中学歴史〜薩長同盟〜(自主学習用教材「こころの窓」第42回)

GOOD!
308
回閲覧
0
GOOD

作成者: EDUPEDIA編集部さん

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第42回「薩長同盟」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将がどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

今日も元気ですか。では、そろそろ始めましょう。

今日のお題は、「薩長同盟(さっちょうどうめい)」です。

桜田門外の変以後も、尊皇攘夷の運動は盛んに行われていました。そんな中でも、攘夷(外国人を追い出せという考え)の考えが強かった長州藩(ちょうしゅうはん・・山口県)は、下関海峡を通る外国船を攻撃してしまいました。翌年、これに怒ったイギリス、フランス、オランダ、アメリカは、長州藩の下関(しものせき)を攻撃し、下関戦争が起こりました。結果はすぐに長州藩が負けました。幸いにも賠償金等は取られずに、ゆるしてもらいましたが、この戦争で、長州藩は、ヨーロッパやアメリカはものすごく強く、とても攘夷などはできないことを知ります。そして、一日も早く日本を、外国に負けない強い国をしなくてはいけないことを知ったのです。

また、薩摩藩(さつまはん・・鹿児島県)でも同じようなことが起こりました。薩摩藩が江戸から薩摩に帰る途中の大名行列を、イギリス人が知らずに横切ってしまい、殺されるという事件が起こりました(生麦事件・・なまむぎじけん)。これに怒ったイギリスが、薩摩藩を攻撃しました(薩英戦争・・・さつえいせんそう)。結果はすぐに薩摩藩が負けてしまいましたが、これによって、薩摩藩もヨーロッパやアメリカはものすごく強く、日本も早く近代的な軍備を整えて、外国に負けない国をつくらなければいけないことを知ったのです。

こうして二つの藩は、攘夷の考え方はやめて、日本を外国に負けない強い国にしなければいけないと考えるのですが、もともと二つの藩は仲が悪かったので、一つになることはなかったのです。

しかし、ここであの有名な坂本龍馬(さかもとりょうま)が登場するのです。龍馬も、はじめは尊皇攘夷の考え方を持っていましたが、幕府の役人でありながらも、早く日本を新しい国につくりかえなくてはいけないと考えていた勝海舟(かつかいしゅう)に、外国のことを学び、攘夷をあきらめ開国をして新しい国をつくろうと考えたのです。

そこで、龍馬は長州藩の桂小五郎(木戸孝允・・きどたかよし)と出会い薩摩と手を組むように進めます。また同時に、薩摩藩の西郷隆盛とも出会い、長州藩と手を組んで、幕府を倒して天皇中心の新しい国をつくるように話したのです。そして、1866年(慶応2年)に、龍馬の仲立ちで、木戸孝允と西郷隆盛が話し合いを行い、薩長同盟(さっちょうどうめい)が結ばれたのです。

こうして、薩摩藩と長州藩が手を組んで、幕府を倒し新しい天皇中心の国づくりがスタートしたのです。しかし、その中心として活躍した龍馬は、明治という新しい国を見る前に、幕府側の武士に暗殺されてしまったのです。

お疲れ様。では、復習問題にチャレンジしてください。

復習問題

1.長州藩は下関戦争で、何を知ることになったのですか。

長州藩は、下関海峡を通る外国船を攻撃してしまいました。翌年、これに怒ったイギリス、フランス、オランダ、アメリカは、長州の下関を攻撃し、下関戦争が起こりました。結果はすぐに長州藩が負けました。幸いにも賠償金等は取られずに、ゆるしてもらいましたが、この戦争で、長州藩は、ヨーロッパやアメリカはものすごく強く、とても攘夷などはできないことを知ります。そして、一日も早く日本を、外国に負けない強い国をしなくてはいけないことを知ったのです。

2.薩摩藩は薩英戦争で、何を知ることになったのですか。

薩摩藩が江戸から薩摩に帰る途中の大名行列を、イギリス人が知らずに横切ってしまい、殺されという事件が起こりました。これに怒ったイギリスが、薩摩藩を攻撃しました。結果はすぐに薩摩藩が負けてしまいましたが、これによって、薩摩藩もヨーロッパやアメリカはものすごく強く、日本も早く近代的な軍備を整えて、外国に負けない国をつくらなければいけないことを知ったのです。

3.坂本龍馬は何のために、薩長同盟を結ばせたのですか。

坂本龍馬は、当時最も力を持っていた薩摩藩と長州藩が、攘夷が無理であることを知ったので、この二つの藩が手を結んでくれれば、必ず幕府を倒して天皇中心の新しい国をつくることができると考え、薩長同盟を結ばせたのです。

ところで、話は変わりますが、新しい物好きの龍馬さんは、日本で初めて奥さんと新婚旅行に行ったようですよ。

3 ダウンロードはこちらから

こころの窓 第42回「薩長同盟」

ほかの単元の記事もご覧になりたい方はこちら

4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

コメント

コメントはまだありません

    より良い実践のためには、あなたの励ましや建設的な対案が欠かせません。
    ログインして、ぜひコメント欄をご活用ください。