中学地理〜九州地方の工業〜(自主学習用教材「こころの窓」第42回)

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目次

1 はじめに

本記事は、東近江市の元中学校校長で現在は小学校講師を務める雁瀬徳彦さんが作成した「こころの窓」の内容を引用・加筆させていただいたものです。「こころの窓」は中学生向けの地理教材で、不登校の生徒や、学校に登校できても教室に居られず別室で過ごす生徒が一人で勉強できるように作られています。雁瀬さんの取り組みに関しては、こちらの記事もご参照ください。

本記事では、第42回「九州地方の工業」の内容について紹介しています(教材の本文は編集せずに掲載しております)。ほかの単元の記事をご覧になりたい方はこちら

2 「こころの窓」について

教材の一枚目を見ていただくと分かりますが、教材の文章を読むと歴史の流れがよく分かります。現在使用されている学校の教科書は写真も多くとても見やすいように思いますが、初めて歴史を学ぶ子どもたちにとって、とても難しい写真や資料です。また、教科書の文章には事実が羅列されているだけなので、歴史の事象がドラマティックであることや、当時の武将がどんな思いで戦いや政治を行っていたかという感動が伝わってきません。だから、不登校の子どもたちが学校の教科書だけを使って一人で勉強しようと思ってもなかなか続かないのです。

そこで、子どもたちが一人で楽しく歴史の勉強ができるようにプリントを作成しました。また、次のページには復習問題があります。ほかの教材だと、「794年に何がありましたか」という語句を答えさせる問題が主流です。このプリントには語句を答えさせる問題ではなく、「なぜ、都を奈良から京都に移したのですか」という問題が載っており、起こった事実に対して、その原因や結果について子どもたちに考えさせる問いになっています。

解説編

こんにちは。今日も一緒にがんばりましょう。

今日のお題は「九州地方の工業」です。

1901年(明治34年)に、北九州に官営(かんえい・・・国が経営する工場のこと)の八幡製鉄所(やはたせいてつじょ)がつくられました。当時、北九州にはたくさんの石炭があり、中国から鉄鉱石を輸入しやすいということでここに造られました。その後、鉄鋼業を中心に北九州工業地帯へと発展していきました。しかし、第二次世界大戦後は、日本の各地で鉄鋼業が盛んになったために、北九州工業地帯は少しずつおとろえていったのです。

その後九州は、1970年頃からIC(集積回路・・・しゅうせきかいろ)の工場が急激に増えて、電気機械工業が盛んになりました。このIC(集積回路)とは、超小型の回路を集めた電子装置のことで、現在ではスマートホンなどのほとんどの電気製品に組み込まれているものです。しかし、これも1990年以降は、外国との競争が激しくなりおとろえていきました。そして、現在では、福岡や大分県で自動車の組み立て工場が進出し、関連工場が増えているのです。

九州の工業で忘れてはならないのが、第二次世界大戦後大きな公害問題となった水俣病(みなまたびょう)が発生したのが熊本県の水俣市です。1950年から1960年頃にかけて、工場から有機水銀の混ざった排水が流され、その海で育った魚などを食べた人間に健康被害が出たのです。しかし、1970年頃から、海をきれいにする取り組みが始まり、現在では美しい海を取り戻すことができました。さらに、1990年頃から全国にさきがけてゴミの分別処理の徹底がはじまり、市や会社が一緒になって環境問題に取り組む街になっているのです。すばらしい取り組みですね。

話は変わりますが、2011年に九州新幹線が全線開通するので、その前年に熊本をアピールするためにつくられたのがあの有名な「くまモン」です。もともとは、「くまもとサプライズ」というキャンペーンのロゴをつくったときに、おまけでつくったのが「くまモン」だそうです。その後、熊本地震の時にさらにその人気と必要性が叫ばれ、現在では「くまモン」関連のグッズが全国で爆発的に売れ、日本国内だけにとどまらず、アメリカやヨーロッパにまでその人気が広がっているようです。彦根の「ひこにゃん」も、世界中にその人気が広がればいいですね。

お疲れ様。では、復習問題へ進んでください。

復習問題

1.北九州工業地帯について、その歴史と特長をまとめてください。

1901年(明治34年)に、北九州に官営の八幡製鉄所がつくられました。当時は北九州にはたくさんの石炭があり、中国から鉄鉱石を輸入しやすいということでここに造られました。その後、鉄鋼業を中心に北九州工業地帯へと発展していきました。しかし、第二次世界大戦後は、日本の各地で鉄鋼業が盛んになったために、北九州工業地帯は少しずつおとろえていったのです。

2.九州地方がIC工場から自動車工場へと移り変わっていった様子についてまとめてください。

1970年頃からIC(集積回路)の工場が急激に増えて、電気機械工業が盛んになりました。このICとは、超小型の回路を集めた電子装置のことで、現在ではスマートホンなどのほとんどの電気製品に組み込まれているものです。しかし、これも1990年以降は、外国との競争が激しくなりおとろえていきました。そして現在では、福岡や大分県で自動車の組み立て工場が進出し、関連工場が増えているのです。

3.公害の町から生まれ変わった水俣市について、まとめてください。

水俣病とは、1950年から1960年頃にかけて、工場から流された有機水銀の混ざった排水が流され、その海で育った魚などを食べた人間に健康被害が出た公害です。しかし、1970年頃から、海をきれいにする取り組みが始まり、現在では美しい海を取り戻すことができました。さらに、1990年頃から全国にさきがけてゴミの分別処理の徹底がはじまり、市や会社が一緒になって環境問題に取り組む街になっているのです。

3 ダウンロードはこちらから

こころの窓 第42回「九州地方の工業」

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4 おわりに

不登校の子どもたちにとって一番大切なことは、何が何でも学校に登校させることではなく、家であろうが別室であろうが自立の力をつけてあげることだと考えます。誰かに言われて取り組む学習を重ねるのではなく、自分で考えて自分で学習できる力をつけることが大切です。その上で、学力をつけていくことが「生きる力」につながっていくと思います。

この「こころの窓」は、一人で勉強するために作ったプリントです。閉ざした『こころの窓』を開けて、社会に出て行くための勉強をがんばってほしいと考えてこの題名をつけました。

不登校に悩む子ども達の力になることを祈っております。

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