中学歴史〜平安京と摂関政治〜(自主学習用教材「こころの窓」第9回)

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作成者: EDUPEDIA編集部さん

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第9回「平安京と摂関政治」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将がどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

こんにちは。「こころの窓」でーす。

では、ぼちぼちはじめますか。

今日のお題は「平安京(へいあんきょう)と摂関政治(せっかんせいじ)」です。

平城京では寺院の僧侶(そうりょ・・お坊さん)や貴族の力が強くなり、天皇中心の政治がやりにくくなりました。そこで、桓武天皇(かんむてんのう)は、都(みやこ・・今の首都)を平安京(へいあんきょう・・現在の京都市です)に移して、政治を立て直そうとしました。そして、地方の国司(こくし・・知事のような役)たちをしっかり監視して、勝手な政治をさせないようにしました。また、当時の東北地方は、まだ天皇が支配できていなかった、蝦夷(えみし・・アイヌの人々です)と呼ばれる人々が住んでいました。そこで、天皇は坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を征夷大将軍(せいいたいしょうぐん・・のちに将軍といいます)に任じて蝦夷を攻撃させ、支配下に入れました。こうして、南は九州から北は東北地方までを天皇の支配下に置いたのです。この時代を平安時代と言います。

下の図が平安京の地図です。大内裏(だいだいり)というところに天皇の住まいがあり、政治を行うところもここにあったのです(現在の、国会議事堂があったのです)。大内裏の真正面を通る大通りが、朱雀大路(すじゃくおおじ)といって、平安京のメインストリートです。当時のなごりで、今でも京都は上から順番に一条通り、二条通り、三条通りと順番に通りの名前が決まっていますね。そして、その周りには平安京で働く貴族たちの家がぎっしりと建っていたのです。

次に、平安時代の中頃になると、また貴族が勢力を強めていきます。なかでも、藤原氏(ふじわらし)は、朝廷で最大の勢力を持つようになります。そして、藤原氏は自分の娘を天皇のお嫁さんにして(天皇と結婚させた)、生まれてくる子どもを次々と天皇にしていったのです。さらに、この天皇が小さい時に自分(藤原氏)は摂政(せっしょう)となり、天皇が成人しても、自分は関白(かんぱく)となり、天皇にかわって政治をしたので、完全に藤原氏の独裁政治が始まるのです。この政治を摂関政治(せっかんせいじ・・摂政と関白の頭の文字を取って)といい、藤原道長(ふじわらのみちなが)と、その子どもである頼道(よりみち)のころが最も栄えました。

下の絵は平安時代の女性の正装である十二単衣(じゅうにひとえ)です。美しいですね。当時の女性の結婚年齢は13歳だったそうです。こんな人が家に来られたらびっくりしますね。

はい、お疲れ様でした。では、また復習問題にチャレンジを!

復習問題

1.天皇はなぜ、都を奈良(平城京)から京都(平安京)に移したのでしょうか。理由をまとめてください。

奈良の平城京では、寺院の僧侶や貴族たちの勢力が強まり、天皇中心の政治がやりにくくなってきたため、都を京都に移して、乱れた政治を立て直そうと考えたからです。

2.天皇は何のために、蝦夷(アイヌの人々)と戦ったのでしょうか。目的をまとめてください。

平安時代の初めの頃は、天皇の支配は関東までで、その北の東北地方にはアイヌの人々が住んでいたので、支配下に置くことができていませんでした。そこで、アイヌの人々と戦いながら、最終的には東北地方を支配下に置きました。

3.藤原氏は、どうやって天皇と同じくらいの権力を握ることができるようになったのですか。

藤原氏は朝廷の中で、他の貴族を少しずつ追い出していき、権力を強めていきました。さらに、藤原氏は自分の娘を天皇に后にし(天皇のお嫁さんにする)、生まれてくる子どもを天皇にしたのです。つまり自分の孫を天皇にし、天皇が小さい時に自分は摂政となり、天皇が成人したら自分は関白として、天皇にかわって政治を行いました。こうして権力を握ったのです。

3 ダウンロードはこちらから

こころの窓 第9回「平安京と摂関政治」

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4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

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