詩の楽しみ方を見つけよう まど・みちお『ケムシ』小学5年生~「さんぱつ」に込められた思い ~(今井成司先生)

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目次

1 はじめに

この記事では、東京作文教育協議会・前会長、元杉並区立公立小学校教諭の今井成司先生からいただいた原稿をもとに、『ケムシ』(まど・みちお)の授業実践をご紹介します。

杉並区立久我山小学校5年生の国語「詩の楽しみ方を見つけよう」における実践です。子どもとのやり取りを通じて、たった8文字から詩の面白さや作者が込めた思いを読み解いていきます。

2 授業~たった二行の中にたくさんの仕掛けがある~

表面的な文字・言葉から読みが始まる 

初めに、先生が教科書にある6つの詩を音読しました。そして、「どれが好きですか。気に入りましたか」と子どもたちに聞きました。

次に、「好き」が一番多かった「ケムシ」の詩をノートに聴写しました。教師も子どもと同じ速さで板書していきます。(注1)

ケムシ   まど みちお   

さんぱつは きらい

(『まど・みちお 少年詩集 まめつぶうた』まどみちお 著、赤坂三好 絵、理論社 より引用)

音読してから、自由に感想を話してもらいました。

「さあ、これは、どんな詩ですか。気づいたこと、感じたこと、思ったこと、どんなことを言ってもいいですよ。あっ、先生は、こういう詩のプロですから、何を言っても怒りません。笑いません。大丈夫ですよ」

たまにしか行かない教室ですから、こう言ったのです。すぐに数人、手が挙がりました。
(・・・下は教師の反応です)

●ひらがなばかりです。・・・おお、いいこと気づいたなあ(「ひらがなばかり」と板書)。ひらがなばかりだと、どんな感じがするかなあ。

●でも題はカタカナです。・・・そうか。題はカタカナだね(題の横に「カタカナ」と板書)。なぜかなあ。

●短い詩です。一行だ。いや、二行です。・・・そうだね(「短い詩」と板書)。

ここで、「短い」をめぐって以下の発言が続きました。

●題名・作者名も入れると二行です。・・・とても短い。

●場所がどこなのか書いてありません。・・・・じゃあ、ダメな詩かな。

●場所がなくてもいいです。・・・そうか場所が、書いてなくてもいいのか。

●時間がわかりません。・・・困りますか。

●わからなくてもいいです。・・・そうか、時間が書いてなくてもいいんだ。場所や時間が書かれていない。でも、それでいい。この詩は、この前学習した『話し言葉の特徴』に似ているというのですね。(注2)

○散髪が嫌いなのがわかります。・・・どうして嫌いなのかなあ。

○ここ(さんぱつがきらい)が面白い。・・・どうして面白いのかなあ。

これらのやりとりで、教室は和やかで明るい雰囲気で、発言がしやすくなっていました。

「あたりまえ」の中に、大事なものがある

子どもたちは、こんなに、いろいろなことに気づいているのです。ただ、多くの教室では「ひらがなばかりだ」「題はカタカナだ」「短い」といった発言は出てきません。教師も子どもも、そんなことは当たり前だと考えているからです。

しかし、これは大事なところなのです。「気づいたことが何でも言える教室」は、それを面白いと受け止めて、さらに深めていく中でこそ培われるのです。私は意図的に、子どもの発言から、問いの方向性を示しました。教師の反応の傍線部分がそれです。前時の学習の発言が出てきたのもこういう流れからです。

「聴写」が問いを生む

子どもたちの反応の●は、文字や言葉についての発言です。これは、見ればわかることです。内容については、最後の○「さんぱつ」が「きらい」、「面白い」だけです。

文字に関する発言が多いのは、耳で詩を聞いて書いている時に、どういう文字で表すのか、言葉を意識せざるを得ないからです。ですから、詩を読むときには、聴写から入ることには意味があるのです。詩では、文字・言葉・音声が前面に出てきます。それが読み手には「ひっかかる」のです。聴写がこれをさらに促したのです。

「なぜ、どうして、この文字・この言葉なの?」

こんな疑問から詩の読みは始まります。言葉から意味がすんなりと入ってこない。そこが面白く、詩はそう書かれているのです。言葉・文字そのものが、「ここにいるよ。簡単に意味につなげないでよ」と主張しているのです。(注3)

意味だけでなく言葉の多面性から引き出す

授業は続きました。発言をもとにした読み深め・話し合いです。(・・・以下は教師の反応)

「ひらがなばっかり、ですね。どういう感じがしますか」

—毛虫は子どもです。だからひらがなしか読めません。それでひらがなです(笑い)。

—毛虫は幼虫です。だからまだ子どもです。だからひらがなです(笑い)。・・・そうか幼虫なのか。

—毛虫は体が柔らかいから、ひらがなでいいと思いました。・・・ひらがなは、柔らかい文字なんだね。

ここで出されたのは、言葉の意味・内容ではありません。「ひらがなの性格・特徴・視覚性」をもとにして読んだのです。そこから、毛虫のイメージまでたどり着けたわけです。次も同じです。

「じゃあ、題・ケムシはどうしてカタカナなのかなあ」

—毛虫は、毛がピンと立っているからです。

—毛虫の毛が真っすぐに立っている感じがカタカナです。

—ひらがなだと弱々しい毛虫になってしまいます。

カタカナの画(かく)には、直線が多いという幾何学的特徴(文字の視覚性)からイメージをつかんでいます。

「なぜ、散髪はきらい、なのかなあ」

—毛を切られるでしょう。そうすると、「ケ」がなくなって、ただの「ムシ」になってしまうからです。

そう言いながら、つかつかと男の子が前に出てきました。黒板に書いてあるケムシのケの文字を、手で隠して言いました。

—こうなるとただのムシです。・・・なあるほど(みんなは大笑い)。

—そうなると、自分らしくなくなってしまうから嫌いなのです。・・・自分らしさは大事なんだ。

—毛が切られてなくなると、敵にやられてしまいます。・・・自分の命を守っているんだ。それがなくなると、大変だものね。

「まどさんはね、今はとってもお年寄りだけれども、子どものころ、きっとなんかの理由で、散髪が嫌いだったのかもしれませんね」

「ケムシ」についてはここまでで終えて、次の詩「耳」(ジャン・コクトー)に進めました。

この「ケムシ」は面白い授業になりましたが、どこか足りない、表面的な面白さにとどまってしまっていると思いました。

だまされる読者ー絵に描いて気づく

そこで、翌年にまたこの授業に取り組みました。杉並区の浜田山小学校5年生での授業です。ここでは、詩の中心になる「さんぱつ」を扱った後半を紹介します。

「じゃあね、毛虫が散髪された後の絵を描いてもらうよ」と言って、何人かに黒板に絵を描いてもらいました。絵は次のようになりました。

(※毛虫が全身の毛を切られて丸裸になっている絵。編集部作)

どれも、同じような絵でした。

「そうかなあ。これが散髪ですか」と言って、わたしは、人間の子どもの上半身の絵を黒板に描いて、「この子の散髪をした絵を描いてください」と言いました。出てきた子どもは、頭のところだけ髪の毛を切りました。  


(※散髪した子どもの頭の絵 編集部作)

「どうですか」

子どもたちは、「『さんぱつ』とは、頭のところの毛を切ることなんだ。体全体の毛を切ることではないんだ」と気づきました。

今度は、わたしは、毛虫の絵を描いて、毛虫の頭のところだけ毛を切り、体の部分の毛は残しました。

「散髪。じゃあ、これでいいかな」 

(※ケムシの散髪の絵 編集部作)

子どもたちは、変だと笑いました。やはり、頭だけでなく、毛を全部切るほうがいいと言うのです。

「そうだよね。頭だけでは変だよね。毛虫は体の毛を切られるのが嫌なんだよね。でも。さんぱつと書いてあるのに、君たちはどうして、虫の頭だけでなく、体全体と受け止めてしまったのかなあ。実は先生もそう読んでいました」

子どももわたしも、いわば「誤読」をしていたのです。でも、そう読むから面白いのです。そう読むように作者が仕掛けているのです。そして、この仕掛けはさらに、大きな意味を含んでいます。

「さんぱつ」に込めた人間への思いを読む

「今まで、先生も、君たちも、ケムシの毛を切る、という言い方をしていましたね。
 でも本文は、さんぱつ、でした。それなのに、ヒツジが毛を切られるのと同じように読んでしまったのです。
 ヒツジでは散髪といいますか」

ーいいません。切る。刈るです。

「じゃあ、散髪と言うのは誰に使う言葉ですか」

ー人間です。

ー「毛を切る」という意味なのに、まどさんは、人間に使う「散髪」という言葉で書いたんだ。

「そうだね。人間に対して使う言葉だ。それを、まどさんは、虫に対して使っている。ということから何がわかりますか」

ここが一番難しそうで、なかなか手が挙がりませんでした。

ー毛虫を人間と同じように扱っている。

ー毛虫に親しさを感じている。

—友達みたい。

「そうだね。まどさんは、ケムシにも、生き物として、人間と同じような温かい気持ちで接しているのですね。『さんぱつ』という言葉の使われ方を考えていくと、こういうことも読めてくるのだね
 ということは、人間・子どもたちに対しても、きっと同じようなことを言いたいのではないでしょうか。

髪の毛ぼさぼさの山田君。君らしくていいじゃないか。

体育が苦手の斎藤さん。それでも君らしさがあればいいんだよ。

みんな、無理することないんだよ。お互いに自分らしさを大事にしようよ。

この『ケムシ』からは、きっとこういうメッセージが伝わってくるんだ。だから、みんなはこの詩が好きなんだね。面白いんだね」

このように、「毛を切る」ではなく「さんぱつ」という言葉を使ったことに注目すると、まどさんの、虫たちへの思い・命への思い・人間への思いが感じられてくるのです。単なる面白さではない、人間性(ヒューマニズム)に裏打ちされたとき、ユーモアが生まれるのです。

(授業の紹介部分は、記録をもとに構成してあります。)

注釈

注1、聴写。芦田恵之助の流れをくむ研究会「どろんこの会」の梶原勝・教頭先生から私が新卒の時に教わった。極めて有効な方法と思ってずっと続けている。聴写の持つ力、やり方の詳細は「教科書教材の読みを深める言語活動1年生」(本の泉社)参照

注2、光村図書5年175p「話し言葉と書き言葉」。これは使いにくい、問題があると考えた。実際の授業では、話し言葉は、「場があること」と押さえて、そこから出てくる特徴を取り出す学習をした。西江雅之「言葉の課外授業」(洋泉社)が役に立った。

注3、『言葉の詩学』(池上喜彦著・岩波書店)58pには「言葉は透明な意味の乗り物ではない」として出ている。この本からは、詩・言葉についてたくさんのことを教えられた。この授業も、ここで学んだことに多くを負っている。

3 実践者プロフィール

今井成司先生

杉並区教育研究会、元国語部長

東京都杉並区三谷小学校を2007年に退職

杉並区浜田山小・久我山小、立川第八小などで講師をした。

現在、東京作文教育協議会委員、日本作文の会会員。

杉並区作文の会会員。

主な著書に

  • 「国語の本質がわかる授業」(1、2)(日本標準、編著)
  • 「楽しい児童詩の授業」(日本標準、編著)
  • 「教科書教材の読みを深める言語活動」(1~4年生)(本の泉社)

などがある。

(2020年11月時点のものです。)
 

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