中学歴史〜日清戦争〜(自主学習用教材「こころの窓」第52回)

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作成者: EDUPEDIA編集部さん

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの日本史教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第52回「日清戦争」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将がどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

こんにちは。今日もがんばりましょう。

今日のお題は、「日清戦争(にっしんせんそう)」です。

ヨーロッパやアメリカやロシアの国々は、産業革命でたくさんの商品を生産できるようになりました。そこで、このたくさんの商品を売るために、外国に植民地をつくって、そこに売ってお金儲けをしようと考えたのです。この考え方を帝国主義(ていこくしゅぎ)といいます。また、日本も同じようにたくさんの商品を売るために、朝鮮を支配しようと考えはじめていました。

そんな時に、朝鮮で、高い税金と苦しい生活にたまりかねた人々が、反乱を起こしました。この反乱を甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)といいます。朝鮮政府はこの反乱を鎮(しず)めようとしましたが、なかなか鎮めることができなかったため、中国の清に助けを求めました。そこで、清はすぐに軍隊を朝鮮に送り込みました。しかし、これを見ていた日本は、このままでは朝鮮が清に取られてしまうと考え、日本も反乱を鎮めるという理由で、朝鮮に軍隊を送り込んだのです。反乱軍は鎮められたのですが、その後、朝鮮という国の取り合いから、清と日本の間で対立が深まり、1894年7月に、とうとう日清戦争(にっしんせんそう)が始まったのです。

この戦争は、多くの国は清が勝つだろうと思っていましたが、予想に反して近代的な武器をそろえていた日本が勝ったのです。そして、1895年4月に日本の山口県で講話のために話し合い(勝った国が、負けた国から土地やお金を取る話し合い)がされ、下関条約(しものせきじょうやく)が結ばれました。この条約で、清は朝鮮の支配をやめ、清が支配していた遼東半島(りょうとうはんとう)と台湾を日本に渡し、2億テール(3億1000万円・・・当時の日本の一年間の予算の約3.6倍のお金です)の賠償金を日本に払うことになりました。

しかし、この条約にロシアが文句を言い出し、ロシアとドイツとフランスが一緒になって、遼東半島だけは清に返しなさいと言いました。これを三国干渉(さんごくかんしょう)といいます。ロシアは、遼東半島がほしかったので、日本に取られることが許せなかったのですね。強いロシアとドイツとフランスから文句を言われたら、言い返せませんでしたので、この要求を受け入れて遼東半島を清に返しました。すると、その後すぐに、遼東半島にある旅順(りょじゅん)と大連(だいれん)という都市を、ロシアは支配しました。また、ドイツやフランスやイギリスも朝鮮の各都市を次々に支配していったのです。

この絵は、日本(左)と清(右)のが朝鮮という魚を釣ろうとしているところへ、ロシアが横取りしようと狙っている絵です。

では、復習問題へ!

復習問題

1.なぜ、日本は清と戦争することになったのか、その理由と結果についてまとめてください。

たくさんの商品を売るために、外国に植民地をつくって、そこに売ってお金儲けをしようと考えたのです。この考え方を帝国主義といいます。また、日本も同じようにたくさんの商品を売るために、朝鮮を支配しようと考えはじめていました。そんな時に、朝鮮で高い税金と苦しい生活にたまりかねた人々が反乱を起こしました。この反乱を甲午農民戦争といいます。朝鮮政府はこの反乱を鎮めようとしましたが、なかなか鎮めることができなかったため、中国の清に助けを求めました。そこで、清はすぐに軍隊を朝鮮に送り込みました。しかし、これを見ていた日本は、このままでは朝鮮が清に取られてしまうと考え、日本も反乱を鎮めるという理由で、朝鮮に軍隊を送り込んだのです。反乱軍は鎮められたのですが、その後、清と日本の間で対立が深まり、1894年7月に、日清戦争が始まったのです。

2.下関条約の内容についてまとめてください。

1895年4月に日本の山口県で講話のために話し合いがされ、下関条約が結ばれました。この条約で、清は朝鮮の支配をやめ、清が支配していた遼東半島と台湾を日本に渡し、2億テール(3億1000万円)の賠償金を日本に払うことになりました。

3.なぜ、ロシア、ドイツ、フランスは、三国干渉を行ったのか、そのねらいと内容をまとめてください。

この条約にロシアが文句を言い出し、ロシアとドイツとフランスが一緒になって、遼東半島だけは清に返しなさいと言いました。これを三国干渉といいます。ロシアは、遼東半島がほしかったので、日本に取られることが許せなかったのです。強いロシアとドイツとフランスから文句を言われたら、言い返せませんでしたので、この要求を受け入れて遼東半島を清に返しました。

3 ダウンロードはこちらから

こころの窓 第52回「日清戦争」

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4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

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