中学歴史〜寛政の改革〜(自主学習用教材「こころの窓」第34回)

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目次

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第33回「寛政の改革」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将がどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

こんにちは。今日の気分はどうですか。

まあまあですか。よろしい。では、今日もがんばりましょう。

今日のお題は「寛政の改革(かんせいのかいかく)」です。

8代将軍の吉宗さんの後、9代将軍と10代将軍の時に、老中(ろうじゅう・・・将軍を助ける仕事)となったのが、田沼意次(たぬまおきつぐ)です。彼もまた幕府の政治を立て直すために改革を行います。たとえば、長崎の貿易を盛んにしてお金儲けをしました。また、商人たちに株仲間(かぶなかま・・同業者のグループ)をつくらせ、この株仲間が仕事をしやすいようにする代わりに、幕府に税金を納めさせました。しかし、このことで、商人たちが役人にわいろ(商人たちに都合のよいようにしてもらうために、役人にお金を渡すこと)を渡しはじめたので、政治が乱れました。さらに、天明のききんが起こり、お米がとれなくなり日本中の人々の生活がたいへん苦しくなり、田沼意次は老中をやめさせられたのです。

この田沼さんにかわって、老中となったのが、松平定信(まつだいらさだのぶ)です。彼は、享保の改革に習って、武士も町人も農民にも、徹底して倹約(けんやく・・・節約)を進めました。そして、農村においては、しっかりと米作りをさせて、きちんと年貢を取るために、江戸に出稼ぎに来ていた農民を村に帰らせました。また、江戸に住んでいた幕府の役人である武士たちが、商人たちから借りていた借金を帳消しにしました。これを棄捐令(きえんれい・・・鎌倉時代の徳政令みたいなもの)と言います。その他、武士たちの間ではいろいろな学問を勉強する人たちが増え、幕府のやり方を批判する人たちが出てきたため、主人の言うことをしっかりと聞くことが大切と教えた朱子学(しゅしがく・・・儒教の中の一つの学問)以外の学問を禁止しました。このように松平定信は、いろいろな改革をしたのですが、あまりにも厳しすぎるという不満が大きくなり、この改革は6年ほどで終わってしまいました。

ところで、江戸時代の三大改革は、それぞれ取り組まれた年数がちがいます。享保の改革は約25年間ほど取り組まれたようです。これに対して、寛政の改革はわずか6年で終わってしまいました。さらに、次の時間勉強する、天保(てんぽう)の改革は、なんと2年たらずで終わってしまうのです。改革も後になればなるほど、うまくいかずに早く終わってしまうんですね。

はい、お疲れ様。では、今日も復習問題にチャレンジしてください!

復習問題

1.老中の田沼意次が行った政治について、まとめてください。

田沼意次はまず、長崎の貿易を盛んにしてお金儲けをしました。また、商人たちに株仲間をつくらせ、この株仲間が仕事をしやすいようにする代わりに、幕府に税金を納めさせました。しかし、このことで、商人たちが役人にわいろを渡しはじめたので、政治が乱れました。さらに、天明のききんが起こり、お米がとれなくなり日本中の人々の生活がたいへん苦しくなり、彼は老中をやめさせられたのです。

2.寛政の改革の内容をまとめてください。

老中である松平定信が行った改革です。彼は、享保の改革に習って、武士も町人も農民にも、徹底して倹約を進めました。そして、農村においては、しっかりと米作りをさせて、きちんと年貢を取るために、江戸に出稼ぎに来ていた農民を村に帰らせました。また、江戸に住んでいた幕府の役人である武士たちが、商人たちから借りていた借金を帳消しにしました。これを棄捐令と言います。その他、武士たちの間ではいろいろな学問を勉強する人たちが増え、幕府のやり方を批判する人たちが出てきたため、主人の言うことをしっかりと聞くことが大切と教えた朱子学以外の学問を禁止しました。このように松平定信は、いろいろな改革をしたのですが、あまりにも厳しすぎるという不満が大きくなり、この改革は6年ほどで終わってしまいました。

3 ダウンロードはこちらから

こころの窓 第34回「寛政の改革」

ほかの単元の記事もご覧になりたい方はこちら

4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

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