スポーツの価値を基盤とした授業とは ~佐藤豊教授 講演~

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目次

1 はじめに

こちらの記事は、2018年2月3日に国立スポーツ科学センターで開催された、公益財団法人日本アンチ・ドーピング機構(JADA)主催のスポーツの価値を基盤とした授業づくりワークショップ(スポーツ庁委託事業)を取材し記事にしたものです。

当日は桐蔭横浜大学スポーツ健康政策学部の佐藤豊教授の基調講演から始まりました。その後、福岡県立早良高等学校、岡山県立倉敷南高等学校、神奈川県立市ヶ尾高等学校、山形県立山形中央高等学校、そして山形県庁(高校総体(インターハイ)における高校生活動)の担当者からスポーツの価値を基盤とした授業づくりと実践例の報告がありました。午後からは、スポーツの価値を基盤とした授業づくりのワークショップをグループワークで行いました。

本記事では、佐藤豊教授の基調講演をご紹介します。

2 佐藤豊教授の講演

 「スポーツの価値」の学習をどう扱うか

学校の授業で「スポーツの価値」に関する単元を取り上げる際、体育理論では1時間程度しか扱うことができません。もちろん1時間のみで学ぶことは難しいのですが、それ以上長い時間をとろうとすると、他の単元についての学習が十分にできなくなってしまうのです。

この問題に対しての改善案としては、他教科とのコラボレーションや特別活動の時間の活用などが考えられます。例えば社会科では大型スポーツクラブを取り上げた授業、英語科では英語を使ってスポーツを広げてみるといった授業が挙げられます。また教科にとどまらず、球技大会のルールについての検討を生徒自身にしてもらったり、総合的な学習の時間でスポーツの価値について考えることをきっかけとして、ドーピングについて調査・研究をしたりするといった取り組みも可能でしょう。

このように様々な視点からスポーツについて取り扱うことで、よりよい価値が広がっていく教育をすることができるのではないでしょうか。

 スポーツを「する」「みる」「ささえる」

画像は昨年文部科学省が策定した第2期「スポーツ基本計画」の参考資料の抜粋です。


    出典:スポーツ庁「第2期スポーツ基本計画(答申)」参考資料(1)

この資料の冒頭部では、「スポーツの枠を超えて、異分野と積極的に連携、協働してスポーツの価値を具現化し発信する」と記されています。

基本計画に出ているのは、大きく分けて4つで、それぞれ具体的・政策的な戦術目標が書かれています。
その一つとして記されているのが「する」「みる」「ささえる」スポーツ参画人口の拡大。特に学校体育においては、選手にならない人も含めてスポーツに関わる人を増やすことを目指しています。日本の学校では体育が必修となっているため、多くの人が高校まではスポーツをしています。しかし高校卒業後、スポーツ実施率は20~30%台まで落ち込んでしまいます。実施率の拡大には、大学スポーツの支援など、卒業後も継続的にスポーツができる場づくりが必要だと思います。

 スポーツの価値について

先ほどの資料冒頭部で登場し、本日のワークショップのタイトルにもなっている「スポーツの価値」ですが、それを揺るがす大きなものとしてドーピングが挙げられます。

まず、このようなケースについて考えてみましょう。

陸上競技の選手の面倒を長年見てきたコーチがいます。

とある選考会の1か月前、タイムをあと何秒か縮められればオリンピック代表選手になることができます。

コーチ:「よく頑張ってるな。お前、俺のこと信じてるか。」

選手:「はい、もちろんです。」

コーチ:「それなら何も聞くな。今から渡す1か月分のビタミン剤をしっかり飲んで。選考会まで頑張れ。」

選手:(いや、それドーピングにならないかな…)

もしみなさんが選手だったらどう答えますか。少し想像してみてください。
こうしたケースに直面した際、相手との関係を壊さずに断ることは非常に難しいのではないでしょうか。

また、先ほどのケースにはもう一つ問題が隠れています。
なぜコーチがこういった行動をとったのか、というものです。コーチ自身が勝手に判断した、誰かから「あいつにどうしてもメダルをとらせてやってくれ」と言われた、選手の家族から頼み込まれたなど、いろいろな要因が考えられます。

授業では、上のような例も含めた様々なケースに対応できるよう、生徒たちの考え方を広げていけたらいいと思います。

 スポーツインティグリティ

スポーツインティグリティは、高潔性、健全性、誠実性という要素からなります。
スポーツに携わる全ての人が身に付けるべき資質です。ここで間違ってはいけないのが、この場合「スポーツに携わる人」は、トップアスリートもそうでない人も含めてスポーツを「する人」はもちろんのこと、会場やテレビの前でスポーツを「みる人」指導者やボランティアなどのスポーツを「ささえる人」も指しているということです。

このような人たちも含めてスポーツは成り立っていると考えると、誠実性、健全性、高潔性といったインティグリティの教育の重要性がより理解できるのではないでしょうか。具体的には、スポーツを大事な文化として見ていて、それを振興し広げていきたいという人が携わっているのか、スポーツは金になると考えている人が携わっているのかによってスポーツの価値は大きく変わってきます。

 「みる人」「ささえる人」もドーピングに関わってくる

ここで先ほど出した問いに立ち戻ってみましょう。
この問いは、指導者すなわち「ささえる人」がドーピングに関わってくるケースでした。では、「みる人」がドーピングに関わってくるケースはあるでしょうか。参加者の方から意見を伺ってみたいと思います。

参加者:人々がスポーツを観戦する際の「スポーツは勝って当然だ」という考え方が、スポーツ選手をドーピングに追い込んでしまうのでは。

なるほど。では私たちがどういう見方をすれば、選手はドーピングに追い込まれることなく競技に挑むことができるでしょうか。

参加者:競技の結果を見ようとするのではなく、選手の大会に向けた練習の様子や、競技中の振る舞いを見る意識を持てばいいのではないかと思います。

そうですね。見方の質を変えれば、トップ選手の価値は「インチキをしてでも勝つ」ことではなくなるのではないでしょうか。どういう結果であろうと選手が正々堂々と戦ったプロセスを見れる人を教育で育てていく、あるいは我々指導者がそうした意識を共有していくことによって、見方の質はだいぶ変わってくると思います。

「する人」だけでなく、「みる人」「ささえる人」もドーピングに影響を及ぼしていることを教える。スポーツの価値はすべての人の関わり方で決まるものだということを共有していく。「する人」それから「みる人」「ささえる人」のすべてが、スポーツをどういう方向性で育てていきたいかを考え、自分も参画しているというのを感じてもらうことが一番大事なのです。こうした意識がスポーツの価値の高まりにつながっていくのだと思います。

 価値を伝える

「ナイスプレイ」という言葉ありがますよね。授業でもそうした声掛けを積極的に行って場を盛り上げることがあると思います。ですが授業中、「ナイスプレイ」と形だけ言っている子はいませんか。そういう子は「なぜ」言わなければいけないのかが分かっていないのです。教員の中にも、それを説明できない人は意外と多いのではないでしょうか。

ものごとの価値と意味は互いに切り離せない関係にあります。あらゆる所作や行為の価値の背景には、必ず意味があるため、生徒にはそれをセットで伝えることが大切なのです。スポーツの価値を伝える際にも同じようなことが言えるでしょう。

3 編集後記

スポーツを「する人」だけでなく「みる人」「ささえる人」もスポーツの価値を生み出しているということを今まであまり意識したことはありませんでした。自分たちも価値を生み出す主体であるということを学校の授業を通して伝えていくのは非常に意義のあることだと思います。2020年のオリンピック・パラリンピックと関連付けて扱ってみてはいかがでしょうか。(取材・編集:EDUPEDIA編集部 粒來)

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