はじめての合唱指導の記録 ~「ビリーブ(Believe)」


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 ビリーブ(合唱)を選曲してしまった

「ビリーブ」はサビの一部で4小節が2回、アルトとソプラノに分かれていて、2回とも同じメロディーになっています。音楽会で歌う曲としてこの「ビリーブ」を合唱指導する流れになってしまい、よく分からないまま、指導する羽目になってしまいました。合唱を指導するのは実に十数年ぶり、2回目です。この曲の難易度が担当している3年生児童にとってどの程度なのか・・・。
3年生にとってはじめての合唱を、指導経験の乏しい私が音楽会で披露するというのは実に無謀なチャレンジだと思います。小学校教師は国算理社音図道家英体と、不得意でも指導をするはめになり、適材適所の真逆の状況に陥ることが少なくありません。
この記事は、無謀なチャレンジをすることになった私が、はじめて合唱をする子供たちにどう指導したかという苦闘の記録です。完成された合唱指導を期待されている方は、読み飛ばすか、他の記事をお探しください。

 合唱について文科省はどう規定しているのか

小学校3年生は初めての合唱にチャレンジする機会となる年齢です。学習指導要領では〔第3学年及び第4学年〕の「3 内容の取扱い」の⑴アで、

ア 主となる歌唱教材については,各学年ともイの共通教材を含めて,斉唱及び簡単な合唱で歌う曲

と記されているだけです。小学校学習指導要領全般の中でも「合唱」という単語は3回使われているのみです。
学習指導要領解説音楽編では、もう少し記述が詳しくなり、低学年に関して、

「指導に当たっては,低学年で学習してきた斉唱及び輪唱の曲に加え,曲の一部分が二部合唱になっている合唱曲,曲全体が簡単な二部合唱になっている合唱曲などを,適切に用いることが大切である。その上で,互いの歌声が一つになったり,重なり合ってきれいに響き合ったりすることに気付くような指導を工夫し,楽しく無理なく,声を合わせて歌うことができるように配慮することが大切である。」

となっています。高学年に関しては、

「高学年の児童は,これまでに身に付けてきた歌い方を生かして,友達と協力して合唱などの歌声を重ねた活動に積極的に取り組む傾向が見られる。また,自ら の歌声のよさを客観的に判断することができるようになってくる。このような児童の実態を踏まえて,歌声が重なって生み出される様々な響きを 聴き取ったり,和音の美しい響きを味わったりして,豊かな歌唱表現になるよう に指導を工夫することが重要である。指導に当たっては,児童が表現のよさを判断できるように,互いの歌声をじっくりと聴くようにすることが大切である。また,重唱や合唱では,自分が担当している声部だけでなく,他の声部との関わりを意識して歌うことで,歌声を合わせる喜びを味わうようにすることも大切となる。」

となっています。他にも記述されている部分はありますが、長くなりすぎるので割愛します。

上記のような高学年での合唱ができるように、中学年でのはじめての合唱で何を目標にするかというと、
「簡単な」「曲の一部分が二部合唱になっている合唱曲」を選び、合唱を楽しむ
あたりになるのかもしれません。

 はじめての合唱を指導できるのか

普段の音楽の授業は3年生まで音楽専科がついてくれています。ところが、まだ音楽の授業では合唱指導をしてくれておらず、音楽会では担任が指揮をすることになっています。働き方改革の影響で、音楽会に向けての指導時間も昔と比べて半分以下ぐらいに減らすように規制がかけられてもいます。何もわざわざそんな状況で保護者の前で指揮者(指導者)を私にグレードダウンして披露する必要はないと思います。「音楽専科が指揮棒を振ってくれればいいのに」という私の長年の主張もまた、なかなか取り入れてもらえません。
1・2年生を担任することがほとんどなかったので、音楽指導そのものの経験が乏しい上に、私の資質にも問題があります。子供と共に歌ったり、子供の前で歌ったりしても、自分が一つ下のオクターブを歌っているのか、子供と同じオクターブで歌っているのかさえ自覚がありません。音程を外すことも頻繁にあります。私が歌うと子供は困惑しています。「えっ、このオッサン、歌うの?」みたいな顔をして見ている子供もいて、たいへん恥ずかしいです。分かっていないのに分かっているような顔をして騙そうとしている、けれど騙し切れていない自分がとても「イタい」です。真面目な歌詞を似合わない真面目な表情を作って大きい声で歌うのもかなり恥ずかしくイタいです。しかし、「やらねばならない」のです。

真面目な合唱曲の歌詞をどう子どもに理解させるか ~ 「小さな勇気」を例に | EDUPEDIA

担任が大きな声で歌うからこそ、担任が間違うこともあるからこそ、子供たちも安心して失敗ができます。

 聴き合う

はじめのうちはアルトとソプラノの区別がつかない子供たちがたくさんいて、とても合唱しているとは思えない状況でした。アルトとソプラノにグループを分けて歌わせ始めると、最初のうちは「大声歌合戦」になってしまっていました。数人の子供たちが敵に負けまいという気分になるのか、地声で自分のパートを引っ張ります。「そんなに大きな声を出さなくてもまだ大丈夫。戦っているわけではないからね。アルトはソプラノ、ソプラノはアルトの声を聴きながら歌ってみて。」と指導するものの、なかなか分かってくれません。コロナ禍の中で育ってきた子供たちにとってみんなで歌ったという経験はあまりなかったようです。はじめてなので、「合唱」とは何なのかという事を理解できているわけでもありません。
聴き合うという心持ちで合唱に臨ませるにはどうしたらいいのでしょう・・・。

 アルトの音を理解させる

子供たちにはアルトの存在意義が理解できていないですし、音をとることができません。3年生の子供はまだまだ主観的に物事をとらえる傾向が強いので、ソプラノの方に引っ張られます。協調して何かを産み出そうという発想には至りにくい年齢です。
そして、私も残念ながら主観的な人なので、歌うことができる合唱曲は「ビリーブ」を含めて10曲あるかないかです。だから、
① 音がとれないときには自分でアルト・ソプラノの両方を鍵盤楽器で弾いてみることにしています。その後、小さい音で録音されたソプラノを流しながら、アルトを弾いてみます。あるいはその逆も試してみます。
② あるいは、録音されたソプラノの音源を小さい音で流しながら、アルトを口ずさんでみます。あるいはその逆も試してみます。逆のパートの音を聞きながら、手と下敷きを使って自分の声も聴きながら歌ってみます。頭からバケツを被って歌うといいという説もあるようです(そこまで子供にさせることができません)。自分で自分の声を聴くこと、そして自分で音程を調節することは大事なようです。
練習時間に限りがあるため、①と②を比べて、楽で時間のかからない①をやってみることにしました。

 鍵盤ハーモニカ奏で合わせる

コロナの影響で鍵盤ハーモニカも十分に練習してきていない子供達だったので、一曲を全部吹けるように指導するのは大変です。アルトとソプラノが分かれる直前から吹けるようにすれば十分だと考えました(全部できる子供はやればいいです)。まず、ソプラノを吹けたら合格、アルトが吹けたら合格、その後に2人組でハモることができれば合格という3段階の関所を設けて練習をさせました。
普段から先生(私)が「できるまでやらせるが基本である」ことを子供たちはよく知っていますし、もしできなくても切り捨てられることはなく、フォローがあることも知っています。「人間、できないこともある」「今はできなくても何年か後にまたトライしたらできるようになることもある」と日々、言い聞かせています。そして、「先生はあまり丁寧に教えないから、自分たちで助け合ってね」とも話しています。
それを汲んでくれて(笑)、子供たちはたいへんよく助け合いながら練習を進めてくれました。できた子供にはまだできていない子供をサポートしに行くように指示して、上手くいかないペアは解散させて上手い子供と組むようにペアリングをさせました。
その結果、かなり鍵盤ハーモニカ(というより音楽全般)が苦手な子供もいたのですが、全員に合格をあげることができました。

アルトとソプラノが別れる所からではなく、分かれる少し手前から弾かせることがポイントです。「世界中の~」の所から吹かせると、ちょうどよいと思います。「ファ」のシャープで始まるので、シャープで悩む必要がなくなります。指導側も指導される側もあまりしんどいことにならないように、こうしたジタパを仕組むことも必要です。

 合唱への影響

鍵盤ハーモニカ奏が、どの程度であるかは分かりませんが、合唱の精度の向上にけっこう影響したように思います。合奏の練習を始めてから「よくなっているよ」と、音楽専科の教員に褒められるようになってきました。

 曲・合唱の美しさに触れさせる

鍵盤ハーモニカ作戦と同時に、YOUTUBEにあがっている「ビリーブ」の合唱を見せるようにしました。2部がよいかとも思いましたが、プロフェッショナルが魂を込めて歌っている下の動画を見せることにしました。どちらも素晴らしいです。
こちら↓↓↓は、コロナ禍のみんなを励ますための動画。

こちら↓↓↓は、震災10年を節目にした祈りの動画。

指揮者の方の、淡々と指揮をしている表情(しかし、並々ならぬ熱意を秘めている)も、とても参考になりました。

 曲の意味を理解させる

ぼっとしていると真面目な歌の詩はきれいすぎて入ってこないことがあります。助け合えとか支え合えとかいう言葉は学校でずっと言われているから、麻痺している部分もあるかもしれません。動画を見せることで、曲の意味が子供たちに伝わった部分があると思います。

例えば君が傷ついて くじけそうになった時は
必ず僕が傍にいて 支えてあげるよその肩を

もしも誰かが君の傍で 泣き出しそうになった時は
黙って腕を取りながら いっしょに歩いてくれるよね

「ビリーブ」の歌詞が描く世界に自分たちの音楽会の練習や日々の暮らしを重ね合わせてくれたらいいなという願いを込めながら指導を続けました。
ワークシートを作って「誰かに支えてもらった事を思い出して」「誰かを支えてあげたいなと考えるときがあれば」というテーマで短い文で書かせて、共有させました。「病気になった時に家族が一緒に寝てくれた。私もいつか家族を支えたい」「大人になったら町のお年寄りの人たちを助けてあげる」「困っている時に話を聞いてくれるだけでうれしかった」等、けっこう素直な気持ちが書き綴られていて、よかったです。

 過剰があってこそ

指導をしながら正しく歌えているのかどうかも分からなければ、3年生という年齢でどの程度のことができるのかという見通しもありませんでした。私の指導力が不足のせいで、本番の音楽会でそれほど上等な合唱に仕上がった訳でもないものの、観ていただいた方々からは「よかった」「感動した」の声をいただきました。子供たちの満足げな様子を見て音楽っていいなあと思いました。
働き方改革で音楽会に対しても時数の規制がある中、やり繰りしながら時間を作っての指導でした。音楽やスポーツは過剰な指導・過剰な練習で身を削ってこそ輝きが増す部分もあり、バランスをとることは難しいです。子供たちの青春に寄り添いつつ、成長を促してゆくことは大切だと思います。大きな行事の改革を筆頭に、義務教育が何をどう目指すのかと言う課題に対する答えはなかなか見つかりません。
なかなか悩ましいです。

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