【学校ボランティア 体験談】教師としての軸がなかった私の失敗談

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小学校の教員を目指す大学4年生の体験談です。
「叱れない先生が増えている」と言われますが、教師として毅然とした指導ができるか。子どもと関わる大人としての厳しさと優しさについて考えてみましょう。

私の失敗談

私は学校ボランティアで小学生の学習支援をやっています。週1、2回で放課後90分、子どもたち7人と学校の空き教室で漢字や計算の復習など基礎学習を行っています。
 今回は、大学3年生の時、子どもと関わっていくうちに気付いた私の失敗談を紹介します。

先生ではなく、ただの人気者

私のモットーは、面白く優しい先生です。
去年の私自身のテーマは、「児童自身が自分のペースで学習を進める環境づくり」でした。子どもへ過度な干渉はせず、力を引き出すことを目指しました。しかし、ある研修に参加し気付かされました。私は優しい「先生」ではなく、ただの人気者になってしまったのです。

4月当初、子どもたちからいろいろなことを話してくれるので、私はなんとなく友だち感覚で接していました。特に厳しく叱ることもなく、年度初めの4月から夏休み前までは、そのような関わり方でうまくいっていました。

しかし、夏休みが終わって秋ごろから子どもたちの反応が変わりました。私への慣れなのか、同じ事を言っても注意を聞かなくなってきました。先生の言うことよりも、仲の良いグループ内で勝手にルールをつくり、それに従って行動するようになったのです。「自分の関わり方は変わっていないのに、どうしてなんだろう?」と悩んでいた時に、研修を受けました。その研修では、「放任主義ではいけない。ダメなことはダメだと指導ができる先生が、子どもたちを育てられる」ということを教わりました。そこで気付きました。「自分は4月の最初の期間に、児童に明確なルールを示せず、やって良いこととダメなことの線引が徹底できていなかったのだ」と。

教師としての、明確な軸を持っているか

4月の学級開きから3日間を「黄金の3日間」と呼ぶことがありますが、そこで教師としての軸、ぶらさない明確な指導の基準を持つことがとても大切だと思います。子どもたちは、初めて会う先生のことをよく見ています。「どんな先生何だろう?」「何をしたら怒られるのだろう?」と探りながら、教師の顔色を伺っています。この時に、こちらの明確な規準が無いと指導に一貫性がなくなり、集団が散漫してしまいます。仮に私のように軸がなくてもうまくいくことがあるかもしませんが、1年間を通して考えてみると、どこかで学級が違う方向へ向かってしまう危険性もあると思います。

子どもに嫌われたくない

私がなぜ子どもを叱れなかったのかと考えると、1つは明確な軸がなかったことですが、もう1つの理由として、「キツく言うと子どもに嫌われるのではないか?」という不安がありました。一度嫌われると、それからいろんな関係が崩れるんじゃないかと心配になっていました。でも、それだと長い目で見ると逆効果だと思います。それは子どもにとって先生ではなく、「叱らないお兄さん、お姉さん」になってしまいます。厳しく叱っても、その後に笑顔でフォローできる先生は素敵だなと思います。子どもが「先生は自分のために叱ってくれた」と思えるような関わりができるようになりたいです。

理想の教師を目指して

今年は去年の反省を生かし、ぶれない軸を持った関わりをしていきたいです。理想の教師像として「面白くて、優しい先生」を挙げる方は多いと思いますが、「優しい」「自主性」という言葉を「なんでもあり」と捉えるのではなく、教師として、子どもにやって良いこと・いけないことの線引きをしっかり示していきたいです。

また、他の先生のクラスを見ていて、授業や日常の挨拶や、物を借りる時に「貸して下さい。ありがとうございます。」などの言葉遣いを大事にしているクラスは集団がまとまっているなと感じています。そのような一見こまかい事のように思えることでも、しっかり徹底していくことが大事なんだと思います。

私は、実際に先生になる前に1人で子どもたちをまとめるという貴重な経験をさせてもらっています。先生になってから同じ失敗を繰り返したくないと強く思います。今年1年間、子どもたちとのいろいろな関わりを通して、1人1人に即した対応の引き出しを増やしたり、子どもをみる目を養っていきたいです。実際に先生になったら、今の経験を生かして本当に「優しい先生」を目指してがんばります。

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