偉人をヒントに高校生活について考えよう

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目次

1 はじめに

この実践は、ROJE(日本教育再興連盟)の高校学習支援プロジェクトが佼成学園にて行っている、中学3年生を対象とした授業の実践です。

2 実践のテーマ

この授業のテーマは、「高校生活を具体的に思い描き、未来へ歩を進めよう!」に設定しました。漠然と高校生活を過ごすのではなく、何か自分のやりたいこと、例えば勉強や部活動、生徒会活動などに全力で取り組んでほしいと考えたからです。
しかし、これらのことをやるにしても、そもそも自分が高校在学中にやりたいことがハッキリしない、というという生徒も出てくるでしょう。そこで、彼らが高校生活について考える手助けをするために、下記のように偉人たちの高校生活について、生徒に紹介しました。

3 偉人たちの高校生活

野口英世について

志を得ざれば再び此地を踏まず。(現代語訳 自分の志を実現できなかったら、この場所に帰ってくることはない

説明内容

野口英世は、1876年に、福島県に生まれました。彼は一歳半の時に囲炉裏に落ち、左手に大火傷を負いました。そのため、左手がずっと「グー」の状態となり「手んぼう」と呼ばれいじめられていました。その後、彼は皆さんと同じ年齢の十五歳の時に左手の手術を受け、手術に感激したことがきっかけで医師を目指すようになります。そして、彼は二十歳の時に難関の医術開業試験を受けるために上京したのであった。冒頭に紹介した文章は、彼がが上京する時に家の柱に小刀で刻み付けた彼の決意文です。

坂本龍馬について

世の中の人は何とも云えばいえ我がなすことは我のみぞ知る(現代語訳 他人には言いたいように言わせておけ。自分がやることは、自分で決めることなのだから

説明内容

この名言を生み出したのは、土佐の脱藩浪士であり、薩摩・長州両藩の間を取り持ち、薩長同盟を結ばせたことで知られる坂本龍馬です。龍馬は1836年高知県に生まれました。龍馬は12,3歳まで寝小便癖がある気弱な少年だったそうです。龍馬は皆さんが中学に入学したぐらいの時に日根野弁治の道場に入門し,
以後五年間剣術修行に励みました。そして、17歳になると、江戸に剣術修行に行くことを藩に許可され、北辰一刀流の千葉道場に入門しました。
一度自分が信じた道ならば、他人の評価など気にせずにまっすぐ駆け抜けた彼の人生そのものがこの一句に表れています。

孫正義について

“挑戦する者にのみ未来は拓かれる”

説明内容

この言葉を世に放ったのは、ソフトバンクグループの創業者である孫正義です。彼は福岡県内の公立小学校、中学校に通い、高校は福岡県の名門・久留米大学附設高校に進学しました。しかし、15歳の時に出会った司馬遼太郎『龍馬がゆく』の影響を受けました。混乱の幕末期に命がけで脱藩し、商売を通じて日本を変えようとした坂本龍馬にあこがれ、彼は高校を退学し、一人アメリカへと渡りました。それは、彼がわずか17歳の時でした。

4 実践の裏のテーマ

これにはもう1つ別の狙いがありました。それは、生徒たちの論理的思考力を身につけさせることです。具体的には、将来自分がやりたいことから逆算して、高校生活の過ごし方を考えてもらうことを狙いとしていました。というのも、将来自分がやりたいことがあるが、具体的にそれをどうやって実現させたらよいのか分からない、という声が多かったからです。そこで、何をしたのかは分かっているが、高校時代に何をしてきたのかはあまり知られていない偉人を参考にしようと思い当たりました。そうすることで、自分の夢を叶えるためには、高校時代に何をすべきなのか考えてもらおうと思い、この実践を作成しました。
なお、野口英世も坂本龍馬も現代からかけ離れすぎていてあまり参考にならないという生徒もいるだろうと思ったので、新聞には載せませんでしたが例として孫正義の高校時代の話を口頭で行いました。

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