中学歴史〜産業の発達と五街道〜(自主学習用教材「こころの窓」第30回)

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目次

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第30回「産業の発達と五街道」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将がどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

こんにちは。今日もがんばりましょう!

今日のお題は「産業の発達と五街道(ごかいどう)」です。

戦争がなくなり、日本が平和になってくると、幕府や各藩は年貢(米で納める税金)を増やすことを考え、新田開発(しんでんかいはつ)に力を入れ始めました。そこで、荒れ地を開墾(かいこん・・・耕して田や畑にすること)したり、沼地を干拓(かんたく・・・水を抜いて陸にすること)して、新しい田や畑を増やしていったのです。また、農民たちも、農具を改良したり、商品作物(しょうひんさくもつ・・お金に換えることのできる米以外の作物)を作りはじめました。こうして、農民の生活も少しずつ豊かになっていったのです。

次に、幕府は五街道(ごかいどう)を整備します。五街道とは東海道(とうかいどう)、中山道(なかせんどう)、甲州街道(こうしゅうかいどう)、日光街道(にっこうかいどう)、奥州街道(おうしゅうかいどう)です。右の地図で確かめてくださいネ。これは、参勤交代の制度がはじまったので、各地方から大名が毎年たくさんの家来を連れて江戸へやって来るのに、大きな道が必要となったので整備しました。このおかげで、街道沿いに宿場町(しゅくばまち・・大名行列や旅人が、たくさん宿泊してできた町)が栄え、日本中が豊かになったのですよ。

また、一度にたくさんの年貢などを大坂や江戸に運ぶために船が利用され、日本海沿いに西まわり航路、太平洋沿いに東まわり航路が開かれたのです。(下の地図で確かめてね)

さらに、大阪には各藩の蔵屋敷(くらやしき・・・各藩でとれた年貢米や作物を保存する蔵)が置かれ、全国から集められた年貢米などを、この蔵に保存したのです。そして、大阪の商人たちによって、年貢米や作物が売られ、その収入が藩のお金になったのです。このように、全国から米や作物が大阪に集められたため、大阪は「天下の台所(てんかのだいどころ)」といわれるようになったのですね。

また、都市では商人が同業者の組合(グループ)をつくり、幕府から特別な販売許可をもらったので大商人が育っていったのです。このグループを株仲間(かぶなかま)といいます。

ところで、滋賀県も東海道と中山道が通っていたんですよ。今では東海道は国道1号線、中山道は国道8号線として活躍しています。知ってましたか?

それでは、復習問題にチャレンジしてください。

復習問題

1.幕府や各藩は、年貢を増やすためにどのような工夫をしましたか。具体的な例を上げてまとめてください。

新田開発に力を入れ始めました。そこで、荒れ地を開墾したり、沼地を干拓して、新しい田や畑を増やしていったのです。

2.五街道はなぜ整備されたのですか。理由をまとめてください。

参勤交代の制度がはじまったので、各地方から大名が毎年たくさんの家来を連れて江戸へやって来るのに、大きな道が必要となったので整備しました。また、このおかげで、街道沿いに宿場町が栄えました。

3.大阪がなぜ、「天下の台所」といわれたか。理由をまとめてください。

大阪には各藩の蔵屋敷が置かれ、全国から集められた年貢米などをこの蔵に保存したのです。そして、大阪の商人たちによって、年貢米や作物が売られ、その収入が藩のお金になったのです。このように、全国から米や作物が大阪に集められたため、大阪は「天下の台所」といわれるようになったのです。

3 ダウンロードはこちらから

こころの窓 第30回「産業の発達と五街道」

ほかの単元の記事もご覧になりたい方はこちら

4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

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