はじめに
これから紹介していく記事は、国語科文学教材単元の復権と題して、「学力」の向上を伴う学習指導過程モデルをご紹介いたします。
児童の背景にある現在の社会状況
近年では、AIの台頭、SNSの普及が目まぐるしい。ICTや生成AIの使用の効果が顕著に表れている一方で、LINEのように一つひとつの言葉を吟味せずに使用したり、一つの言葉から想像を膨らませ、考えることをしなかったりするような現状がある。また、「ショートビデオ依存症」という言葉に代表されるように、視覚的に有意な情報でさえも、長時間視聴することができずに、必要な情報だけ切り取られた「ショート動画」に頼る傾向にある。そこでは、上谷(2024:60-61)の指摘にあるように、一つの事象から物事を深く思考したり、他者に深く思いを寄せ自分事として置き換え、考える時間など置き去りにされてしまったりしている。その結果、全てが「効率化」のもと、「短絡的」な思考が習慣化してしまう。そして、これだけSNSが発達した昨今、このような状況は今後も続くことが予想される。
そのような社会状況の中で、小学校における文学教材単元で学ぶ価値が問い直される必要があると考える。そもそも、文学作品を読む意義とは、「虚構の世界に入り込み、そこで未だかつて経験したことのないようなことを経験したり、異質な他者と出会い、その他者の心の変容に共感したりしながら人生を豊かにし、人格を形成していく」と捉えることができる。つまり、「異質な他者」と出会い、その他者に思いを巡らせ、「人生を豊かにし、人格を形成していく」というSNS全盛のこの時代においては、より一層必要とされる時間が文学作品を読むときには、与えられるのである。
しかし、上述したように本来、意義ある文学作品の学びであるがそれを扱う小学校の文学教材における授業は、その意義を十分に果たしているのだろうか。
文学教材単元が抱える課題点
そこで、まず、現在の文学教材における一つの大きな課題点を導出してみる。
一点目である。近年では、「何ができるか」という「コンピテンシー・ベース」の授業づくりが隆盛である。しかし、国語科としては、古くは後述する「実の場」を伴った国語科単元学習や相馬・吉川(1970:37-100、以下相馬ら)の研究により整理されている十五種類の指導過程等にも見られたような感想文や劇化をさせる実践が多く行われてきた。また、PISA2003の調査結果から平成20年版学習指導要領によって、「言語活動の充実」が取り沙汰され、スピーチや手紙、新聞作りなどの多様な言語活動例が示された。これらからも「何ができるか」という観点での授業づくりに、従前から取り組んできたことが分かる。
一方で、府川(1986:13)は、日常生活に還す活動に重きを置いていた単元学習と読み手に日常言語とは異なる文学世界を経験させることに目的を置く文学の読みの指導の論理とが抵触すると指摘している。つまり、文学世界に浸り、そこで疑似的に生きている読者を再び現実世界に引き戻すような言語活動を行う必要があるのかどうかということが問われている。
二点目である。「何ができるか」という活動の側面に焦点が当たり、それを下支えする「学力」を明確に措定し、育成できる指導過程にまでにはなっていなかったと考えられる。これは、益地(2002:8)が、国語教育に携わる者が等しく認める国語学力観が確立されていないのが現状だという指摘からも見て取れる。明確な「学力」を措定し切れていないのは新旧問わず不変の課題であると考えられる。これが、柴田(1986:29)の指摘する国語の授業では何を教えたらいいのかわからないことに根本的対策が立てられていないことに繋がっていると考えられる。
それと関連して、明確な「学力」が措定できていないことは「評価」の曖昧さにも繋がるものと考えられる。例えば、「身につけたい力」として「思考力の伸長」という高次の学力を目標に置き、比べ読み等の言語活動を設定している実践も見られてきた。しかし、その高次の「学力」をどう客観的に「評価」し、どう「身についた」と言えるのかは十分に考えられていない。それは、発達段階に応じた「学力」の知見を含めながら「評価」するという視点が不十分であったとも考えられる。つまり、これらの指摘は、従来の学習指導過程に、いくらダイナミックで流動的な言語活動を位置付けたとしても、それを十分に評価に活かしきれていない部分があったことを示唆している。
三点目である。先述したように国語科としては、古くから「何ができるか」という視点で言語活動を考えてきた。一方で、吉川(2004:50)は、説明的文章の学習指導過程の研究に取り組む中で単元の終末段階の学習活動については、概して学習者には好まれない活動の繰り返しに陥っていることがしばしば見られることを指摘している。「活動あって学びなし」という言説もこの指摘に当てはまるところである。そして、この指摘は、そのまま文学作品を扱う授業でも当てはまると考えられる。「新聞づくり」や「劇化」などの「言語活動」は、文学の本質的な部分の何を狙って行われているのかが不明瞭であることが多々ある。つまり、現実ではなかなか経験できない人やものの「真の姿」を描き出す文学の本質的な「楽しさ」を感じられぬまま、単元を終えてしまうという実践が散見される。それが、ひいては、児童の意欲をそぎ落としていく要因であると考えられる。
四点目である。先にも述べたように、今の時代はSNS全盛である。そこでは、真偽問わず大量の情報が集まっており、情報収集する一つの中心的な手段となっている。それは、教育においても例外ではない。現場では、SNSの煌びやかな実践の一部分だけを切り取り、自分の実践に繋げていくことも往々にしてあることが現状でもある。かつて、相馬らは、昭和中期に至るまでに研究団体や研究者等の十五種類にものぼる学習指導過程を整理しており、飛田(1966:20)は、いつの時代でも、事実としての必要性、信頼できる依りどころが欲しいということであろうと述べている。しかし、昨今では、その信頼できる依りどころがSNSに舞台を変えている。そこでは、これまでに単元学習が大切にしてきた単元を「一つのまとまり」と考える「指導過程」は抜け落ち、「明日」の授業だけを考え、一部分だけを継ぎ接ぎするような実践に終始している。そもそも、学習指導過程とは、田近(1993:296)の論考に基づくと「作品理解の過程に加え言語能力を養っていく教育的過程」であると定義できる。しかし、継ぎ接ぎする実践では、一貫した言語能力を養うことはできないのは明白である。
ここまで、四つの課題を述べてきたが、これらの課題は「単元学習」から得た知見を発展させた新たな学習指導過程モデルを構築することで克服可能であると考えられる。
学習指導過程モデルの要件
ここで、新たに構築した「学習指導過程モデル」には、先述した4つの課題を乗り越えるべく、次の3つの要件を満たすような、文学教材単元の学習指導過程モデルを新たに構築していく。
① 「学習指導過程」は、措定した「わかる学力」を身につけられ、明瞭な評価を可能にしていること
② 「学習指導過程」の中に位置づけられた「非定型問題」によって行う「言語活動」は、対象の文学作品の「概念的理解」を促すものであること
③ ①②で述べた「言語活動」は、児童の意欲を喚起する「非定型問題」を設定していること
紙幅の関係で今回はここまでにしたいと思います。次回は、この「学習指導過程モデル」を深掘りしながら紹介していこうと思います。
【参考文献】
- 上谷順三郎(2024)「明日を担う国語教師をどう育てるか―言葉の時間を一緒にすごす―」『これからの国語科教育はどうあるべきか』全国大学国語教育学会
- 吉川芳則(2004)「説明的文章の単元の学習指導過程における終末段階の学習活動設定の要件」『国語科教育』第56集、全国大学国語教育学会
- 柴田義松(1986)「国語科の系統指導とは」西郷竹彦『文芸教育 49号』明治図書
- 相馬信男・吉川数(1970)『読解指導過程の比較と実践』黎明書房
- 田近洵一(1993)「国語科指導過程論の検討―読みの指導をめぐって―」飛田多喜雄・野地潤家「国語教育基本論文集成第26巻 国語教育方法論 (3)指導過程論」明治図書
- 飛田多喜雄(1966)「協力によって基本的指導過程の確立をめざしたい」『教育科学国語教育 1月号NO.86』明治図書
- 府川源一郎(1986)『文学教材単元学習の新展開』明治図書 益地憲一(2002) 『小学校国語科指導の研究』建帛社
- 益地憲一(2002) 『小学校国語科指導の研究』建帛社
執筆者
川上 健治(かわかみ けんじ) 1986年生まれ。兵庫県神戸市在住。明石市の公立小学校教員として13年間勤務。その中で2年間(2021-2022)は兵庫教育大学大学院で専門職学位を取得。研究テーマは、『「逆向き設計」論を用いた小学校中学年文学教材単元の学習指導過程モデルの構築』。
現在は小学4年生担任。国語教育、学級経営を専門とし、「文学的認識力の育成」と「民主的協働を基盤とした学級づくり」の往還的な研究を進めている。
【研究実績】
・全国大学国語教育学会にて研究口頭発表(2022年)
・日本UD学会全国大会 口頭発表(2022年)
・日本学級経営学会兵庫セミナーにて発表(2025年)
・兵庫県内教育研修所連盟 研究発表大会にて発表(2025年11月末予定)
・学級経営プランシートを用いた実践を数多く展開し、明石市の研修講座にて若手教員向けに研修も実施
・国語授業において「近接転移」と「遠隔転移」の視点を取り入れた実践を構築
【所属学会】
全国大学国語教育学会
日本国語教育学会
日本学級経営学会
日本UD授業学会
(2025年8月時点)

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