1 はじめに 「感謝」に関する授業のポイント・注意点
本教材「みんな だれかに」は、小学校学習指導要領解説「特別の教科 道徳(平成29年7月)」の内容項目B「感謝」に該当する教材です。
小学校学習指導要領では、「感謝」の内容項目を「自分の日々の生活は多くの人々の支えがあることを考え、広く人々に尊敬と感謝の念をもつこと」としています。また、「感謝の気持ちは、人が自分のためにしてくれた事柄に気付くこと、それはどのような思いでしてくれているのかを知ることで芽生え、育まれる」とあります。
つまり、
・自分のためにしてくれた(助けられた)体験を問う
・自分のためにしてくれたことに対する気持ちを問う
という2つの問いが授業の柱になります。
また、感謝をする対象、内容を具体的に児童と共有し、児童が感謝を表していく姿が求められます。
1年生は家族、教師、上級生などたくさんの人々に支えられている段階です。しかし、支えてもらっていることを当たり前のように認識している段階でもあります。日常生活で享受している「当たり前」を授業で洗い出し、感謝の気持ちについて考えさせる工夫が必要です。
2 教材、あらすじ、授業のねらいについて
- 小学校1学年 道徳科 主題名「かんしゃのきもち」
- 教科書 東京書籍 『新しい道徳』『14 みんな だれかに』
- 内容項目 B(7)感謝
あらすじ
お花と蜂、木の実とリス、ワニと鳥など、種類の異なる生き物同士が、助けたり、助けられたりする様子が描かれている物語。それぞれの個性を生かして「お互い様」で生きていくことが伝わってきます。教材にある「みんな だれかに たすけられ みんな だれかを たすけてる」という言葉の意味を児童に問いていきたいですね。
授業のねらい
日ごろ、自分たちの生活を支えてくれている人々に感謝しようとする心情を育てる。
3 授業の工夫
(1)発問の意図とタイミング
道徳の授業では、「わかっているようで、わかっていないこと」を話し合う場面が多いです。
例えば、「真理の探究」「感動、畏敬の念」「よりよく生きる喜び」などの内容項目は児童にとっては抽象的な内容であり、わかりそうで、わからない内容です。
今回の「感謝」という内容項目でも、「感謝をするのは当たり前」とわかっていても、実はお世話になっている人に感謝ができていない児童の実態があります。
「感謝の意味・価値をわかっているようで、わかっていない」のです。
このような場合には、「児童の身近な体験」から具体的な道徳的価値を引き出す発問が必要です。
「みんなはどんなことで助けられているかな?」
この一つの発問で、児童は日常生活で助けられた体験を思いめぐらせ、感謝をする対象を具体的に発見していきます。
そして、この発問を授業の導入でするのか(授業前のアンケートも含む)、教材を読んだ後にするのでは、発問の意図が異なり、児童の反応も異なります。
導入時に「みんなはどんな人に助けられているかな?」と発問する意図は、児童の体験から助けられた行為を想起させ、クラス全員で共有するためです。児童の反応は、
C「転んだ時に起こしてくれた」
C「えんぴつを忘れた時に貸してくれた」
C「算数がわからない時に教えてくれた」
などです。たくさんの親切、思いやりを受けて、児童が生活しているのがわかります。しかし、児童の意見に注目すると、「マイナスな出来事が起こった時に助けてくれた」といった意見が多くなりがちではないでしょうか? 助けられた体験をクラス全員で共有する意図であればOKですが、授業のねらいに迫る意見としては浅い意見です。
「優しくしてもらったから、ありがとう」という感謝では、道徳の授業としては少々寂しいです。
教材を読んだ後に、「みんなはどんなことで助けられているかな?」という発問をすると授業のねらい(自分たちの生活を支えてくれている人々)に迫ります。
C「お父さんやお母さんが働いてくれている」
C「えんぴつやノートを作ってくれている人がいる」
C「お母さんはごはんを作ってくれる」
C「給食を作ってくれる人がいる」
と、多くの人たちに自分は助けられていることに気づきます。
それは、教材「みんな だれかに」が助け合いを広く捉えられるように構成されているからです。児童の価値観を広げてくれる優れた教材です。
優れた教材に触れることで、児童は自分の体験と教材にある道徳的価値を比較し、再構築します。再構築されたものを引き出す発問が道徳の授業では最も重要です。これが中心発問・主発問と呼ばれるものです。
道徳の教材は生きていく上で当たり前のような道徳的価値を扱う場面が多いです。ややもすると教材の上辺をなぞった薄い授業になる場合もあります。
私は教材の上辺だけをなぞる道徳の授業だけはしたくないと思っていました。そのために、発問の意図とタイミングには細心の注意を払っていました。
助けてもらった体験が「「マイナスな出来事が起こった時に助けてくれた」だけでは、「感謝」の対象、内容ともに狭いです。その狭さをググっと広げる発問のタイミングを心掛けましょう。
日常生活で見えていない当たり前のような行為を浮き彫りにして、児童と共に価値づけていく展開にすれば、自然と感謝の念が湧くのではないでしょうか。
(2)授業の終末、説話は教師の体験・言葉で
道徳の授業の終末は「ねらいの根底にある道徳的価値に対する思いや考えをまとめたり、道徳的価値を実現することのよさや難しさなどを確認したりして今後の発展につなぐ段階」です(「小学校学習指導要領 特別の教科 道徳 」2道徳科の指導、P82)。
私は道徳授業の構想を練る時にはいくつかの終末場面を想定していました。今回の「みんなだれかに」という教材であれば以下の説話が思いつきます。
・ありがとうと言われる人、ありがとうと言う人になろう!
(所属していた野球チームの話。お互いのよいプレーに感謝しながら野球をした体験)
・いつも授業をがんばって受けてくれる児童に感謝する
(当たり前のようにしている授業後の「ありがとうございました」というあいさつ。児童から教師にする意味があるけれど、実は教師も児童に感謝している話)
・近所のお互い様(近所の方から畑で収穫したものをもらい、旅行のお土産などをお返しに渡した体験。お互いに支え合って生きている話。)
・やってもらって当たり前だと、ありがとうは出てこない(ありがとうの語源は「有難し」。「お世話してもらって当たり前ではないよ」という話)
教師の体験・日常生活から出てくる説話は、説得力が増します。できる限り教師の体験・言葉で説話をすることが望ましいです。
こうした教師の生身の体験・言葉から、児童は「先生はいろいろなところに感謝の気持ちをもっているんだな」「気づかないような人(目の前にはいない人)にも感謝するのっていいな」「しっかりとありがとうを伝えよう」という気持ちが芽生え、児童の今後の成長につながっていきます。
執筆者プロフィール
マー
小学校教員を15年務めた後、フリーのWEBライターに転身。教員時代は安全主任、体育主任、生徒指導主任、学年主任を担当。現在は「物事のよさをより多くの人に」をモットーに教育系記事、金融系記事を主に執筆。趣味は野球観戦とランニングで、野球やマラソン・駅伝を応援するブログを運営している。
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