中学歴史〜元寇〜(自主学習用教材「こころの窓」第14回)

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目次

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第14回「元寇」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将がどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

今日の気分はどうですか。

今日も一緒にがんばりましょう!

今日のお題は「元寇(げんこう)」です。

鎌倉時代の終わり頃、アジア大陸の真ん中に、チンギス=ハンが、モンゴルという大帝国を築きました。その孫にあたるフビライ=ハン(左の絵)は、中国の宋を滅ぼして元(げん)をつくりました。そして、その後もフビライは領土をさらに広げようとしました。そんななかで、日本にも使者を送り、「日本も私に貢ぎ物(プレゼント)を送ってきなさい。そして、元の支配下に入りなさい。さもないと、日本を攻撃しますよ。」というような内容の手紙を送りつけてきたのです。この時の鎌倉幕府の執権は、北条時宗(ときむね・・右の絵の人です)でした。時宗はそうとう悩んだと思います。なにせアジア大陸を支配する、最強の国からの要求です。しかし、強い精神力を持っていた時宗はこの要求を断り、元との戦争の準備を始めたのです。すると、怒ったフビライは、本当に日本を船で攻撃してきたのです。一回目は、1274年の「文永の役(ぶんえいのえき・・役というのは戦争のことです)」といい、3万の軍勢で攻撃してきました。戦いになれている元軍は、得意の集団戦法と火薬を使った武器で攻撃をしてきましたが、日本は暴風雨に助けられて、元軍は引き上げていきました。しかし、これでカンカンに怒ったフビライは、1281年に再び、なんと14万の軍勢を率いて攻撃してきたのです(これを弘安の役<こうあんのえき>といいます)。しかし、これも日本は激しい暴風に助けられて、元軍は引き上げていきました。この二つの元の攻撃を元寇(げんこう)といいます。日本は、時宗の勇気と神風といわれた暴風雨に助けられたのですネ。

しかし、この元寇の後に本当の大問題が起こってくるのです。それは、幕府に命令されて、九州まで兵隊を連れて行って戦った御家人たちに、恩賞(おんしょう・・・活躍した家来に与えるボーナスですね)を与えることができなかったのです。ふつうに戦争すると、勝った国は負けた国から賠償金や土地を取り、これを家来に分け与えるものです。しかし、今回の戦争は、元が勝手にやってきて、勝手に帰っただけなので、賠償金や土地などを取れていないのです。だから、御家人に恩賞をやれなかったのです。これでは、御家人たちの不満が高まってきます。御家人たちは、九州へ行く旅費や戦うための武器は、ほとんど借金をして準備していたのです。そこで、時宗は、徳政令(とくせいれい)をだして、御家人がした借金は、返さなくてよいことにしたのです。びっくりですね。借金がチャラになったんですよ!お金を貸した商人は大損害です。でも、この徳政令も一時的なものだったので、御家人の不満はだんだんと大きくなっていくのです。

今日の歴史はどうでしたか。神風様ありがとうございますですネ!

では、復習問題に進んでください。

復習問題

1.なぜ、元は日本を攻撃してきたのですか。

元のクビライ=ハンは、日本に手紙を送り、元の支配下に入るように要求してきました。しかし、これを幕府の北条時宗が断ったために、2度にわたって日本を攻撃してきました。

2.元からの2度の攻撃を、幕府(北条時宗)はどうやってはねのけたのですか。

一度目は、集団戦法や火薬を使った新しい武器に苦戦したが、暴風雨が吹いて元軍は引き上げていきました。その後、九州の守りを固めたが、再び元軍が攻撃してきました。この時も、神風と呼ばれる暴風雨が吹いて、元軍は引き上げていきました。

3.元寇に勝ったにもかかわらず、なぜ、御家人たちの不満は高まっていったのですか。 

元軍は引き上げていったが、元軍から賠償金や土地を取ることはできなかったため、御家人に恩賞を与えることができませんでした。借金に苦しむ御家人のために徳政令を出しましたが、一時的な効果があっただけで、御家人の不満を解消することはできませんでした。

長い日本の歴史の中で日本が外国から攻撃されたのはこの元寇と、あとは太平洋戦争の終わりに、アメリカ軍から沖縄と本土が攻撃を受けた2回だけです。小さな日本にとっては幸いなことです。

逆に日本が外国を攻撃したのは、奈良時代に天智天皇が朝鮮を攻撃したり、豊臣秀吉が朝鮮を攻撃したり、明治時代に入ってからは、日清戦争や日露戦争を行い、さらには日中戦争で中国を攻撃しました。いずれも日本にとって、よかった戦争なんてものは一つもありませんでした。

3 ダウンロードはこちらから

こころの窓 第14回「元寇」

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4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

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