中学歴史〜憲法制定と帝国議会〜(自主学習用教材「こころの窓」第50回)

0
目次

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第50回「憲法制定と帝国議会」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将がどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

元気ですか。今日も始めましょう!

今日のお題は「憲法制定と帝国議会(ていこくぎかい)」です。

国会を開く約束をした政府は憲法制定に取り組み始め、伊藤博文(いとうひろぶみ)をヨーロッパに派遣し、当時のプロイセン(現在のドイツ)で憲法を学んで帰国しました。プロイセンは、日本と同じように天皇や国王がいる中で憲法が作られているので、この国の憲法をモデルとしたのです。また、帰国した伊藤は、今までの政治のやり方を廃止して、新しく内閣の制度を整えました。そして、伊藤自らが、初代の内閣総理大臣となり、1889(明治22)年に大日本帝国憲法(だいにっぽんていこくけんぽう)を発布(はっぷ・・・国民に発表すること)したのです。

この憲法が、今の日本国憲法と決定的に違うところは、まず主権(しゅけん・・・その国の一番の最高の権利)は天皇が持っているということです。現在の憲法では、主権は国民が持っています。

もう一つは、軍隊があるということです。今の自衛隊(じえいたい)とは違って、当時は国民に徴兵制(ちょうへい・・すべての国民が兵隊の訓練を受け、いざというときは戦争にかりだされた)があり、戦争を目的とした軍隊があったのです。

さらに、国民が天皇に忠義を尽くす(天皇を崇拝(すうはい)するため)ために、教育勅語(きょういくちょくご)が発布され、天皇の命令は絶対なもので、神様だという考えが行き渡っていくのです。

さて、内閣制度が整い、憲法がつくられ、いよいよ国会(当時は帝国議会といいました)が開設されます。この帝国議会は二つの院からできています。ひとつは皇族や華族から選ばれるか、天皇が任命する議員でつくられている貴族院(きぞくいん)です。もう一つの院が衆議院(しゅうぎいん)といい、国民の選挙で選ばれた議員でつくられた院です。

ただ、国民から選ばれたといっても、選んだ人たちは、国に税金を15円以上納めている人で、全国民の1%しかいなかったのです。つまり一部のお金持ちしか選挙権がなかったのですね。それでも、国民の選挙で選ばれた人が政治をするようになったので、日本にとっては大きな進歩だといえますね。そして、いよいよ1890(明治23)年の11月25日に、第1回の帝国議会が開かれたのです。

いかがでしたか。ではまた、復習問題にチャレンジしてください!

復習問題

1.大日本帝国憲法が制定されるまでの流れと、憲法の内容についてまとめてください。

国会を開く約束をした政府は憲法制定に取り組み始め、伊藤博文がヨーロッパに派遣され、当時のプロイセンで憲法を学んで帰国しました。そして、新しく内閣の制度を整えた伊藤は、自ら初代の内閣総理大臣となり、1889(明治22)年に大日本帝国憲法を発布したのです。

この憲法が、今の日本国憲法と決定的に違うところは、まず主権は天皇が持っているということです。現在の憲法では、主権は国民が持っています。もう一つは、軍隊があるということです。今の自衛隊とは違って、当時は国民に徴兵制があり、戦争を目的とした軍隊があったのです。

2.帝国議会の内容とこの時の選挙についてまとめてください。

内閣制度が整い、憲法がつくられ、いよいよ国会が開設されます。この帝国議会は二つの院からできています。ひとつは皇族や華族から選ばれるか、天皇が任命する議員でつくられている貴族院です。もう一つの院が衆議院といい、国民の選挙によって選ばれた議員でつくられた院です。

ただ、国民から選ばれたといっても、選んだ人たちは、国に税金を15円以上納めている人で、全国民の1%年かいなかったのです。つまり一部のお金持ちしか選挙権がなかったのですね。それでも、国民の選挙で選ばれた人が政治をするようになったので、日本にとっては大きな進歩だといえますね。そして、1890(明治23)年の11月25日に、第1回の帝国議会が開かれたのです。

余談ですが、明治政府の中心人物は、はじめの頃は大久保利通でしたが、1878(明治11)年に、政府に不満を持った士族に、大久保は暗殺されたのです。そのために、大久保にかわって政府の中心となっていったのが伊藤博文だったのです。でも、この伊藤も後に暗殺されます。明治の初めは不安定な時代だったのですね。

3 ダウンロードはこちらから

こころの窓 第50回「憲法制定と帝国議会」

ほかの単元の記事もご覧になりたい方はこちら

4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次