2学期の国語は、詩の授業でゆるやかにスタート
光村図書の国語の教科書では、9月最初の授業を詩で始められるよう設定されている。説明文や物語などではなく、全学年共通して詩が9月最初の教材である。
夏休みの子どもたちの過ごし方はさまざまである。のんびりと過ごした子ども、習い事が忙しかった子ども。5年生となれば中学受験に向けて塾通いの子どももいれば、昼夜逆転生活になっていた子どももいただろう。夏休み明けの子どもたちはずいぶんと雰囲気がかわり、大人びたイメージをまといだす子どもたちもいる。
2学期はリスタートの時期である。先生方も子どもたちとゆったりと向き合い、詩の授業を楽しんでほしい。
単元で身に付けたい資質・能力
本単元では、学習を通して考えた内容を伝え合う力を身につけることを目的としている。
また、本単元での学習を通して身につけたい資質・能力は、比喩や反復などの表現の工夫に気づくことができる能力、詩の全体像を具体的に想像したり、表現の効果を考えたりすることができる資質である。
単元の評価基準
【知識・技術】比喩や反復などの表現の工夫に気づいている。
【思考・判断・表現】「読むこと」において、詩の全体像を具体的に想像したり、表現の効果を考えたりしている。
【主体的に学習に取り組む態度】進んで比喩や反復などの表現の工夫に気づき、学習課題に沿って考えたことを伝え合おうとしている。
「かぼちゃのつるが」「われは草なり」2つの詩に共通するもの
「かぼちゃのつるが」「われは草なり」の詩には2つの共通点がある。
1点目は繰り返し(リフレイン)の表現が何度も出てくることである。「かぼちゃのつるが」では「はい上がり」「葉をひろげ」という言葉が、「われは草なり」では「伸びんとす」「緑なり」「生きんとす」という言葉が何度も繰り返されている。これらの繰り返しの表現は、詩に躍動感や力強さ、生命力も感じさせる効果を生み出している。
2点目はどちらも「植物」「生長」を扱った詩である、ということである。「かぼちゃのつるが」はかぼちゃの生長を、「われは草なり」は草の伸びる様子を書いている。
筆者が5年生を担任してこの詩の授業をしたとき、学級の子どもたちはこの詩をかぼちゃや草の生長だけでなく自分自身の成長と重ねて読んだ。はい上がろうとし、空をつかもうとしているのは自分。伸びる草も自分、生きる日を楽しむのも自分、といった具合である。5年生は悩みがだんだん増えてくる学年である。スポーツ、成績、友だち関係の悩みなどでモヤモヤした気持ちを抱える子も多い。
はい上がり、手を伸ばして生きようとする植物の姿は「自分もはい上がればいい。もがいてもいい。」と子どもたちに安心感と勇気を与えたようであった。どちらも一見植物の生長を扱った詩である。しかし子どもたちにとってこの詩は、自分自身の成長の詩でもある。自分の成長と植物の生長。子どもたちはこれらを重ね合わせて詩を読むということを念頭において授業に臨んでほしい。
単元の展開【全2時】
第1時 2つの詩を音読する
2つの詩を、繰り返しの表現に着目しながら音読する
詩は黙読ではなく音読をさせる。声に出して読むことでどの言葉が何回繰り返されているのかに気づくことができるからである。
音読は、一斉読みではなく一人読みをする。学級全体で声を揃えて読む『一斉音読』はどの子どもも読めた気分になり、先生から見ても一見全員が読めているように見える。しかし本来、詩を読むスピードや理解力は一人一人違う。全員揃って読むことが本当によいとは言い切れない。
最後まで読めたら繰り返しの表現の部分に線を引く。その後、繰り返しの表現をどう読むか工夫しながら指示があるまで何度も繰り返し一人読みをする。
先生は、学級のすべての子どもが読み終えられるように一人読みの時間を長めに設ける。
「かぼちゃのつるが」を読む
・「かぼちゃのつるが」を読み、繰り返しの表現によりどのような様子が想像されるかについて、話し合う。
・「はい上がり」「葉をひろげ」が、どう繰り返され何を表しているかを考える。
「はい上がり」は5回、「葉をひろげ」は3回書かれている。同じ言葉が何度も繰り返されるということはその言葉がそれだけ大切であり作者が強調したい言葉である、と解釈できる。
「はい上がり」と「はい上がり はい上がり」を比べてみる。もしも「はい上がり」が1回しか書かれていなければこの詩はずいぶんとあっさりした詩になるだろう。「葉をひろげ」も同様である。
繰り返しの表現は、つるがどんどん伸びる様子、葉が大きく次々と広がっていく様子を表している。そして繰り返しの表現があることで詩はダイナミックな動きを持ち、どのようにつるが伸びて葉が広がっていくのか、子どもたちの想像もしやすくなる。
・繰り返しの表現の仕方を工夫してそれぞれ一人で音読する。その後、各自の音読を学級全体で交流する。友だちの音読を聞き、どのような工夫を聞き取ることができたか、話し合う。
第2時 「われは草なり」を読む
「われは草なり」を読み、本単元で学んだことをまとめる
・「われは草なり」を読み、「われは草なり」とはどのようなことを表しているかについて考える。
・繰り返しの表現が、各連の中で他の表現とどう結び付いているかについて考え話し合う。
この詩は4連からなる詩である。1連目、2連目、3連目が並列、4連目がまとめの連であり、「われは草なり」という言葉は全ての連に書かれている。「われは草なり」という言葉は合計4回登場する。「かぼちゃのつるが」と同様、繰り返されることで言葉は強調され、詩の中で重要な言葉として自然と位置づけをされている。
1、2、3連目は「われは草なり」という言葉からはじまりその後にそれぞれ違う内容が続く。4連目ではまるで何かを宣言するかのように「われは草なり」という言葉が後半に登場する。
「われは草なり」は、前半3つの連では連の中で他の表現と結びつけるための言葉、詩全体では連と連をつなぐ役割を果たしている言葉であると解釈できる。
「かぼちゃのつるが」と同じように、繰り返しの表現の仕方を工夫してそれぞれ一人で音読する。その後、各自の音読を学級全体で交流する。友だちの音読を聞き、どのような工夫を聞き取ることができたか、話し合う。
考えをまとめる
・二つの詩を、あえて繰り返しの部分をすべてとばして読み、感じたことを交流する。
繰り返しの表現が詩にどのような効果を与えているか、気づいたことをノートにそれぞれまとめる。
学習を振り返る
・二つの詩について、繰り返しの表現があることの効果について学級全体で考えを交流する。
ノートに書いた内容をもとに、学級全体で意見交流をする。最後に二つの詩を音読し、繰り返しの表現があることの効果について、友だちの意見も参考にしながら自分の意見をまとめる。
板書の仕方で気をつけたいこと
子どもは自分の発言した言葉が黒板にどのように書き込まれるかよく見ている。だからこそ子どもの言葉を書き込むときは、子どもの言葉を簡略化せずにそのまま書くようにしたい。
ありがちなのが黒板や拡大用紙のスペースに書けるように言葉の語尾を変えたり、子どもの言葉を短くまとめて書いてしまったりすることである。恥ずかしながらかつて筆者自身もしたことがある。授業をテンポよく進めたい一心で子どもの言葉を簡略して書いてしまった。すると微妙なニュアンスが違ってしまい、子どもの言いたかったことと食い違いが出た。発言した子どもは複雑な表情でだまってこちらを見ており、その表情に自分がよかれと思ってしてしまったことが子どもを傷つけた、と気がついた。
スペースの都合上そのままの言葉を書けないこともある。そのような場合は「○○、て書いてもいい? 」と発言した子どもに聞く。それだけで発言した子どもは安心し、やりとりを聞いていたまわりの子どもたちも「先生には、ちゃんと言いたいことが伝わっている。」と嬉しくなる。小さなことだが、大切にしたいことである。
おわりに
詩の学習では、詩を黒板に書くか拡大して貼るなど、詩の全体を一目で見渡せるようにする。特に今回のように繰り返しが多い詩は、どの部分が何回繰り返されているかも見てわかる。
また、黒板の詩には、子どもたちの言葉を書き込み、学級全体で友だちの意見や考えを共通理解できるようにする。視覚からの情報は、多くの子どもたちの学習支援にもなる。
詩の学習では何を学ばせたいかをイメージを持って取り組むと、先生も子どもも授業に取り組みやすい。作者の生涯を学ばせたい、詩の構成要素を学ばせたい、言葉の面白さを味わわせたいなどである。詩は、短いからこそ、読み書きが苦手な子も学びやすく、子どもの自由な発想も出やすい。ぜひ、楽しんで授業をしてほしい。
参考URL:https://www.mitsumura-tosho.co.jp/kyokasho/s-kokugo/material2nen
(光村図書webサイト)
執筆者プロフィール
もりはな先生
元公立小学校教諭。「みんなで聴き合う・つながる授業」をモットーに、考えたくなる課題作りに取り組んできた。現在は、忙しい先生たちや子どもたちを応援するwebライターとして活動中。
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