中学歴史〜豊臣秀吉による刀狩りと太閤検地〜(自主学習用教材「こころの窓」第23回)

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作成者: EDUPEDIA編集部さん

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第23回「豊臣秀吉による刀狩りと太閤検地」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将がどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

こんにちは。今日も元気に行きましょう!

今日のお題は「豊臣秀吉による刀狩り(かたながり)と太閤検地(たいこうけんち)」です。

 

全国を統一した秀吉はまず、検地(けんち)を始めます。もともと農民だった秀吉は、農家の人が少しでも税を安くするために、土地の広さをごまかしていたことを知っていました。土地の面積を少なく報告すれば税は安くすむのです。これは、農家にとっては生きていくための知恵だったのです。しかし、秀吉は税(これからは年貢<ねんぐ>といいます)を確実に取るために、ものさしや、ますの大きさを統一し、全国の田畑の面積や収穫高を正確に調べ、農家がごまかせないようにして、年貢を取り上げたのです。これを太閤検地(たいこうけんち・・・秀吉のことを太閤さんと呼んだのでそう言います)というのです。

これでは農家はたまったものではありません。さらに、秀吉は、検地を行って確実に年貢を取れば、農民は怒って一揆をするだろうと考え、農民から武器を取り上げたのです。これを刀狩り(かたながり)といいます。

この検地と刀狩りによって、信長の時から始まった兵農分離(へいのうぶんり)がさらに進んでいくのです。兵農分離とは、文字通り兵士(武士)と農民の身分をきちんと分けることです。これには二つの理由があります。

一つ目の理由は、昔は、戦いがあると農民に武器を持たせて兵士として戦わせ、普段は農業をさせていたのです。しかし、田植えの時や収穫の時に戦いが重なると、農民を兵士として使いにくいので、兵士(武士)は戦うことを専門の仕事にし、農民は農業を専門にさせることで、いつでも戦いができるようにしたのです。

二つ目の理由は、農民に一揆をさせないため農民から武器を取り上げ、兵士(武士)と農民の身分を確実に分けたのです。

次に秀吉は、全国を統一したことに満足できずに、中国の明を攻撃し支配下に入れようと考えたのです。そのためにまず、朝鮮を攻撃します。はじめは、現在の韓国の首都であるソウルまで占領しますが、朝鮮の民衆の抵抗にあい、最後は秀吉が死んだために、全軍を朝鮮から引き揚げたのです。この失敗で、家来の豊臣家への信頼が少しずつ失われていくのです。やっぱり、やり過ぎですよね!

お疲れ!では、復習問題へ・・・がんばってね!

復習問題

1.太閤検地の内容とその目的をまとめてください。

もともと農民だった秀吉は、農家の人が少しでも税を安くするために、土地の広さをごまかしていたことを知っていました。つまり、土地の面積を少なく報告すれば税は安くすむのです。これは、農家にとっては生きていくための知恵だったのです。しかし、秀吉は税を確実に取るために、ものさしや、ますの大きさを統一し、全国の田畑の面積や収穫高を正確に調べ、農家がごまかせないようにして、年貢を取り上げたのです。これを太閤検地といいます。

2.刀狩りの内容とその目的をまとめてください。

検地を行って確実に年貢を取れば、農民は怒って一揆をするだろうと考え、農民から武器を取り上げたのです。これを刀狩りといいます。

3.信長や秀吉は、何のために兵農分離を行ったのですか。行った理由を二つまとめてください。

一つ目の理由は、昔は、戦いがあると農民に武器を持たせて兵士として戦わせ、普段は農業をさせていました。しかし、田植えの時や収穫の時に戦いが重なると、農民を兵士として使いにくいので、兵士(武士)は戦うことを専門の仕事にし、農民は農業を専門にさせることで、いつでも戦いができるようになったのです。

二つ目の理由は、農民に一揆をさせないため農民から武器を取り上げ、兵士(武士)と農民の身分を確実に分けたのです。

3 ダウンロードはこちらから

こころの窓 第23回「秀吉による刀狩りと太閤検地」

ほかの単元の記事もご覧になりたい方はこちら

4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

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