系統的な指導で、すべての子ども達に書く力を~たしかな文章表現力~(榎本豊先生)

この記事は、子どもたちへの文章表現指導についてのサイト、「えのさんの綴方日記」より、許可を頂き転載しております。この記事では、すべての子どもたちに書く力をつけさせる作文教育のポイントをまとめています。

えのさんの綴方日記はこちらから  http://www.yunochika.net/

1 系統的な指導で、すべての子ども達に書く力を

めざすところ

  1. 生活(自然・社会・人間)が、自分の目でしっかりと見つめられる子ども、そのとらえた事実に対して、自分の頭で柔軟に感じ取り、きちんと考え、それを文章に綴ることによって、人間らしいかしこさと、たくましく、美しく生きていく知性・感性・行動力を育てたい。
  2. 小学校入門期から中学校卒業までの九年間に、いつ、どのような題材で、どのような文章形成上の技術や鑑賞の力をつけさせていったらよいのかという、指導の系統を明らかにしたい。

基調となる考え方

①子どもの書きたい意欲をもって、自由に書かせているだけでは、教育=指導とはいえない

表現の場を数多くあたえ、書きたいという意欲をうながし、子どもの意欲や心をくんでさえいれば、子どもは生き生きと楽しく作文を書くものだというのは、実は、子どもに寄り添い、子どもを大事にしているかに見えて、教育の仕事としては子どもへの責めを果たすことにはならない。

自然発生的にうまれた、いわゆる「いい作品」によってしまったり、平均的な生活からはずれた特別な題材にとびついて、これこそが生活綴り方だという思いは、錯覚であろう。

②作文教育の役割

子どもの書いた作品が、いかに表現不足であっても、いかに文章がまちがいだらけであっても、そこに、子どもの表現の意欲や感動のほとばしりが見えさえすれば、それだけで「これこそが生活綴り方だ。」「作文を書かせてよかったなあ。」と思う、それを全面的に否定はしない。しかし、すべての子どもに書く力を、書くことを通して発達をと願うとき、果たしてそれだけでよいのだろうか。自由に書かせておけば「やがて」「そのうちに」子どもというものは思わぬ発達を示すものだという、自然待ちは誤りである。こまやかな指導が必要不可欠であるはずだ。

また、生活綴り方といえば、必ずと言ってよいほど「本音をありのままに」「本音のなかにある子どもの生活現実を読み取る」ということばが出される。これも、生活綴り方の揺るがぬ基本であることは間違いない。

しかし、それで、作文教育=生活綴り方の仕事がすべて尽くされるのだとは思えない。もっと広く、じっくり、自然や社会や人間の生きざまや、文化の事実を見つめ、とらえ、その中にひそむ美しさやみにくさなどを、感じとり考えていくことをも、作文教育の仕事としておろそかにしてはならない。

③作文教育でしか果たしえないこと

ほかの教科でもできること、作文教育でしか果たしえないことを、はっきり見極めなければならない。

あえて文章になど書かなくても、話し合いをしていくことで十分目的が達せられる内容を、ただ「書かせた」ということで、教師が満足してしまったり作者や作品の表現からすっかりはなれて、社会科や理科の授業になってしまっていたり、また、作品を単なる話し合いのきっかけ、手段として、道徳教育や生活指導に利用したりすることが、案外多い。 

人間の生きざまや、自然や、社会現象について、生活現実に根ざした認識を育てることは、作文教育の大きなねらいであることは確かだ。が、もし、それだけをいうなら、なにも、作文教育でなくてもできると思うのだ。むしろ、古代から現代にいたる人間の歴史を系統的に学習し、目の前の社会そのものについて考えていく社会科や、自然の真理を追究する理科や、よい文学作品を読んで、人間の生きざまや感情を追体験し、理解していくように、その他の各教科に負うところが大きいかもしれない。

教科の教育は、単なる記憶や知識の注入でなく、教材を媒体として、常に現実生活の具体との付け合わせ、そこからの深い、確とした認識に到達するまでを負わなければならないはずだからである。

では、いったい、作文教育の負うべきものはなにか。

  1. 文章を書くという活動のなかに内在する意味を、手ごたえあるものとして、子どもに実感させること、しかも、書ける子ども、特別な生活実感を持っている子どもだけを相手にするのではなく、学級のどの子にも、書くこと、表現することの喜びと、成長を保証してやること。
  2. 子どもたちが、自分をとりまく生活現実から捉えたもの、怒りや悲しみ、こうあってほしいと思う願い、人間や社会や自然について、よく見たり、思ったり、感じたりしたこと、美しいものへの心の躍動を、言語という手段によって、ひとまとまりの文章に表現しようとするとき、どう書いていけばよいのかという、表現の過程と方法・技術をきちんと身につけさせてやること。
  3. 書き上げられた作品を学級の集団のなかで鑑賞するという活動を通して、学びあい、感性や知性や表現力のレベルアップを図ること。

このように考えるのは、表現の道を拓いてやること、つまり、できる限り最大限に自己を表現できる武器としての技術を子どもに多様に所有させることが、子どもを解放し、現実の事象とか美を捉える視点の拡大・転換にもつながっていく大事な要素であると思うからである。

そのために、日常の継続的な指導を大事にしながら、一斉の授業のなかで、すべての子どもに、段階的で、こまかな手だてを踏んでの授業をと、長い研究を続けてきたわけである。

作文教育を「名人」や「特定の作文教師」だけのものに狭めてはならない。すべての教師が、すべての子どもに、このすばらしき教育「作文」を実践していくために、授業こそ第一義に考え、もっともっと研究を深めていかなければならない。

2 プロフィール

  
榎本豊(えのもと・ゆたか)
1969年から2011年まで、42年間教壇に立つ。
「日本作文の会」や「綴方理論研究会」に所属し、作文教育を柱とした学級経営を行ってきた。
  
榎本先生の運営する「えのさんの綴方日記」はこちらから http://www.yunochika.net/

3 編集後記

作文教育にこのように深い意味が込められていたということを知り、感銘を受けました。作文をただ書くだけではなく、表現力を高めながら、その中で考えを深めたり、学び合ったりすることがとても大切なのだと思いました。
(編集・文責:EDUPEDIA編集部 安井愛弓美)

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