中学歴史〜安土桃山文化〜(自主学習用教材「こころの窓」第24回)

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作成者: EDUPEDIA編集部さん

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第24回「安土桃山文化」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将がどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

元気にしていますか。では、今日もがんばりましょう!

今日のお題は「安土桃山文化(あづちももやまぶんか)」です。

今日の安土桃山文化は、織田信長と豊臣秀吉の時代の文化です。織田信長は安土に大きなお城を建てました(下の絵です)。この安土城は地上6階と地下1階でつくられた、巨大で壮大なお城です。

ところで、信長はなぜ滋賀県の安土にお城を建てたのかというと、いろいろな説があります。その中で一つ紹介しますと、安土は琵琶湖に面しており、城のすぐ後ろが琵琶湖でした。信長は、琵琶湖を利用し、船でいつでもすぐに京都や大阪へ行けるという立地条件の良い安土を選んだとも言われています。ただ、本能寺の変のすぐ後に安土城は焼かれて今は城跡(しろあと)だけです。

次に豊臣秀吉が立てた大阪城です。これは今も残る大きなお城です。全国を統一した秀吉にとって、戦うためのお城ではなく、全国の大名が驚き、とても秀吉には逆らえないなあと思わせるようなスケールの大きなお城です。天守閣(てんしゅかく・・・城の中心にある一番大きな建物)の中は、ふすまや屏風(びょうぶ)に、当時一番有名な絵師(えし・・絵を描く人)である狩野永徳(かのうえいとく)が、豪華な絵を描いています。

この他には、大阪の商人であった千利休(せんのりきゅう)という人は、茶の湯を茶道(さどう)へと高めました。また、一般の人々の間には、人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり・・・あやつり人形を使って、口で物語をお話しする芸のことです)や、出雲(いずも・・島根県)の阿国(おくに)によって、歌舞伎踊り(かぶきおどり)が人気を集めていました。

また、南蛮貿易により、ポルトガル語がそのまま日本語になったことばもあります。右の表がその一例です。ボタンにしても、コップにしても、今でも普通に日本語として使っている言葉ですが、じつは南蛮貿易で日本に来たポルトガル人によって伝えられたものなのですね。知らなかったでしょう!

今日はここまでです。

これで、安土桃山時代が終わります。次はいよいよ江戸時代が始まります。ということは、徳川家康さんが登場します。お楽しみに!

では、復習問題にチャレンジしてください!

復習問題

1.なぜ、織田信長は滋賀県の安土に自分の城を建てたのですか。安土を選んだ理由を考えて書いてみてください。

信長はなぜ滋賀県の安土にお城を建てたのかというと、いろいろな説があります。その中で一つは、安土は琵琶湖に面しており、城のすぐ後ろが琵琶湖だったので、信長は琵琶湖を利用し、船でいつでもすぐに京都や大阪へ行けるという立地条件の良い安土を選んだとも言われています。

2.安土桃山文化の特長を、あなたの言葉でまとめてみてください。

安土城や大阪城に見られるように、とにかく大きく壮大で、しかも、天守閣は黄金で飾り付けられ、ふすまや屏風には狩野永徳らによって豪華な絵画が描かれています。このように安土桃山文化は、壮大で豪華な文化です。また、一般の民衆の間では、人形浄瑠璃や出雲の阿国による歌舞伎踊りが流行った文化でもあります。

信長と秀吉の時代を安土桃山時代といいます。この時代も、秀吉が亡くなると、歴史が大きく動いていきます。秀吉が亡くなる前から、この国を自分の支配下に置こうと考えていたのが徳川家康(とくがわいえやす)です。このことに、多くの大名たちは関心を持っていました。秀吉が死んだ後、秀吉の息子の秀頼(ひでより)を中心に豊臣家をもり立てようと考えている、石田三成(いしだみつなり)側につく武士たちと、幼い秀頼よりも確実に実力を強めていった家康側についていこうと考える武士たちの、二つの大きな勢力に別れていったのです。そして、次の時間に出てくるのが関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)です。どんな風に歴史が動いていくかを、しっかりと見てくださいネ。

3 ダウンロードはこちらから

こころの窓 第24回「安土桃山文化」

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4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

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