中学歴史〜信長と秀吉による全国統一〜(自主学習用教材「こころの窓」第22回)

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目次

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第22回「信長と秀吉による全国統一」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将がどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

こんにちは。元気にしてますか。では、今日もそろそろ始めましょうか。

今日のお題は「信長と秀吉による全国統一」です。

約100年もの間、戦国の時代が続きますが、これをようやく終わらせたのが織田信長(おだのぶなが)です。1560年に桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)で、今川義元(いまがわよしもと)を倒しました。はじめは今川軍(2万5千の兵士)が圧倒的 に優勢でしたが、今川義元が桶狭間で油断をして兵士にお昼ご飯をゆっくり食べさせていた時に、織田軍(5千の兵士)が奇襲攻撃をしたために、わずか数時間で今川軍を撃破したのです。さらに、1575年には、鉄砲を戦いに持ち込んだ信長は長篠の戦い(ながしののたたかい)で、武田勝頼(たけだかつより)を破り、全国統一をさらに進めていったのです。

また、信長は楽市楽座令(らくいちらくざれい)を出しました。この楽市とは、座(室町時代につくられた、商工業者の組合)という組合に入っていなくても、自由に市(定期市)で商売ができるようにしたのです。また、楽座とは、座を廃止して今まで払っていた税金を免除したのです。これによって、誰でも自由に商売ができ、さらに高い税金を払わなくてよくなったために、商工業がものすごく活発に行われるようになったのです。信長さんは、やってくれますね!

ただ、いいことばかりではありませんでした。それは、比叡山にある延暦寺を焼いてしまったり、一向一揆(いっこういっきといい、一向宗<仏教のなかの一つ>の一揆)を徹底的に弾圧するなど、後の人々に恨まれることもたくさんしたのですよ。こんな信長さんは、いよいよ全国統一まであと一歩というところで、家来の明智光秀(あけちみつひで)に殺されてしまうのです。そうです、あの有名な本能寺の変(ほんのうじのへん・・・京都の本能寺というお寺で休んでいた時、光秀に寺を焼かれて、もうダメだと思って自害しました)です。

この知らせを聞いた、備中高松城(びっちゅうたかまつじょう・・・現在の岡山県にある)を攻撃していた豊臣秀吉(とよとみひでよし・・・彼も信長の家来です)は、すぐに全軍を京都まで引き返し、京都の山崎というところで明智光秀の軍と戦い、光秀を撃破しました(山崎の合戦・・やまざきのかっせんという)。

その後、豊臣秀吉は信長の後を継いで、全国を統一したのです。こんなこと言ったら秀吉さんに怒られますが、ラッキーですね!もともと尾張(愛知県)の農家の子どもとして生まれた秀吉さんですが、信長さんに仕えて大成功したんですね。

今日の歴史はどうでしたか。では、復習問題にチャレンジしてください。

復習問題

1.桶狭間の戦いで、織田信長は5000人の兵士で、25000人もの兵士を持つ今川義元を、どのようにして破ったのか説明してください。

はじめは今川軍(2万5千の兵士)が圧倒的に優勢でしたが、桶狭間で油断をして兵士にお昼ご飯をゆっくり食べさせていた時に、織田軍(5千の兵士)が奇襲攻撃をして、わずか数時間で今川軍を撃破した。

2.楽市楽座令の内容と、この制度はどんな良いところがあったのかをまとめてください。

この楽市とは、座という組合に入っていなくても、自由に市(定期市)で商売ができるようにした。また、楽座とは、座を廃止して今まで払っていた税金を免除した。これによって、誰でも自由に商売ができ、さらに高い税金を払わなくてよくなったために、商工業がものすごく活発に行われるようになった。

3.なぜ、明智光秀は、主人の織田信長を殺したと思いますか。あなたの想像でまとめてください。

これにはいろいろな説がある。直接、明智光秀に聞かないと本当のことは分からない。そのなかで、いくつか例を上げる。
1. 光秀自身が全国を統一したかった。
2. 光秀が信長に人前でたたかれることがあり、恨んでいた。
3. 天皇から命令されていた。などなど・・・

3 ダウンロードはこちらから

こころの窓 第22回「信長と秀吉による全国統一」

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4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

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