中学歴史〜鎖国〜(自主学習用教材「こころの窓」第28回)

0
目次

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第28回「鎖国」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将がどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

今日の調子はどうですか。それでは、そろそろ始めましょうか。

今日のお題は「鎖国(さこく)」です。

島原・天草一揆で、幕府は、これ以上貿易を続けていたら、日本中にキリスト教が広まり、幕府の政治のじゃまになると考え、外国人が日本に来ることも日本人が外国に行くことも禁止し、貿易もオランダと中国と朝鮮以外は禁止しました。これを鎖国(さこく)といい、幕府は外国とのお付き合いをやめてしまったのです。ただ、キリスト教を広めないことが分かっていたので、オランダや中国や朝鮮とだけは貿易を続けたのです。また、貿易をした場所も限られており、オランダと中国とは長崎の出島(でじま)で行いました。右の絵の中央に突き出た 扇方(おおぎがた)の島が出島です。向こうに見える船はオランダ船です。このオランダや中国との貿易のおかげで、今も長崎市内には、たくさんの外国の雰囲気が残っており、とてもロマンティックな街です。

その他には、対馬藩(つしまはん・・・朝鮮と九州の間にある島で現在は長崎県の一部)と朝鮮、 松前藩(まつまえはん・・北海道)とアイヌ人、 薩摩藩(さつまはん・・鹿児島県)と琉球(沖縄)が貿易を許されたのです。

また、幕府は外国とのお付き合いをやめてしまうと、外国の情報が入らなくなるので、毎年オランダから「オランダ風説書(ふうせつしょ)」という書物を取り入れ、これで外国の情報をつかんでいたのです。外国の様子が分からないと、世界の進んだ文化から取り残されてしまうという心配もあったのでしょうね。

さて、もう一つ、朝鮮との関係ですが、秀吉が朝鮮へ兵隊を送って戦いをしたので、関係がよくありませんでした。しかし、対馬藩が幕府と朝鮮との関係を改善し、将軍が新しくなるたびに朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)として、500名近い使節団が朝鮮から日本に訪れるようになりました。この対馬藩の中に、雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)と方がおられました。彼は独学で朝鮮語を学び、朝鮮との関係改善に努めたのです。なんとこの方は滋賀県長浜市高月町の出身なんですヨ。滋賀県にもたくさんすばらしい人がいたのですね!

お疲れ様。今日の歴史はどうでしたか。では、復習問題にチャレンジしてください。

復習問題

1.鎖国とはどんなものか、自分の言葉でまとめてみてください。

幕府は、これ以上貿易を続けていたら、日本中にキリスト教が広まり、幕府の政治のじゃまになると考え、外国人が日本に来ることも日本人が外国に行くことも禁止し、貿易もオランダと中国と朝鮮以外は禁止しました。これを鎖国といい、幕府は外国とのおつきあいをやめてしまったのです。ただ、キリスト教を広めないことが分かっていたので、オランダや中国や朝鮮とだけは貿易を続けたのです。また、貿易をした場所も限られており、オランダと中国とは長崎の出島で行いました。

2.鎖国をしていた幕府は、世界の情報をどのようにして知ったのかをまとめてください。

幕府は外国とのお付き合いをやめてしまうと、外国の情報が入らなくなるので、毎年オランダから「オランダ風説書」という書物を取り入れ、これで外国の情報をつかんでいたのです。外国の様子が分からないと、世界の進んだ文化から取り残されてしまうという心配もあったのでしょう。

ところで、話は変わりますが、彦根から東近江市の能登川をとおり、近江八幡の方へ続いている道で「朝鮮人街道」という大きな道があることを知っていますか。能登川の駅から琵琶湖のほうへ200mほど行ったところを通っています。これが、江戸時代に朝鮮通信使の方々が通っていた道なので、今でもこの名前が残っているのです。

3 ダウンロードはこちらから

こころの窓 第28回「鎖国」

ほかの単元の記事もご覧になりたい方はこちら

4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次