「海の命」(光村図書国語6年)を読み解く② ~太一の前にいるクエは「お父を殺したクエ」なのか

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目次

はじめに

「『海の命』を読み解く」は7つの記事からなるシリーズになっています。是非、下記リンク先の記事とともにお読みください。

① 並行読書(廃版「海鳴星」)
② 太一の前にいるクエは「お父を殺したクエ」なのか
③ クエ目線で考える【クエの無罪】
④ 「海の命」とは?
⑤ 「太一はなぜクエを殺さなかったのか」という謎
⑥ 太一は本当の一人前の漁師になれたのか
⑦ 「海の命たち」からのメッセージ


「海の命」は「一人の海」という題名の物語の短縮バージョンなのです。「海の命」の授業がしにくい原因は、「一人の海」を短くし過ぎたからなのではないかと私は考えています。できれば「海の命」と「一人の海」との関係が書かれた「① 並行読書」から順に読んでいただくと分かりやすいと思います。

本記事では引用文の末に【一人の海】または【海の命】、両方同じ場合は【一人の海&海の命】と記して、どちらの物語からの引用であるかを示すようにしています。

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なおこのシリーズは、私の授業実践だけを元に書いているわけではなく、今までに見聞きしてきた授業や資料、教員仲間との対話を元にして書かれています。

謎が多くてとっつきにくい?

ネットで調べてみると「海の命」は1996年から教科書に採用されているようで、すでに30年も掲載され続ける老舗の物語です。現行の光村図書の6年生国語教科書では「やまなし」に次ぐロングランとなっている物語教材です。(この記事は2025年10月に書かれています)

ロングランである割にはしっくりくる研究結果を目にすることがあまりありません。ダグダな授業になってしまったという話もよく耳ににします。私の授業もご多聞に漏れずグタグタでした。

立松和平は環境問題を熱心に取り上げる作家でした。宗教にも造詣が深く、道元や日蓮、法華経に関する分厚い著作もあります。私自身は環境問題や宗教に対して関心はあるのですが、なぜか立松和平は苦手です。作風が少し作為的であるような気がして私は敬遠してきました。あるサイトには「『海の命』って本当に名作?感動するって誰が決めたんだ問題!」という批判的な記事も載っていました。私もこの物語にそれほど感動する所はありません。

「海の命」は子供が記述にそって作品の主題に迫っていくには難しい作品ではないかと思います。子供も教師もピントが合わず、謎を抱えてもやもやしたまま授業をしてしまうので、着地点が見出しにくいです。フィクションなのだろうけど、ファンタジーとして非現実的・超常的現象を描いているわけでもなさそうで、どう捉えたらいいのかわからない記述が散見されます。

そもそも、「海の命」は卒業式を控えた忙しい時期に配置されているため、教師にはこの謎の多い作品に向き合う余裕があまりありません。若い頃、初めて「海の命」の授業をした時は卒業業務に追われてほとんど授業準備をする暇もなく、授業に突入してしまいました。私も子供も「???」の状態となりました。(ダメなのですが)当時は「こんな変な話、適当に感想を出させて終わっておこう」とやり過ごしてしまいました。

数々の疑問が沸き上がり、もやもやする「海の命」ですが、「一人の海」と比較して考察すると「そこそこ」分かってくる部分もあります。この「『海の命』を読み解くシリーズ」では子供たちが(あるいは教師が)「海の命」が抱きがちな疑問を読み解くことに努めてゆこうと思います。もやもやを解決しようとするとどうしても記事が長くなりがちです。本記事(シリーズ2つ目)も長くなってしまいましたが、7つ目の記事まで読んでいただけると幸いです。。

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お父を殺したクエなのか

例えば、「そもそも、太一が発見したクエは本当にお父を殺したクエなのか?」という疑問を持つ子供がいます。私もどうなのだろうかと思います。実際に「太一が発見したクエはお父を殺したクエ」ということを確定する記述はありません。あくまで太一がそう思っているだけです。この疑問をひとつ解くことだけでも、子供たちにとってはけっこう高いハードルになります。

与吉爺さんが亡くなり、太一が一人で漁をするようになってクエを発見するまでの間も、「一人の海」にはけっこう様々な事が記述されており、4匹ほどクエを仕留めたことがあることが分かります。ところが、

もちろん太一が仕留めたのは父を殺したクエではない。あんなものではではない。【一人の海】

と太一は判断しています。父が殺された現場を実際には見ていない太一がなぜそう判断したのかは不明です。そしてある日、突然に「夢は実現する」のです。

これが自分の追い求めてきたまぼろしの魚、村一番のもぐり漁師だった父を破った瀬の主なのかもしれない。【一人の海&海の命】


という記述があります。「瀬の主かも知れない」というのだから太一の推測に過ぎません。ところが推測は推測のまま客観的な証拠が示されずに物語は進んでゆきます。「太一の勘違い(≒人違い、いや、クエ違い)かも知れない」という可能性は物語の最後まで残されたままです。このこと(クエ違いの可能性)について気が付いている子供は、混乱します。

大人であれば「まあ、話の流れからしてそう(目の前のクエ=父を殺したクエ)なんだろう。そうでなければ物語として成立しないからなあ。」などと推論や洞察して読められるかも知れません。

追い求めているうちに、不意に夢は実現するものだ。【一人の海&海の命】

とあるのだから、目の前のクエは父を殺したクエだと解釈するのが自然だろうというのが大人の読み方というものでしょう。

しかしあまりに物語全体に不明な点が多いため、私はそんなふうに推論・洞察をして物語を受け止める気分にならないのです。「海の命」の作風(「一人の海」を省略しすぎ)が自分の肌に合わないというのがあるのでしょう。

またGEMINI(GoogleAI)によるとクエは、

基本的には自分の「ホーム」から数メートル〜数十メートル程度の範囲で活動することが多いです。

との応答がありました。同じ瀬(父の死んだ辺りの瀬、太助瀬)で発見した大きなクエなのだからお父を殺したクエなのだろうと推察できますが、子供がそんな専門知識(定住性が強い)をすぐにAIで調べられるようになったのは令和になってからの話です。

クエの目の色の変化について

実は太一がついにクエを発見した時、「海の命」では、父を殺した時のクエとは目の色が青に変わっています。父を殺した時のクエ目の色は「一人の海」「海の命」ともに緑色でした。ところが、大人になって太一が出会ったクエについては目の色が違います。

そこには緑色に光る宝石の目があったのだ。【一人の海】

太一は海草のゆれる穴のおくに、青い宝石の目を見た【海の命】

となっています。

つまり「一人の海」を短縮して教科書版の「海の命」にした際に、わざわざクエの目の色を(父が死んだ直後)から(後に太一が発見した時)に変えているのです。

そして教科書版を読むと「目の色が違うのだから他のクエではないか」と思ってしまいます。そこに何か作者の意図はあったのでしょうか。

A. クエが年月を経て神性を帯びたことで青色に変わった
B. クエが年月を経て成長した印が青色
C. クエの目に涙がたまった涙が青色に見えている
D. お父を殺したクエは既に死んでいて、そのクエはお父の化身である証拠
E. お父を殺したクエにお父が乗り移ったので変化した
F. クエはお父を殺した後に海の命となったので青色になった
G. 作者がクエの神性を表現しているのだからお父を殺したクエに違いない
H. 太一が他のクエをお父を殺したクエと勘違いしている

等と、読み取り方は様々でしょう。物語の字面だけ追っていくと太一はクエに「お父」と呼び掛けているのでDやEのような気もしてきます。しかし、

こう思うことによって(クエをお父と思うことによって)、太一は瀬の主を殺さないですんだのだ。【一人の海&海の命】

とも書かれているので太一の思い込みに過ぎず、D・Eは違うようにも思えます。するとA・G辺りが妥当なのでしょうか。確定に近い要素が書かれていないために、難しいです。立松和平か光村図書の担当者に聞いてみなければ分からない事です。子供が混乱するので、私はこの「目の色」の件には子供から疑問が出てきても深くは触れずに授業を進めました。もし立松和平が「クエが太一に対して何かお父からのメッセージを伝える」といったファンタジーな場面を加えてくれていたら、この「お父を殺したクエなのか問題」は解決されていたのですが・・・

立松和平はわざわざ混乱を招いて多様な読み方ができるように目の色を改変したのでしょうか。

Googleで調べてみると、実際のクエの目の色は青色だそうです。元々、日本語では緑と青を混用する場合(ex.青信号は実際は緑色)もあります・・・。

たぶんそうに違いない(一人の海)

目の色の件がなくても、クエがお父を殺したクエなのかどうかについて、読者は何だかだまされたような気になっているのではないかなと思います。

ちなみに、「一人の海」では、

村一番のもぐり漁師だった父を破った瀬の主なのかもしれない。たぶんそうに違いない。【一人の海】

と、「たぶんそうに違いない。」という一文を付け加え、確信に変わった様子を示唆しています。この一文があると、少し唐突感は和らぎます(それにしても、太一の確信でしかないけれど)。

なぜ立松和平はわざわざ読者の想像や洞察に委ねるような形で「一人の海」を「海の命」へと短縮する作業をしたのでしょう。元の「一人の海」でも想像や洞察が難しい物語であるように思うのですが・・・。

お父の化身と読み取れなくもない

後の記事でも書いていますが、太一のセリフから、クエはお「父を殺したクエ」どころか「お父の化身」と読み取れなくもありません。

「お父、ここにおられたのですか。また会いに来ますから。」こう思うことによって、太一は瀬の主を殺さないですんだのだ。【一人の海&海の命】

立松和平がファンタジーとしてクエを「お父の化身」であるように描いていれば、この話はとても分かりやすくなるのですが・・・例えばクエがお父として「太一、久しぶりだな。」などとしやべれば。しかしこれについては、下の記事で詳しく書いています。是非ご参照ください。

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NEXT!

このようにこのシリーズでは「海の命」を「一人の海」と比較することも含めて、「海の命」の謎やテーマについて読み解いていきたいと思っています。

「太一が発見したクエがお父を殺したクエなのか」「目の色」についての考察だけでもけっこう迷走して長文になってしまいました。

他にもたくさん、釈然としない部分が多いです。「海の命」の中にファンタジーであることを確定できるような要素が見当たれば、「まあ、ファンタジーなんだし」と読み進められるのですが、おそらく立松和平はファンタジーになってしまうことを避けてこの物語を書いたのではないかと私は思っています。釈然としない原因はそこにあると思います。

以下の記事でも、釈然としないのは何故なのかを読み解いてゆきたいと思います。③の記事ではもう少し深く、クエについて読み解いてゆきたいと思います。

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