中学歴史〜室町時代の町と農村の様子〜(自主学習用教材「こころの窓」第19回)

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目次

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第19回「室町時代の町と農村の様子」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将がどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

ようこそ、「こころの窓」へ

では、今日もボチボチ、はじめましょう。

今日のお題は「室町時代の町と農村の様子」です。今日は歴史の流れがありません。室町時代の町や村の様子を紹介します。

まず、町では商業が発達します。特に毎月決められた日に定期市(ていきいち・・右の絵がその様子です)が開かれ、いろんな物が売り買いされます。たとえば、八日市の名前も、毎月8のつく日(8,18,28)に市が開かれていたことで、こんな名前が残っているのですよ。また、同じ商売をする人同士が、座(ざ)というグループをつくって、自分たちの商売を独占(ひとりじめ)することも始まりました。

次は村の様子です。室町時代になると、村には惣(そう・・・自治会のようなもの)がつくられ、寄り合い(村の会議)を開いて村の問題を話し合いで解決したり、村の決まりを決めてみんなが勝手な行動をしないように取り締まったのです。(下の資料が、村のおきてです)また、農村でひどい不作(お米がとれないこと)が続くと食べるものもなく、税も払えないので借金までしました。

さらに、その借金の返済もできなくなるくらい苦しい生活が続くと農民たちは、自分たちの生活を守るために反乱を起こすようになったのです。これを一揆(いっき)といいます。

一揆のなかでも有名なのが、1428年の正長の土一揆(しょうちょうのどいっき)というものです。これは滋賀県の大津の馬借(ばしゃく・・運送業で、今でいう宅急便です)たちによる一揆です。借金が返せなくなった人たちが、徳政令(借金を返さなくてもよいというきまり)を出すように役人に要求したのです。この一揆を役人たちが力で押さえようとしたのですが、民衆の抵抗がものすごく強かったため、押さえることができないまま、大津から京都や奈良まで広がってしまったのです。民衆が役人にいろいろな要求をしていましたが、聞き入れられないと分かると、当時の金貸しであった酒屋(さかや)や土倉(どそう)といわれるお店を、打ち壊しはじめたのです。結局この一揆は2ヶ月あまりも続いてしまいました。そして、これ以後、全国各地でたくさんの一揆が行われるようになるのです。

今日は歴史の流れがありませんでしたが、当時の人々の生活が少しでも分かってもらえましたか。

それでは、今日も復習問題に進んでください!

復習問題

1.座とはどういうもので、何のためにつくられたのですか。自分の言葉でまとめてください。

座とは、同じ商売をするものたち(同業者)が、グループをつくり、その商売を独占することで、自分たちの商売を守ろうとした。

2.惣とは何で、何のためにつくられたのですか。まとめてください。

村には惣という、今で言うところの自治会のようなものがつくられ。また、また寄り合いを開いて村の問題を話し合いで解決したり、村の決まりを決めてみんなが勝手な行動をしないように取り締まったのです。

3.近江で起こった正長の土一揆を自分の言葉で、簡単に説明してください。

1428年に起こった土一揆です。これは、滋賀県の大津の馬借(ばしゃく・・・運送業で、今でいう宅急便です)たちにより、はじめられました。借金が返せなくなった人たちが、徳政令(借金を返さなくてよいというもの)を出すように役人に要求したのです。この一揆を役人たちが力で押さえようとしたのですが、民衆の抵抗がものすごく強かったため、簡単に押さえることができないまま、京都や奈良まで広がっていったのです。はじめ民衆は役人にいろいろな要求をしていましたが、聞き入れられないと思うと、当時の金貸しであった酒屋(さかや)や土倉(どそう)といわれるお店を、打ち壊しはじめたのです。結局2ヶ月あまりも一揆が続いてしまいました。

3 ダウンロードはこちらから

こころの窓 第19回「室町時代の町と農村の様子」

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4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

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