぼしたら、「宿題をこなすのが学生の本分だろう」などと言わずに、「父さんも宿題にはうんざりしていたんだ」と返すなど、まずは共感から入ることです。世間の常識に照らして、相手の考えが間違っていると思ったとしても、本人がそう思ったことに関しては否定のしようがありません。

「会話の呼び水」

娘が話をしてくれなくなり会話の断絶が続いたら、スルーされる回数は多くなりますが、それでも声をかけ続けましょう。話す内容は、「会社の若い女の子にこう言ったら腹を立てられて、お父さん傷ついたよ」など、自分に起こった身近なことでよいのです。「会話の呼び水」を投入するのです。初めはスルーされるかもしれませんが、そのうち「お父さん、もっと口のきき方を気を付けなよ」などと言ってくれるかもしれません。「お母さんの誕生日プレゼント何がいいと思う?」「最近面白い映画ある?」など、娘が知っていることを相談するのもよいと思います。

社会的事案を話し合う

相談事も見つからない場合は、家族で社会的事案を話し合ってみてください。「子どもには難しい社会問題は分からない」と思わないほうがよいです。小学生でも「トランプ大統領のここがよいと思う」と考えるなど、大人が「そんなところを見ているのか」と思わされることもあります。

社会的事案を話し合うのは、異なるものの見方を出し合って遊ぶということで、それは文脈力を鍛えることになります。私の場合はコミュニケーションとしてオススメしますが、結果として国語力も上がると思います 。

これからの人間の役割

基本的な問題解決や創造力について、人工知能は人間を超えていきます。既に、素敵な芸術作品を作りますし、宿題の作文は人工知能の作文エンジンで書くことができるでしょう。「では、人間の存在価値はなくなるか?」とよく聞かれますが、それは絶対にありません。

理由は、人工知能は物事が「良い・悪い」といった価値判断ができないからです。例えば、一流シェフ並の料理を考えつくことはできても、それが美味しいのか・美味しくないのかは、人工知能には分からないのです。「おそらく、今までのデータからすると美味しいであろう」と確率的には分かっても、実際に美味しいかどうかは人間が判断することです。他にも、芸術の美しさや治療法に対する倫理など、あらゆることがそうなのです。どんなに知的な出力ができても、感性の判断ができる人間とセットでなくては役に立たない。つまり、どこまでいっても、人工知能は道具にしかすぎません。

これからの人間の役割は、「美味しい、嬉しい、悲しい、寂しい、よい」といった価値を判断することに集約していくでしょう。今後、美しく暮らす・美味しく暮らす、そういう人間的な能力の高い人が活躍する時代になるでしょう。そうなると、問題解決など言ってる場合ではありません。「嬉しい・悲しい・愛おしい」が言える能力が大事になるのです。

3 著者プロフィール

黒川 伊保子(くろかわ いほこ)
株式会社感性リサーチ代表取締役社長、人工知能研究者、随筆家。
(2020年8月時点)

4 書籍紹介

小学館新書「娘のトリセツ」

試し読みはこちら

扶桑社新書「息子のトリセツ」

5 編集後記

「その人らしさ」を大事にする黒川先生の優しさが伝わってくるインタビューでした。また、脳の使い方や人工知能と人間の役割の違いなど、教育を大きな視点で考えるきっかけになりました。「人間らしい」教育とはどんなことか、模索していきたいです。

(取材、文責:EDUPEDIA編集部 大和)

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