中学歴史〜平城京〜(自主学習用教材「こころの窓」第7回)

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目次

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第7回「平城京」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将がどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

こんにちは。今日の体調はいかがですか。

それでは、今日も一緒に歴史を勉強しましょう!

今日のお題は「平城京(へいじょうきょう)」です。

この前出てきた中大兄皇子(のちの天智天皇)が、きちんと政治を行いましたが、天智天皇が亡くなると、跡継ぎ争いが起こり、天智天皇の弟の大海人皇子(おおあまのおうじ・・のちの天武天皇<てんむてんのう>)と、天智天皇の子どもの大友皇子(おおとものおうじ)が、戦いをはじめます(壬申の乱、じんしんのらん)。この戦いに勝った天武天皇が、天皇中心の国づくりをさらに進めていくのです。

天皇は、中国の唐(とう)に習って、律(りつ・・刑罰のきまり)と令(りょう・・政治のきまり)で政治を行いました。これを、大宝律令(たいほうりつりょう)といいます。今でいうと、内閣や国会のような政治の仕組みをつくったのです。もちろん一番上には天皇がいます。その下に太政官(だじょうかん)という大臣がいて、さらにその下に八省が置かれました。この八省は今でいうところの、文部科学省や厚生労働省といったものです。具体的な仕事はこの八省で行われました。また、このように天皇を中心に政治を行うところを朝廷(ちょうてい)といいます。そして、各地方には国司(こくし)がいました。今で言う都道府県の知事ですね。すごいですね。1500年以上も前に、こんな仕組みをつくったのですね。そう考えると、天武天皇はものすごい人ですね。

さて、天武天皇は政治をする仕組みは整えましたが、政治をする場所をどこに置こうかということになり、現在の奈良市にその都(みやこ・・政治をするところ)が置かれました。これを平城京(へいじょうきょう)といい、現在で言えば首都の東京です。また、この時代を奈良時代と言います。

この平城京には、たくさんの豪族(のちに貴族といいます)たちが集まり、人口も増えていきました。人々が集まると、いろいろな商売が盛んになりますネ。いわゆる市が盛んに行われます。今までは、物々交換で品物が売り買いされていましたが、一度にたくさんの品物が売り買いされるようになると、物々交換では売り買いができなくなったため、ここでいよいよお金が登場するのです。右の写真が日本最古の「富本銭(ふほんせん)」と次に登場する「和同開珎(わどどうかいちん)」です。今本物があればものすごく高価ですよ。

<左:富本銭><右:和同開珎>

それから、国は安定するのですが、しばらくすると全国で伝染病がはやり始めます。そこで、その時の聖武天皇(しょうむてんのう)は、奈良の東大寺に大仏様をお建てになり、仏様の力で、この伝染病を沈めようとされたのです。いつの時代も、病気や災害は国を大混乱させますね。

話は少し変わりますが、天皇という言い方や日本という言い方も、実はこの天武天皇の頃から始まったと言われているのです。天皇の前は大王(おおきみ)でした。では、日本という言い方をする前は何でしたか? 

そうです、倭(わ)ですね。よく覚えていましたね。

は~い! 今日もお疲れ様でした。

では、復習問題にチャレンジしてください

復習問題

1.壬申の乱(天智天皇の弟の大海人皇子と天智天皇の子である大友皇子の戦い)は、なぜ起こったのだと思いますか。

天智天皇の次は、普通で言えば弟の大海人皇子が天皇になるはずだったのです。でも、天智天皇は、できれば自分の子どもに後を継がせたいと考えたから、子どもである大友皇子が天皇になろうとして、大海人皇子と争いになったのです。

2.もともと物々交換で品物が売り買いされていたのに、どうしてお金が使われるようになったと思いますか。

もともとは物々交換で売り買いがされていたのですが、平城京にたくさんの人が集まり、売り買いする品物がたくさん出まわったので、物々交換では売り買いがスムーズにできなくなったため、お金(富本銭や和同開珎)が登場したのです。

3.何のために、東大寺の大仏様がつくられたのだと思いますか。

全国に伝染病が流行したり、世の中がものすごく乱れてきたので、このままでは、国が平和にならないと考えた聖武天皇は、仏教(仏様の力を借りて)の力で、国を平和にしようと考えました。そのために、東大寺に大仏様をつくったのです。

お疲れ様でした。

病気を治すためや、入学試験に合格するため、また、結婚相手が見つかるように、今でも神様や仏様に拝んだりしますが、それは今も昔も変わらないんですね。

では、今日はこれで終わります。今日もぐっすり寝て、また明日、元気に「こころの窓」を開けてくださいネ。それではまた明日!

3 ダウンロードはこちらから

こころの窓 第7回「平城京」

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4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

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