1:はじめに
本記事は、2022年10月30日にNPO法人ROJE・災害と教育事業部わたげプロジェクトが開催した、第8回防災教育実践交流会「現役教員と考えるこれからの地域防災」の内容を記事化したものです。
防災教育実践交流会は、防災教育の専門家や実践者の講演、参加者同士の交流を通した、防災教育の担い手の育成や防災に関わる人たちのコミュニティづくりを目的に、開催されてきました。
第8回目となる本イベントでは、「地域防災教育の実践に触れ、これからの防災教育の担い手となるきっかけをつくる」ことをテーマに掲げ、中川優芽先生によるご講演とイベント参加者同士での座談会を行いました。
中川先生は、高校時代に東日本大震災のボランティアに参加した経験から、大学時代に復興支援サークルを設立されました。大学卒業後は小学校教員になるも、防災教育への課題意識から大学院に進学し、岩手県釜石市にて研究をされました。現在は、静岡県の小学校で教鞭をとりながら、下校中の避難訓練を導入するなど、実践的な防災教育に取り組まれています。
2:釜石市の調査に至るまでの経緯
高校生でのボランティア経験
東日本大震災が起きたとき私は高校生でした。あるとき私の叔父が東北のお土産で、宮城のカツオを使ったお菓子を買ってきてくれました。それは、福島の高校生がつくったものだったんです。
それを見たとき、同じ高校生なのに私は何もしていないなという気持ちになりました。そこでボランティアを探し、唯一未成年でも参加できた静岡県のボランティア協会主催の活動に応募をして、2011年の夏に初めて岩手県を訪れました。
偶然にも最初に行った場所が釜石市でした。まだ当時は直接沿岸沿いに行ける状態ではなかったので、まずは内陸の遠野市に行き、そこから約1時間で活動場所である釜石市に着きました。
大学卒業後
大学卒業後、静岡市の教員として防災の授業も行っていました。たまたま私が赴任した小学校が、その年に建て替えを行ったばかりの新しい校舎でした。避難訓練を行ったときに、当時小学校3年生の児童から「新しくて丈夫な校舎なのになんで僕たちはグラウンドに避難しなきゃいけないの」と聞かれたのですが、私は全く答えることができませんでした。何度も被災地に足を運び「防災をやりたい」という思いで教員になったのに、その問いに答えられなかった自分の勉強不足を実感し、1年で教員を辞め、釜石市に移住をしました。
3:釜石市での研究
岩手県釜石市では東日本大震災による死者・行方不明者が1000人を超えましたが、釜石市内の小中学校では全児童・生徒およそ3000人が避難をして、命を守りました。
私が釜石市で行った研究について紹介します。この研究は、地震が起きたときすでに帰宅していた児童の避難行動について調べたものになります。研究の結果、津波からの避難行動を促進する手法として下校中の避難訓練が有効だったのではないか、と推測されました。
そこで、釜石での実地調査をもとに下校中の訓練の実施に必要な条件などを明らかにし、実際の訓練を静岡県の掛川市で実施しました。
震災が起きたとき児童がすでに下校していたという学校が、釜石市内に2校ありました。1つ目が釜石小学校です。こちらの小学校は高台にあり学校自体は安全な場所にあるとされていますが、子どもたちはもう下校をしていたので、津波の浸水想定区域の場所にいました。もう1校が平田小学校です。
避難当時の様子が綴られた作文
釜石小学校については、震災当時の避難行動について書かれた作文が残っていました。作文には「地震がおさまったらすぐに近くの高台にひなんしました」「消防団の人たちが、『津波が来るから台村公園にひなんしてください。』と大声でさけんでいたのでぼくたちもひなんしました」というように、避難行動について、子どもたちの言葉で書かれていました。
この作文は震災が起きてすぐの2012年3月に発行されたものです。子どもたちへの倫理的配慮なども必要な中、なぜすぐに発行したのかと聞いたところ、当時の加藤校長先生は「今起きたことは今書かなければいけない」とおっしゃっていました。避難したときの様子がありありと伝わってくるような作文が釜石小学校には残っていたので、それを手がかりに、なぜ児童全員が助かったのかを調べていきました。
まず、避難行動について書かれた作文をKHcorder(注1)という方法を使って整理しました。「避難訓練」という言葉も「避難」と「訓練」というふうに分けて抽出されてしまうことがあるので、同義語の統一や強制抽出といった制限をかけて調べました。
避難場所に到着した児童と到着しなかった児童で分けると、到着した児童の作文には共通して「逃げる」という言葉や「友だち」という言葉が出現しました。このことから、友だちとの関係性の中に避難行動を埋め込んでいく必要があるのではないかと推測し、研究を進めました。
津波の避難行動や学校管理下における避難に関する先行研究はあったのですが、学校に当時いなかった児童、すでに帰宅していた児童の避難行動についての研究は見当たらなかったので、釜石市に住んでいる間に調査をしました。
避難行動が書かれた作文の整理をしたのちに、避難場所に到着した児童へのインタビュー調査を行いました。作文の上の方に全部名前が載っていたからです。私が釜石にいたころはすでにその子たちは高校生になっていましたので、釜石市内にある高校に行き、校長先生に許可をいただいて、協力してくれる高校生にお願いをして、ひとりひとりインタビュー調査を行いました。
インタビューの対象者は避難場所に到着した児童です。避難場所に到着できなかったけれどギリギリ助かったという児童については、心的影響を考慮して調査を控えることにしました。
調査を行うにあたり、13人から協力を得ることができました。震災当時は小学生ですが、私が調査を行ったときは高校生から社会人の年齢層になります。同意のうえで録音を行い、M-GTA分析(注2)という方法で、分析を行いました。
(注1)テキストデータの分析に用いるソフトウェア。テキストから頻出語を抽出し、分類することができる。
(注2)社会学的な質的調査の研究方法の一つ。得られたデータをラベル化、あるいはグループ化することで、客観的に現象を表現し、相関関係を調べる「GTA分析」の修正版。
避難行動の要因
その結果、津波の避難行動に影響したとみられる12個の要因が抽出されました。私はそれまで子どもたちの避難に影響した要因は学校教育だけだと思っていました。しかし、実際はそれ以外にも様々な要因が重なって、避難行動に至ったということが分かりました。ただ、だからと言って、学校教育が無駄ではなかったことも明らかになった結果だと思っています。
抽出された要因を見ていくと、当日の状況によるもの、学校教育によるもの、学校教育以外によるものに分類されました。当日の状況によるものに関しては、道がでこぼこしていたり液状化していたりして、家に戻りたくても戻れなかったという児童もいました。学校教育によるものでは、自分の家からは離れた場所で警報が鳴ったという想定での訓練をやっていた、下校途中にサイレンが鳴る、地震発生の合図がいつもバラバラといった条件下での避難訓練を通して、そのときいる場所に合わせてどこに逃げればいいかを考えていた、などの回答が見られました。
これらの結果から、下校中の訓練が津波の避難行動に有効であったのではと推測されました。
その下校中の訓練ですが、私の出身地であり南海トラフ地震の被害が大きいとされている静岡県で実施してみたいという思いが強くありました。その訓練に必要な条件を探るために、当時の校長先生にインタビューを行いました。インタビューを行う過程で、釜石小学校に下校中の訓練の見学を許可いただき、実際に見に行くこともできました。釜石小学校では震災の3年前から下校中の訓練をされていて、そこから今でもずっと続いています。
4:下校時避難訓練の様子
下校時避難訓練は、下校中にサイレンが鳴ると児童が一目散に場所に応じた避難場所を目指す訓練です。釜石小学校の児童は、学校周辺の避難場所をいくつも覚えていました。サイレンを鳴らすのが遅れて家についてからサイレンが鳴ったという年もあったようですが、そのときも一度地震から身を守る行動をとったのちに、津波の避難場所に逃げるという訓練を繰り返していました。
当時の校長先生にインタビューした結果をお話しします。まず、2008年に、防災の講演会を行って保護者への協力をお願いしました。最初に行ったときは出発が早まったうえに児童も張り切ってスタスタと歩いてしまい、ほとんどの児童が家についてからサイレンが鳴ってしまいました。
2009年に、釜石市の防災課に協力をあおぎ、市内に一斉に同報無線でサイレンを鳴らしました。そのときには、本物のサイレンや警報を使って練習を繰り返していました。教員は指示をするのではなく、なるべく後ろから児童を追う形で歩きました。また、このときも児童らはスタスタ歩いてしまい、一列につながってしまったことがあったようで、どうしたら子どもたちが自分で判断できるのかというところを追求されたとお話をうかがいました。
震災後の2011年にも、訓練を行いました。ただ、児童のメンタル面を考慮して同報無線は使用せず、カセットテープで訓練用のサイレンを鳴らして実施しました。現在も途切れることなく続いている訓練になっています。
5:プロフィール
中川 優芽先生

高校時代の災害ボランティアの経験から2013年に復興支援サークル「結志(ゆうし)」を設立。2017年4月に静岡県の小学校に赴任。その後静岡の防災教育に危機感を持ち、2018年4月慶応義塾大学大学院 政策・メディア研究科修士課程に入学。同年5月に釜石市の地域おこし研究員に就任し、釜石市の防災教育を研究。
編集・文責:EDUPEDIA編集部 岩井綾花、秋吉真弥
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