前編「作文が子どもと先生を救う?! 〜なにわ作文の会に学ぶ作文教育 ~」

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目次

1 はじめに

原稿用紙を子どもたちは嫌がるし、作文をうまく書かせられない……

せっかく面倒な添削とコメントをしても、
ただ返却しておしまいでは時間の無駄……

作文嫌いにさせてしまうくらいならやめてしまおう

このように、作文指導についてのお悩みはありませんか。実際、これらを難しいと感じている先生は多く、巷では作文の型を学ばせるような方法論が出回っています。しかし、書き方を示しても子どものやる気を起こせずに、無理やり書かせたといったご経験をお持ちの方も多いのではないでしょうか。

本記事ではいわゆる作文指導のテクニックとは異なる、「作文教育」 をご紹介します。前編では 教育のトータルとしての役割を持つ本当の 「作文教育」 とは何か 、続く後編は 誰でもできる作文教育の実践 について解説するので、ぜひ合わせてお読みください。

両編はともに、2023年5月28日に行った、小学校の先生を主な会員としたサークルである「なにわ作文の会」の運営に携わる4名の方々を取材し、活動についてのインタビューをもとに作成したものです。

2 「なにわ作文の会」について

成立

作文の会は、戦後にできた民間教育研究団体の一つです。はじまりは、戦前に行われた「生活綴り方教育」にあります。これは、東北の貧しい生活財の中で子どもたちに自分たちの足元の本当の生活を見つめさせ、明日への希望をつなぎ、生きる力を育くむ教育でした。身近な暮らしのそばに戦争があった当時、自分で主体的に考える力を子どもたちにつけさせたいという意図から、生活綴り方教育が始まったのです。

本当のことをありのまま綴る教育なので、生活綴り方教育は弾圧も受けました。しかし、戦後の新憲法のもとでは教育の民主化が進みました。その後、先生がお金を出し合い、自らつくり運営していく民間教育研究団体が発展します。大阪では1953年に「大阪綴り方の会」が誕生しました。この会を母体として、農村部に対し特に都市部の子どもの暮らしに目を向けるため、1955年に大阪市の都市部を中心に発足した団体が「なにわ作文の会」です(現在は、都市部にという限定はありません)。

現在

同様にして各都道府県にこのような作文の会ができ、現在も多くの会員がいます。そして、各地の会を束ねている全国組織である「日本作文の会」が、会員により共同で運営されています。この自分たちで、という点が日本の民間の教育研究サークルのスタイルです。

地域によっては活動が弱体化してしまっていますが、大阪にあるなにわ作文の会は全国で最も活発に活動しています。「学び合いたい」という思いを共通点に、新任からベテラン、退職された先生まで幅広い年代の方々がこの会に集まります。

ホーム | 日本作文の会 新・公式ホームページ (nissakupr.wixsite.com)

活動と目的

月例会

主な活動は、いつでも自由に来てね、というスタンスで勉強しに集まる月例会の開催です。毎月繰り返し、クラスでの作文実践を報告し、皆で検討して学び合います。また、職場での悩み等の近況も共有する中で、会は一人一人の居場所となっています。

参加目的は人それぞれです。例えば、

  • 他の先生方の実践を聞いて、自分とは違う子どもの作文の読み方・捉え方を教えてもらうため。
  • 先輩の学び続ける姿から刺激を受けるため。
  • 周囲に流されそうな自分を見つめなおし、もう一度大事にしているものを確認するため。
  • 学校とは別に自分の所属、居場所を得るため。
  • 次の世代の先生と子どもに希望をつなげ、生きがいとするため。

他にも

どうしても職場だと、児童観・教育観に広がりがあったり、学校のなかでの教育目標が自分に合っていなかったりといろいろあるので、例会に行くと、そのまま(の自分)でもいいんだなということを感じ、(大切にしている部分が)ぶれずに頑張れる

転勤先でうまくいかないことがあった時の励みと支えとなった

という声があります。

研究大会

月例会を行いながら、研究大会を年に一度開催します。各地の会では考え方が大きく異なりはしないため、なにわ作文の会は前述の大阪綴り方の会と一緒に勉強をする場もあり、研究大会などは共同で仲良く運営をします。

なにわ作文の会の特徴は、この研究大会で学校を借りて授業を公開する点です。『作文の授業はどうしたら子どもたちのものになるのか』をテーマに実際の授業を行います。

全国大会

最も大きな集まりとしては、「日本作文の会」の主催する全国大会があります。参加費は一般の先生で5000円ですが、お金を払ってでも学びたいという1200人もの先生たちが参加します。2022年の全国大会では、作品研究・パネル討議・実践報告と質疑応答・講演が行われました。

大切にしていること

なにわ作文の会が特に大切にしている活動は、作品研究と実践記録です。この二つを主軸に、主体的で自由な研究が70年続けられてきました。

作品研究では、子どもの作文をどのように読むかを考えます。ここから、先生がどんな作文教育をしているかがよくわかります。さらに、その先生の子どもの捉え方、教育観まで見えるのです。自分にない読み方を学び、子どもを深く理解しようとする参加者の能動的な姿勢を基本に置いた、作品研究を大切にしています。

実践記録は、クラスでの自分の仕事経験を書くことです。毎月の例会で担当に決まった人がそれを報告し、全体で検討して学び合います。また、「日本作文の会」から執筆依頼を受けて実践記録を書くこともあり、それは「作文と教育」という全国の機関紙に掲載されます。
こうして自分の言葉で実践したことを書くことで、先生自身が大きく成長できます。

3 教育について

ここまでで、作文の会は研究と学び合いの団体であることをお伝えしてきました。そこで語られる作文教育に独自の定義や「こうすべき」といった決まりはありません。ただし、教育観や子ども観については共通する軸を持っています。以下ではその軸を3つのキーワードで解説することで、「“作文教育”とは何か」の問いに答えていきます。

①はじめに子どもありき

当たり前のことと思われるかもしれませんが、目の前の子どもから出発する教育を意識します。ICT端末が一人一台支給され、その操作ばかりに目が行き機械を扱うことが目的化していませんか。あるいはストレスにさらされる中にあって、子どもを見失いかけていませんか。常に多忙な学校現場においては、子どもに学ぶのではなく、大人が先回りして教えて正解の方向に引っ張ってしまいがちですが、教育の主役は子どもたちです。理論や方法論といった事実よりも、子どものことを語り合える職場が理想です。

まずは、作文を読む時だけでも子どもたちに寄り添ってみてください。日々子どもと接していると、感情的になることもあるかもしれません。しかし、トラブルを起こして叱られてばかりのような子どもでも、作文には家のことや実はとても友達思いであることなどを綴ってくれます。一文一文を丁寧に読むことで、書かれたことから直接知るのみならず、普段の生活からも今まで知らなかった面が発見できるようになり、少しずつ一人ひとりのことが分かっていきます。ここには子どもから学び、子どもと一緒に成長する先生像が基本にあります。

②子どもを信じる

作文を子どもたちに書かせようとすると、よく「書くことなんてない」となってしまいます。それでも、作文の会では、子どもは大人の指導やチャットGPTを無くして書けると信じています。なぜなら、子どもに対する信頼があるからです。人間はみんな表現したいことを持っており、作文に書く内容は自力で見つけられるはずです。作文を書くことを強制しないで、今すぐに書けなくても良いというくらいの気持ちで落ち着いて向き合います。書きたいことを見つけるまで焦らずに待つのです。

子どもができると信じきれていない人は、これを待てずに、テクニックで書かせようとします。この時の作文は、国語教育の「書く・読む」の技能の領域の指導、つまり文章のおけいこに捉えられてしまっています。しかし、子どもとの信頼関係を築く営みをおろそかにしてテクニックに頼ったとしても、作文教育にはなりません。本当に子どもを思った教育をするとき、作文に求められるものは人間的な成長の手助けです。だから、そこには子どもの言葉が自由に綴られている必要があります。

どれだけ面倒をかけるような子であっても、信頼できる大人に向かっては、少しずつ心を開いていくものです。まずは、先生が子ども一人一人と対等になり、日々の関わり合いを積み上げることを大切にしましょう。信頼関係を築くことができれば、必ず溢れ出る思いを綴ってくれます。

③友達と学級で学ぶ

せっかくの作文を、添削や先生からのお返事を書いておしまいにしてしまっては、もったいないです。文の巧拙や字数で判断せず、みんなの作文を学級の中で読み、学び合う時間も大切です。

自由題の作文を通して、子どもは自分の書きたいことを自分で決定して書くという自己決断をします。さらにそれを、たくさんある言葉の中から文章にして組み立てなければなりません。そこでは、とても主体的なことをしており、できたものがたった一文であっても、それこそがその子どもの生きている真実を映しているのです。そのように考えて、上手い下手で作文を評価せずに、どれも平等に扱います。

先生はそこから作品を選んで学級の中で読み、子どもたちには一つずつそれについての質問や感想について話してもらいます。すると先生と同様に、子どもたちも友達の作文を読むことで、相手をより深く知ることができていきます。友達の思いや表現を共感的に読んだり、事情が分かったりすれば、いじめも起こりにくいでしょう。書き手の子どもも、自分の言葉が先生や友達に否定されることなく受け入れられれば、分かってくれる人がいるという安心感を得ることができます。このように、作文を学級内で読むことで、より居心地の良い集団形成が可能になります。子どもたちは、人との関わり方を学級で学んでいくのです。

4 作文教育の力

作文教育の真価は、子どもの自由に綴った作文を先生が教室で生かすことで発揮されます。その真価とはどういったものなのでしょうか。なぜ今の時代においても敢えて「作文」なのでしょうか。

実践的な作文教育の進め方については後編に回し、前編の最後には作文教育のもつ力を解説します。これを読めば、作文教育が「教育のトータル」と言われる真意が分かります。

自己形成を促す

自分の思いを自由に綴る営みの本質には、自己形成があります。なぜならば前述の通り、子どもは自由作文で書きたい事柄とそれを表現するための言葉を自己決定するからです。ここにおいて、子ども自身の主体性が発揮されます。このとき、主体的な自己決定と同時に、周囲の社会と自身とを見つめなおしながらそれを自分なりの言葉で表すという、高度なことが求められています。こうして社会の中に自身を位置付けていく過程においても、子どもの自己形成が促されます。

したがって、自由に綴らせるだけで十分に、子どもは個人として大きく成長します。先生は文章指導を一切しないということではありません。しかし作文の会が教育を通して目指すところは、書く技術の向上よりもむしろ、自己の見つめなおしによる人間的な発達です。

信頼関係が生きる希望と勇気を育てる

作文教育を通して形成される充実した人間関係は、生きる希望と勇気を子どもたちに与えます。この充実した人間関係をつくり支えるものは、相互の信頼に他なりません。自由な作文を書くためには信頼感が必要とされますが、それは作文教育でさらに高められるものでもあります。

信頼は、人の間に人間の風が吹くような関係性の上で成り立ちます。日々の関わりを積み上げる中で、子どもは少しずつ心を開いていくのです。先生はこのありのままに綴られた思いをそのまま受け止めることで、本当に言いたいことを安心して言える、という子どもから先生への信頼感は同時に、先生から子どもへの信頼としても実っていきます。この双方向の信頼が強化されると、実に豊かなつながりが形成されます。

こうした豊かな人間関係が生きる希望と勇気の源になるのは、子どもの信じる力を育むからです。人を信じると、恐れることなく自分という人間を自分の言葉で表現することができます。自分を伝えて分かってくれる人がいると思ったとき、私たちは元気になるものです。なので、本当の自分を受け止めてくれる関係や環境を得ることは、今日の人間社会の中で生きる支えとなることでしょう。作文を通して育つ信頼関係は学校にとどまらず、人間的な成長に大きな意味をもたらすのです。

子ども集団が繋がる

作文をその上手いも下手も関係なく学級で共有し、友達の本当の姿を「知る」ことで、相手の立場に立って相手を理解することができます。深く知るほどに繋がりが生まれ、いじめなどの問題が起きにくくなります。また、起きたとしても問題が見つかりやすく、それを解決する力を持った集団に育ちます。こうして、教室が自分の居場所だと思えるような、ほっとする安心感を得られる場所となるのです。

したがって、子どもが書いて提出した作文に先生が赤ペンで直しやコメントを付けて返却する、という一対一のやり取りでは不十分です。目指すのは、『もっと知りたいからここをおしえて』と気軽に質問したり、『この視点と表現が〇〇さんらしいと思った』と感想を話し合ったり、それをメッセージカードに書いたりできる雰囲気です。作文を活用して学級で「知る」ためには、友達の表現を共感的に読むことを大切にさせましょう。

つまり、作文教育は国語科目としての技術指導を超えて、人間性を育むことができるという意味において教育のトータルなのです。

先生が生き返る

恩恵を受ける対象は子どもたちだけではありません。作文教育の実践を通じて、先生も生き返っています。
次は、4学年を受け持ったけれども自信を失い、辞めようかと思っていた先生の実例です。

その先生は、新任のかわいらしい女の先生でした。しかし、どの学級にもいるような、パニックになって先生に暴力をふるったり飛び出す子にうまく対応することができませんでした。そこで、先輩の先生から指導の甘さを責められてしまいます。学校の門前に来ると足まで震えていたそうです。しかし、あるきっかけで今回のインタビューでお話を伺ったうちのお一人である、なにわ作文の会代表の方と出逢うことができて救われたのです。

この方は、相談に訪れた彼女に、問題となっている4年生の子が書いた作文を持ってくるように言いました。作文には、お母さんは大学の物理の試験でひとり100点を取るような優秀なお母さんだと書かれています。それを読むとなぜパニックになるのかがわかりました。実はその子には、私学の進学校に行くため塾通いで追い立てられているという背景があったのですが、ここから「ああ、この子はこんな風に期待されて、もうSOSを上げていたんだね。そんなSOSを3年生の時は怖い先生だったから言えなかった。でも4年生の先生になって、自分の苛立ちをわぁーっとぶつけられたんだ。」と理解されたのです。

その苛立ちをぶつける姿を見た周りからは指導が甘いと言われ、彼女は自分は先生に向いていないのだと自信を失っていました。ところが、相談の中で子どもを理解しようと作文を丁寧に読むと、そこで彼女だからこそ果たせた役割があることを教えられました。暴れる行為は本当はSOSの悲鳴なのだ、彼女にだからSOSを出せたのだと。作文で、子どもが困っているからそのようなことをするんだと気付かされ、もう一度その子のことを見つめなおすことができたのです。

その後、このようなことを勉強できるサークルなら、となにわ作文の会に参加するようになり、全国大会の分科会ではしんどかったことと、クラスの子どもの話を実践報告しました。そこで参加者から、なぜ辞めずに今日まで続いているのかと聞かれた際に、彼女は、「だってかわいかったもん」と答えました。暴れるその子が悲鳴を上げる姿が見えて愛しかったのだそうです。つまり、彼女は作文教育を通して、子どもを理解するとはどういうことかを学びました。だからこそ、現在も元気で、作文の会の運営にまで携わっていらっしゃいます。

このようにして、作文教育に取り組むことで先生が生き返っているのです。教室でパニックを起こす子であっても、例えば週末には水がきれいだと思う感性があるのなら 『この子ともまたお話ができる』 と思えるのではないでしょうか。作文教育をしていると、子どもに対しての気持ちが『面白いな』『かわいいな』『腹立つと思っていたけれど元気出るよな』に変わっていきます。すると、一人の子どもにいろいろな面を見出せるようになって、叱るにしても嫌いになることなく、普段からかける言葉まで自然と優しくなります。

作文教育で大事な点は、文の巧拙ではなく、本当の子どもの姿が見えるかどうかです。現象で暴れまくっている姿ではなく、その向こうにどんなメッセージがあるのか。作文を手段に、こういった子どもへの理解が進めば、先生は誰一人見捨てずに心に繋ぎとめることができるでしょう。つい叱ったり管理的になったりしてしまう先生でも、子どもを愛おしく思うことができれば、作文が与えてくれるその思いが続ける力となるはずです。

保護者と繋がる

作文教育の恩恵を受ける大人は先生にとどまらず、保護者にまで及びます。以下は、学級通信に子どもの作文や日々のつぶやき、教室での出来事などをそのまま載せて一年間発行していたある6学年のクラスの一例です。保護者の方からの反応を、その担任の先生に宛てたお手紙の抜粋により紹介します。

「クラスの様子を知ることに留まらず、号を重ねるごとに作文や日記を通して、子どもたち一人ひとりの輪郭が浮かび上がってきて、外からだけでは決して知ることのできない思いに、発見と感動の1年でした。」

「友達と同じでありたい、でも人とは違っていたい。自分自身の様々複雑な感情や成長を実感しながら過ごす思春期にさしかかり、自分の気持ちや考えを伝えることに恥ずかしさを覚えたり、自分の思いの核の部分は避けて表現しがちになることがあるにも関わらず、日々うれしいこと、悲しいこと、楽しいこと、趣味、特技、家族、悩み、目標、決意などを言葉にしてきた子どもたちの勇気とエネルギーは、本当に素晴らしいもので尊敬の気持ちでいっぱいです。」

このように作文中心にした学級づくりを進めると、保護者には実感として子どもの成長が伝わります。近年ではモンスターペアレントといった言葉もありますが、保護者は学校の敵などではありません。作文には先生と保護者との手を繋ぐ力もあるのです。

5 なにわ作文の会からのメッセージ

前編記事の結びとして、以下はなにわ作文の会代表者様よりいただいたメッセージです。

“表現力をどう豊かにするかをおろそかにしているわけではありません。
 何よりも子どもたちの作文を丁寧に読むことが、大事です。
粗っぽく読めば、粗っぽい文章を書くからです。
 国語の授業で、文章力を育てる取り組みが、大事です。
文学の授業や読書などとりわけ大切にしています。
いろんな作文の読み聞かせをとりわけ大事にします。
 そして、豊かな感性の育ち(を)なく(し)て、文章だけが、育つことはありません。”

読者の皆様も、ぜひこの言葉をご自身の子どもとの接し方の参考にしてみてください。

6 前編まとめ ~作文こそが教育のトータル~

前編では、作文教育とは

先生が

  • 目の前の子どもから出発する
  • 子どもを信じて待つ
  • 作品を学級で読む

ことを大切にすることで、

  • 子どもの自己形成が促される
  • 自己表現が生きる希望と勇気を育てる
  • 信頼関係が強化され集団形成を進める
  • 先生を救う
  • 保護者を繋ぐ

という大きな可能性をもつ教育である

ということを説明しました。作文教育に挑戦してみたい、と思っていただけましたでしょうか。
本記事の後編では、誰でもできる作文教育の実践についてご紹介します。こちらもぜひ合わせてお読みください。

7 出版物

月刊雑誌 作文と教育 – 新読書社 (shindokusho.jp)

子どもたちの作文集
→なにわ作文の会メールアドレス naniwasakubun@yahoo.co.jp にお問い合わせください

8 著作物

子どもたちに表現のよろこびと生きる希望を―父母に子育てのエールを教師に教育のロマンを | 土佐 いく子 |本 | 通販 | Amazon

マジョリン先生の学級づくりたねあかし | 土佐 いく子 |本 | 通販 | Amazon

9 編集後記

前編をお読みくださりありがとうございました。
デジタル化の波にのまれている今だからこそ、大切にしたいお話をたくさん聞くことができました。インタビューを通して受け取ったなにわ作文の会の皆さまの熱意が、本記事を通してお伝えできていれば幸いです。

(編集・文責:EDUPEDIA編集部 山浦)

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この記事を書いた人

同志社大学 社会学部 教育文化学科
人々の交流する場や芸術の力を生かした教育への興味を中心に、学び活動しています。

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