中学歴史〜縄文時代、弥生時代〜(自主学習用教材「こころの窓」第3回)

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目次

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第3回「縄文時代、弥生時代」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将がどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

こんにちは。今日も「こころの窓」を開けてくれてありがとう。

それでは今日も、一緒に勉強していきましょう。

今日のお題は「縄文時代(じょうもんじだい)、弥生時代(やよいじだい)」です。

およそ1万年前頃に、大陸と離れて日本ができましたね。この頃の日本を旧石器時代といいます。さらに年月が進むと、人々は狩りや漁でとったものを保存したり、煮炊きするために土器(どき)を使うようになります。このとき作られた土器を縄文土器(じょうもんどき)といいます。縄の模様があったから、そんな名前がついたのですね。この時代を縄文時代といいます。

さらに年月が進み、紀元前3世紀頃になると、中国や朝鮮から渡ってきた人たちが、日本に稲作(お米作りですね)を伝えました。ここから時代は弥生時代に入っていきます。土器もお米を保存したりするためにたくさんの土器が必要になり、模様のない簡単な土器が作られ始めました。この土器が東京の弥生町(やよいちょう)というところではじめて見つかったので、なんとここから弥生土器という名前がついたのですヨ。そして、この時代を弥生時代といいます。紀元前300年頃から紀元後300年頃までつづきます。

下の絵は、その頃の様子です。左上に見えるのが、竪穴住居(たてあなじゅうきょ)といって当時の人の家です。右上は、高床倉庫(たかゆかそうこ)といって、お米などを保存した倉です。

人々は、お米が栽培しやすい川の近くで平らな土地に田んぼを作りました。そのまわりに家を建てて住み始めたので、ここにむらができていくのです。

ところで、縄文時代には、みんな狩りをしていただけなので、身分に差がなく、争いも起こらなかったようです。でも、お米を作り始めた弥生時代になると、むらとむらが水や土地のことで争うようになり、戦争がはじまるのです。また、豊作を願って祭りが始まると、村をまとめる代表がつくられ、身分も生まれてくるのです。その中で一番身分の高い人が国王になっていったのですよ。

ではこれで、本日の「縄文時代、弥生時代」は終わります。

次の復習問題にチャレンジしてください!

復習問題

1.縄文土器や弥生土器の特長と、何に使われたかについてまとめてください。

縄文土器は、狩りや漁で捕まえた食料をしばらく保存したり、食べ物を煮炊きするために使われたようです。また、縄目の模様があったことからこの名前がつけられたようです。

弥生土器は、煮炊きにも使われましたが、おもには、お米を長期間保存するためのものとして使われたようです。たくさん作るために、ほとんど模様のない土器だったようです。

2.川のそばで、平らな土地に、つくられました。

理由は、お米を作るのに、川のそばで平らな土地が便利だったからです。田んぼがそういうところに作られたので、そのまわりに家が建てられ、むらができたのです。

3 ダウンロードはこちらから

こころの窓 第3回「縄文時代、弥生時代」

ほかの単元の記事もご覧になりたい方はこちら

4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

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