1 はじめに
本記事は、小学館から出版されている『日本手話へのパスポート:日本語を飛び出して日本手話の世界に行こう』(2023年)に関連したインタビュー記事の第1弾です。
第1弾のこの記事では、こちらの本の著者の一人であり、明晴学園の中学部教頭でもいらっしゃる、小野広祐先生へのインタビューを掲載しています。
ご自身もろう者であり、ろう教育の第一線で活躍されている小野先生が考える、日本手話やろう教育の過去・現在・未来についてや、ろう者の立場から普通教育の側に望むこと、普通学級にいるろう者やコーダ(後述)と関わる先生へのメッセージなどを伺いました。
(この取材は2024年6月7日に行いました。)
▼第2弾、第3弾の記事はこちらから▼


- ・「ろう者」とは
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「ろう者」とは、日本手話を母語とする「聞こえない人・聞こえにくい人」のことです。多くのろう者は、日本手話を母語として書記日本語(読み書き)を第二言語としています。
- ・「日本手話」と「日本語対応手話」との違い
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日本手話は、日本語とは全く異なる文法体系をもつ、生まれつき耳の聞こえない子どもたちの集団から発生した自然言語です。
一方の日本語対応手話は、日本語を話しながら、日本語の文法に合わせて手話の単語を表す表現方法です。日本語を習得してから耳の聞こえなくなった人にとっては習得が容易だと言われています。
(参考:『日本手話へのパスポート』12, 36頁)
2 普通教育に望むもの
——聴者(聴覚に障がいがない人 引用:デジタル大辞泉)がろう者やろう文化のことを理解していくための教育として、これからの学校教育(普通教育)に望むことは何ですか。
聴者の皆さんは一般的にろう者に会う機会が少ないですよね。だから、ろう者がどういった人なのかということをイメージするのが難しく、ともするとろう者に対して「耳の聞こえない、かわいそうな、支援をしてあげなければならない人々」といったステレオタイプ的なイメージをもつ方が少なくないように思います。しかし、ろう者は決して「かわいそうな人」ではありませんし、ろう者自身も決して自分を「かわいそう」だとは思っていません。
ろう者はただ耳が聞こえないのではなく、独自の文化(ろう文化)と歴史をもっています。日本人の多くはモノリンガル(日本語だけを使う人)ですが、ろう者の多くは日本手話と書記日本語という2つの言語を使っているバイリンガルで、日本手話はろう者にとっての母語なのです。こうしたことを理解するための授業や教材を普通教育においても導入し、ろう者を「かわいそう」と見るのではなく、ろう者の能力や個性を尊重し、外国人のように異なる言語と文化をもつ人々として関わる姿勢を育てる教育が求められます。
例えば「手話」というと福祉のイメージで捉えられることが多く、書店で手話の本を探しても福祉のコーナーに置かれていて、言語として扱われていないというのが現状です。学校教育で第二外国語を教えることがありますが、その選択肢のひとつとして日本手話も選べるようになると良いなと思います。

3 ろう学校の教育と、ろう者をめぐる2つの視点
「病理的視点」による教育
ろう者に対する見方は大きく分けて2つあります。1つは「病理的視点」です。これは、聴力の欠如を「治すべき障害」として捉えるものです。特別支援学校の学習指導要領では、そこに通う子どもたちが何かを補わなければならない対象として見られていますよね。
私自身、ろう学校で聴者のように話せるようになるための訓練を受けてきました。ろう者には自然言語である手話があるにもかかわらずそれを学ぶ機会を得られず、とにかく日本語を身につけさせるべきだという教育が行われていたのです。私も以前は、ろう者は聴者よりも劣っていると考えていました。なぜなら、どんなに訓練しても聴者のように話せるようにはならないからです。
本来、教育というものは、子どもが自然に扱える言語を使って彼らの考える力や生きる力を伸ばすものであるはずです。したがって、厳しい訓練をして身につけなければならないような言語を使うことは、本来の教育の場にはそぐわないと思います。
「文化的視点」による教育
ろう者に対する見方のもう1つは、「文化的視点」です。これは、ろう者たちを独自の言語と文化をもつコミュニティとして尊重するものです。明晴学園では、この文化的視点から日本手話を言語として位置付けています。手話は単なるコミュニケーション手段ではなく、ろう者のアイデンティティや文化を表現する重要な要素です。
音声(日本語)を使わず主に日本手話を使用することで、ろう者が自分自身をありのままに受け入れ、自信をもって社会と関わることができるようになります。残った聴力を活用して聴者に近づける教育も1つの方法ですが、それだけに依存するのではなく、日本手話を言語として認め、ろう者の文化やアイデンティティを尊重する教育が大切です。
4 日本手話を継承する意義
日本手話は、日本語話者が大半を占める日本社会において弱い立場に置かれています。新生児の1,000人に1人が耳の聞こえない子どもだと言われるように、ろう者のコミュニティはとても小さいものなんですね。そのうえ多くの人々が日本手話を理解しておらず、ろう者が孤立することが多いです。
さらに、今後人工内耳や補聴器などの医療機器の発達により、社会が「もう手話はいらないだろう」という考えに染まってしまう恐れもあります。そうすると、ろう学校における子どもコミュニティもなくなり、日本手話が次の世代に引き継がれません。また、出生前診断により聴覚障害児を産まないという選択もできるようになるかもしれず、日本手話は消滅の危機に瀕している言語だと思っています。

——人工内耳などの発達があったとしても、やはり日本手話という自然言語を使ったコミュニケーションができるようになることが、ろう者にとっては大事だということなのでしょうか。
そうですね。人工内耳をすれば手話がいらなくなる(聴者とまったく同じように聞こえるようになる)ということはないと思います。人工内耳をしていてもやはりろうの子どもであって、バイリンガル教育を受ける権利があると思います。ろうの子どもたちには日本手話が本当に必要で、もし日本手話がなかったら、手話という言語をもてず、さらに日本語も十分に習得できずに、きちんとした言語を1つももっていないという状態になってしまいます。特に聴者の両親のもとに産まれたろうの子どもは、家庭内に手話を使う環境がありません。私も、ろう学校のコミュニティがなければ日本手話も日本語も十分に育たなかったでしょう。こうした日本手話をきちんと保存・継承していかなければならないと思います。
5 普通学校への進学
普通学校の「国語科」へのハードル
——明晴学園のHPによると、生徒さんのなかにはろう学校ではなく一般の高等学校へ進学する方もいらっしゃるようですが、ろう者の生徒が一般高校へ進学するうえでハードルなどはあるのでしょうか。
一般高校に進学することは、ろう者にとって多くのハードルがあります。明晴学園では日本手話を第一言語として教育を行っていますが、一般高校では書記日本語が主なコミュニケーション手段かつ評価の対象となるため、書記日本語での読解力や表現力が求められることが特に大きなハードルとなります。
明晴学園のカリキュラムの中には、第二言語としての書記日本語はありますが、そもそも聴者のために作られた教科である「国語」は無いため、放課後学習で別途受験のための国語・作文・面接などのトレーニングを行っています。第二言語で書くということはトレーニングをしなければ難しいのです。日本語話者の中学生が英語で作文をすることをイメージしていただければ、ろうの子どもが書記日本語で作文を書くことがいかに難しいことかお分かりいただけると思います。
ただ、本当に1番大事なのは、アイデンティティを培っておくことです。明晴学園にいる間に、「自分が何者なのか」というアイデンティティをしっかり培い、しかもそれを誰か他の人に伝えることができるということが必要だと思います。そうすることで、高校で聴者と対等にいることができる生徒になると思うので、 中学部にいる間にアイデンティティをもてるような取り組みをすべきだと思います。
高校の教員に伝えたいこと
——明晴学園の生徒が進学する先の高等学校の教員の方々に伝えたいことはありますか。
ろう者が初めて入学する高等学校からは、「何をどう対応すれば良いかわからない」という相談を受けて、入学前に先生方と話し合いの機会を設けることが多いです。ある学校の先生からは、「耳が聞こえない子に体育をどうやって教えれば良いか」と聞かれたことがあります。「耳が聞こえないなんて危ない、怪我をしたらどうするのか」と。
私は「明晴学園の生徒たちは耳が聞こえないこと以外は普通にできるのだから、見えない音声情報をきちんと見えるようにしてくだされば良い」と伝えました。ろう者のためにするべきことはそれだけで、それ以外は全て普通にできるのですが、そのことをあまり実感していただけないことが多いです。「危ない」という理由で何でも取り上げるのではなく、適切な対応をしてほしいと思います。
6 コーダとの関わり方
——普通学校の教員の方向けに、コーダ[注]の子どもに対して心がけるべきことや、コーダの子どもへの関わり方について教えていただきたいです。
「コーダだから」といって特別扱いをする必要はありません。ろう者の親をもつことは特別なことではなく、普通の家庭の一形態として理解する姿勢が求められます。コーダは、多くの場合、家庭内で手話と音声言語の両方を使うバイリンガルの子どもです。このため、2つの言語環境に適応していることを理解し、その多様な言語能力を尊重することが大切です。
コーダの子どもは、先生の顔をとてもよく見て目線を合わせようとするかもしれません。なぜならそれが視覚言語(手話)のコミュニケーションでは普通だからです。このように、コーダはろうの文化や行動を身につけたまま聴者の社会に入っているため、変わった行動をしていると思われがちです。それでも、少しずつ聴者の文化や行動に慣れてくるものなので、普通に扱ってあげれば良いと思います。珍しい行動をとるからといって発達障害だと誤解されることもあるようですが、そうではありません。偏見やステレオタイプを押し付けるのではなく、普通の子どもとして扱うことで、彼らは安心感や自己肯定感をもてるようになります。
[注]コーダ(CODA) とは?
”Children of Deaf Adults” の略で、聴覚障害のある親をもち、自身は聴覚に障害のない子どものこと。
両親ともに、もしくはどちらか一方の親だけがろう者・難聴者でも、聞こえる子どもはコーダとされる。生まれた時から親を通してろう文化との関わりをもち、手話と音声言語のバイリンガルとなることもある。
(参考:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「コーダ(聴者)」)
7 ろうの子どもが生き生きと活躍する社会へ
——ろうの子どもたちが社会の中で生き生きと活躍していくために、今の社会に足りないこと、必要なことがあれば教えてください。
ろうの子どもたちやろう者自身が何を必要としているのか、当事者の声に耳を傾けることが不可欠です。今の社会は聴者にとって暮らしやすいように作られていますよね。そのため、社会全体で音声情報だけでなく視覚情報を増やすことが必要です。例えば、公共の場やメディアでの字幕の充実、手話通訳の導入、視覚的な案内表示の整備などが求められます。
以前、生徒と浅草の花やしきに行ったときに「ろう者にはこのアトラクションは危ないので乗らないでください」と言われたことがあります。「何かあったときに日本語が聞こえない、日本語が分からない人が乗るのは困ります」と言われたのですが、「では日本語のわからない外国人はみんな断っているんですか」と聞いたらハッとした様子でした。そもそも「聞こえないから、ろう者だから危ない」と言う聴者は、何を基準に判断をしているのでしょうか。おそらく聴者の勝手な想像ですよね。逆に、もしもろう者ばかりの社会に聴者が入ったら、手話で情報を得られず「危なく」て、「かわいそう」な人ということになりますよね。
ろうの子どもは言語的少数者です。彼らの使用する日本手話は独自の言語です。ろうに限らず、日本には多様な言語と文化をもつ人々がいることを認識し、その多様性を尊重する社会づくりや、教育現場や職場での多文化理解の促進が必要なのです。
8 著書紹介

『日本手話へのパスポート:日本語を飛び出して日本手話の世界に行こう』(2023年)
本書は、ろう者の言語である「日本手話」の基礎表現や文法、ろうの文化など、手話を学ぶ上で知っておきたい基礎知識を、小中学生向けにやさしく解説する本です。
アヤ・セナ・ユイの3人のろう学校の子どもたちが、会話と写真で楽しく手話について紹介。二次元コードで手話動画を何度でも見られるので、手や顔、体の動きもよくわかります。
「そこが知りたい手話Q&A」、手話を使ったゲーム、コラム、50音や数字の指文字など、手話についての情報も満載。
初めて手話を学ぶ大人の方にもぜひ読んでいただきたい1冊です。
(小学館HPより)
9 プロフィール
小野広祐 先生
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杉並ろう学校(幼小中)、大田ろう学校高等部を経て和光大学人間関係学部人間関係学科卒業。1999年デフ・フリースクール龍の子学園創設時から活動。2008年に東京都の構造改革特区の制度を利用した学校法人明晴学園の設立に携わる。現在、明晴学園共闘(中学部/早期支援担当)。NPO法人バイリンガル・バイカルチュラルろう教育センター理事、NHK手話ニュースキャスター。
(プロフィールは本書出版時、2023年11月現在のものです)
10 編集後記
「病理的視点」「文化的視点」というお話が大変印象的でした。医療や健常者中心の教育による視点が強い場面ではろう者を「障害者」という括りで乱暴にラベリングしてしまうことがいまだにあり得るのだという事実にハッとさせられました。筆者自身、明晴学園でのインタビューを通して日本手話がろう者の方々にとっていかに重要な言語であるかを、はっきりと認識し、小野先生のおっしゃるように少数言語としての日本手話を継承していくことはとても重要な課題だと思いました。
今回のインタビューでの小野先生の語りには、「障害の社会モデル」的な考えが何度か登場していました。社会的マイノリティの人々の言語や文化を尊重し、彼らが生き生きと活躍できる社会を構築するうえで、マジョリティの意識を変えることは不可欠だと思います。ろうに限らず全ての人が不当な不利益を被ることなく生きることのできる社会に向けて、教育が果たすべき役割が大きいのではないでしょうか。
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(編集・文責:EDUPEDIA編集部 片岡祐・宮部柚月)
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