中学歴史〜新航路の発見と南蛮貿易〜(自主学習用教材「こころの窓」第21回)

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目次

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第21回「新航路の発見と南蛮貿易」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将がどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

調子はどうですか。元気にしていすか。では今日も始めますね!

今日のお題は、「新航路(しんこうろ)の発見と南蛮貿易(なんばんぼうえき)」です。

今日は、はじめにヨーロッパの歴史を勉強します。それは、この頃から、世界の国と日本の関係が深く関わっていくので、世界の歴史も少し勉強します。

ヨーロッパでは、お肉を食べるときに香辛料(こうしんりょう・・コショウなどのこと)を必ず使います。この香辛料はヨーロッパではほとんど栽培されていなかったので、アジアから輸入していました。しかし、輸入する途中で西アジアの商人が間に入ってお金儲けをしたので、とても値段が高かったのです。そこで、15世紀(日本では室町時代の中頃です)になると、ポルトガルやスペインは、直接アジアの国と香辛料などを取引をするために、新しい航路(船で行く海の道)を探したのです。そして、有名なコロンブスは、アジアと間違ってアメリカ大陸を発見したのです。また、バスコ・ダ・ガマは、アフリカの南を回ってアジアへ行く航路を発見したのです。こうして、ヨーロッパの人たちが、船でアジアへ行き来するようになり、そんななかで日本にもやってきたのです。

次は日本の歴史にもどります。1543年に鹿児島県の種子島(たねがしま)に、倭寇の船が難破して漂着しました。この船にポルトガル人が乗っており、この時に鉄砲(下の絵です)が伝えられたと言われています。その後、ポルトガル人やスペイン人が日本にやってきて貿易を始めました。当時、スペイン人やポルトガル人のことを南蛮人(なんばんじん)と呼んでいたので、この貿易を南蛮貿易(なんばんぼうえき)といいます。日本には火薬や生糸(きいと)などが輸入され、日本から銀が支払われました。南蛮人は日本の銀がほしかったのですね。この貿易でたくさんの銀が日本から出ていったのですヨ。もったいないですね。

さらに、スペイン人のフランシスコ・ザビエルは、日本にキリスト教を伝えました。この頃、ヨーロッパのキリスト教は宗教改革(しゅうきょうかいかく)が行われ、新しいキリスト教(プロテスタント)に人気が高まり、それまでのキリスト教(カトリック教会)から離れていく人が増えたのです。そこで、カトリック教会(その中心だったのがイエズス会)は、ヨーロッパだけでなく海外にもキリスト教を広げていこうと考えたのです。そして、このイエズス会の代表であったザビエルは、日本に来てキリスト教を広めたのです。下の絵がザビエルさんです。とても有名な絵です。ザビエルさんが持っている十字架の赤い部分は、心臓を表しているそうです。

はい、今日の歴史はどうでしたか。

では、いつもの、復習問題にチャレンジしてください!

復習問題

1.なぜ、コロンブスやバスコ・ダ・ガマは、アジアへの新しい航路を見つけようとしたのですか。

ヨーロッパでは、お肉を食べるときに香辛料を必ず使います。この香辛料はヨーロッパではほとんど栽培されていなかったので、アジアから輸入していました。しかし、輸入の途中で西アジアの商人が間に入ってお金儲けをしたので、とても値段が高かったのです。そこで、15世紀になると、ポルトガルやスペインは、直接アジアの国と取引をするために新しい航路を探したのです。そして、有名なコロンブスは、アジアと間違ってアメリカ大陸を発見したのです。また、バスコ・ダ・ガマは、アフリカの南を回ってアジアへ行く航路を発見したのです。

2.南蛮貿易について、簡単に説明してください。

南蛮人(スペイン人やポルトガル人)と日本が行った貿易です。火薬や生糸が日本に輸出され、日本からは大量の銀が支払われました。

3.何のために、ザビエルは日本にキリスト教を伝えに来たのですか。

ヨーロッパのキリスト教は宗教改革が行われ、新しいキリスト教(プロテスタント)に人気が高まり、それまでのキリスト教(カトリック教会)から離れていく人が増えました。そこで、カトリック教会(その中心人だったのがイエズス会)は、ヨーロッパだけでなく海外にも信者を広げていこうと考え、そのイエズス会の代表であったザビエルが、日本に来てキリスト教を広めに来たのです。

3 ダウンロードはこちらから

こころの窓 第21回「新航路の発見と南蛮貿易」

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4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

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