中学歴史〜化政文化〜(自主学習用教材「こころの窓」第36回)

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目次

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第36回「化政文化」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将がどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

今日の調子はどうですか。今日もがんばりましょうネ。

今日のお題は「化政文化(かせいぶんか)」です。

化政文化は江戸を中心に広がった江戸時代後半の文化です(前半は元禄文化でしたね)。化政文化ではたくさんの人が活躍するので、とりあえず有名な人を紹介し、その後で、代表的な人や作品のお話をします。

<学問では>
・国学・・・本居宣長(もとおりのりなが・・古事記伝)
・洋学・・・ヨーロッパの学問が広がる
・医学・・・杉田玄白(すぎたげんぱく・・・解体新書
      シーボルト(日本に西洋の医学を伝える)
・寺子屋(てらこや)・・町人や農民の子どもが勉強をしたところ。     
      
<書物で>
・東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ・・十返舎一九)
    
<美術では>
・浮世絵(うきよえ)・・・葛飾北斎(かつしかほくさい・・富嶽三十六景)
             歌川広重(うたがわひろしげ・・東海道五十三次)

それではまず、オランダ語で書かれた人体の解剖書(かいぼうしょ)を、前野良沢(まえのりょうたく)と一緒に2年がかりで翻訳し、日本語で書かれた解体新書(かいたいしんしょ)を著したのが杉田玄白(すぎたげんぱく)さんです(下の絵の人です。今までの日本の医学では分からなかった、人間の身体の中を正確に表したのです。

次に紹介するのはシーボルトさんです(下の絵の方です)。彼はヨーロッパの進んだ医学を日本の医者に教えた人です。彼のおかげで日本の医学がものすごく進歩したのです。

今度は、絵画です。江戸時代に人気があり、世界中で知られるようになったのが浮世絵(うきよえ)です。たとえば、右の富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)は、葛飾北斎が描いた富士山の絵です。

また、右の東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)は、歌川広重(うたがわひろしげ)が描いた東海道の宿場(しゅくば)の絵です。ちなみに、二つとも版画(はんが)です。びっくりですネ!

たくさん紹介しましたが、何か一つでも、ネットで調べるとおもしろいですよ。お疲れ様。では復習問題へ行ってください!

復習問題

1.日本の医学に影響を与えた、シーボルトか杉田玄白の、どちらかについてまとめてください。

シーボルトはヨーロッパの進んだ医学を日本の医者に教えた人です。彼のおかげで日本の医学がものすごく進歩したのです。

杉田玄白はオランダ語で書かれた人体の解剖書を、前野良沢と一緒に2年がかりで翻訳(ほんやく・・・日本語に訳すこと)し、日本語で書かれた解体新書を著した人です。この解体新書によって、今までの日本の医学では分からなかった、人間の身体の中を正確に表したのです。

2.化政文化の特長と具体的な内容についてまとめてください。

化政文化は、江戸時代の後半に江戸を中心に広がった文化です。この頃になると、医学であったり、農民や町人の子どもたちが勉強をはじめた「寺子屋」などが発達しました。また、絵画でも非常に有名な浮世絵が登場します。なかでも、風景を描いた葛飾北斎の「富嶽三十六景」や歌川広重の「東海道五十三次」は、色つきの版画で印刷し海外へも広がっていきました。

寺子屋とは、子どもたちに文字の読み書きや、場所によってはそろばんを教えた庶民の学校のことです。江戸はもちろん、全国の町や村にありました。江戸時代後半には寺子屋の戸数が急激に増加しました。全国に15000以上も存在したとも言われています。この寺子屋によって、日本の子どもたちが文字をしっかり読み書きできるようになり、明治に入ってからも日本の近代化がスムーズに進んだのです。そう考えるとやっぱり、勉強は大事ですね!

3 ダウンロードはこちらから

こころの窓 第36回「化政文化」

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4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

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